屋敷への帰還
ダリアの操縦で、馬車がようやくノーマン邸に辿り着いたのは、大結界が起動してから四日後だった。
三日間をひたすら大結界の確認に充て、帰り道にさらに一日掛かった計算である。封印都市にいた頃と違って、範囲の広すぎる新型大結界は確認するだけでも一苦労だった。
「ふぅ……ようやく到着ですね、ソル様」
「ええ。ダリアさん、ありがとうございます」
「いえ、これが私の仕事ですから。まずは、お屋敷の方へどうぞ」
馬車が止まったのは、別邸こと現在の俺の屋敷である。
ほんの数日いなかっただけだったが、随分懐かしく思えた。それは、大結界が起動するという一大イベントをこなしたからというのも理由の一つだろう。
だが、まず屋敷へというのも――。
「……それより、まずルキアさんに戻ったことを報告した方がいいんじゃ」
「いえ。その前に、まず湯浴みを行ってくださいませ、ソル様」
「えっ」
「四日ほど、お着替えをなさっていないと思いますので」
「……」
ダリアの微笑んだままの言葉に、くんくんと自分の服を臭う。
確かに、多少臭うかもしれない。何せこの四日ほど家に帰っていないから、着替えすら出来ていなかった。
あれ……これ、遠回しに「あんた臭いよ」って言われてる?
「さ、ソル様。湯所へどうぞ。私は湯を用意してきますので」
「……あの、体を拭くくらいは自分で」
「ご安心ください。お着替えの方は、準礼服で選んでおきます。公式の場というわけではありませんが、ノーマン侯であるルキア様にご挨拶をなさるわけですから」
「……はぁ」
自分で、のあたりを全力でスルーされた。
いや、まぁ、俺この屋敷に来てから、毎日毎日ダリアに湯浴みしてもらっているわけで、恥ずかしがるのも今更なんだけど。
というか、なんとなく風で流れてきたダリアの香りは、どうしていい匂いがするんだろう。俺と同じく、ダリアも着替えてないんじゃなかろうか。
「それでは、湯所の方へ。今夜は、またお酒の方をご用意しますね」
「……ええ、ありがとうございます」
にっこり、と微笑んでくるダリアに。
今夜はようやく、寝台で寝られるという安心感と共に。
日常が、ようやく帰ってきた――そんな、気がした。
当然だけれど、湯所で全部拭かれたし全部見られた。
もう限りなく今更ではあるけれど、正直湯と布さえ用意しておいてくれたら、自分でやるのにと思ってしまう。というか普通、異性のメイドさんにこういうことさせるのって、セクハラとかになるんじゃないだろうか。
以前にルキアの愛人云々という発言もあったし、なんとなく意識してしまう。
そして俺は準礼服という形で、ダリアに着付けてもらった堅苦しい服装で、本邸へと向かった。
式典などに出席してもマナー違反にならない、しかし普段着としても使えるものだ。当然、俺の私物というわけではなく、俺が別邸に住むようになってからダリアが用意したものである。
サイズはまぁ……毎日、湯所で全身を見ているわけだから、大体分かったらしい。
「ただいま戻りました、ルキアさん」
「ああ。ご苦労だったね、ソル君」
ノーマン邸、当主執務室。
そこで俺はダリアを半歩後ろに置いて、久しぶりに会ったルキアに対して頭を下げる。
そんな彼女の机の上は、大量の紙で埋め尽くされていた。きっと色々、やるべき仕事が多いのだろう。
ルキアがほう、と俺の服を見て、僅かに眉を上げた。
「ダリア、わたしとソル君のお茶を用意してくれ」
「はい、承知いたしました」
「そうだな……今日は良い日だ。ブランデーをたっぷり入れようじゃないか。わたしの秘蔵酒から、二十年ものを出してもいいぞ」
「そちらは……ルキア様のものだけ入れたのでよろしいですか?」
「何を言っている。祝いの酒だよ。ソル君のカップにもたっぷり入れてくれ」
「……は。少々お待ちください」
僅かにダリアが躊躇うような素振りを見せるが、しかし一瞬後に頭を下げ、そのまま退室した。
俺、酒弱いんだけど大丈夫だろうか。
そして執務机の椅子からルキアが立ち上がり、手で俺にソファを示す。
「まぁ、座りたまえよ。長旅、ご苦労だったね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「よく似合っている衣装じゃないか。まぁ、多分ダリアが選んだものだろうね。彼女は割とセンスが良い。今後も、服などはダリアに相談するといいよ」
「……はい」
まぁ実際、ダリアの選んだものではある。というか俺、礼服と準礼服の違いすらよく分かっていないし。
そして俺がソファに座ると共に、ルキアもまた正面のソファへと腰掛けた。
ここでまず俺がやるべきは、ルキアへの報告だ。
「ルキアさん」
「うむ」
「ひとまず、領境沿いの大結界を全て確認してきましたが、全てにわたって不備はみられませんでした。現在のところ、問題なく稼働しています」
「うむ、実に朗報だ」
うんうん、と頷くルキア。
それと共に、にんまり、と笑みを浮かべて俺の方を見てくる。
「それで、ソル君」
「はい」
「ダリアはどうだったかな? 初めてだったろうし、良い声で啼いただろう?」
「……」
このひとはなにをいっているんだ。
「……あの、ルキアさん?」
「ああ、わたしとしたことが、不躾な質問だったか。だが、男女が四日も二人きりでいたのだし、そういうことが起こって然るべきだと考えているよ」
「……いえ、それは」
「無論、今後はきみとわたしの結婚式に向けて動くわけだが、最初からわたしはダリアをきみの愛人にするつもりだったし、咎めるつもりはない。だからこれは、わたしの純然たる興味でしかないよ」
「……」
にこにこと微笑んでいるルキア。
いや、そう言ってくれるのは非常に有難いんですけれども。
そういうの、ねーから。
「そのあたりの感想を、きみの方から聞こうと思ってダリアを遠ざけたのだが……おや? ソル君、まさかとは思うが……手を出していないのか?」
「いえ、そのまさかですが……」
「……男女が四日も一緒に寝泊まりをして、何もしていないのか?」
「いや、そもそも俺は大結界の不備がないかの確認作業を行っていたのであって、そういうのは……」
ダリアと四日も一緒だったとはいえ、ほとんどは俺の大結界確認作業の時間か、ダリアが馬車を動かしている時間だ。
そりゃ、食事くらいは一緒に摂ったけど、それくらいである。
そんな俺の回答に対して、ルキアが大きく溜息を吐いた。
「はぁ……なんというへたれだよ、きみは」
「……そう、言われましても」
へたれって。
俺はあくまで、作業をしていただけであって――。
「お待たせしました、ルキア様、ソル様」
そこで扉が開き、銀のカートを押しながらダリアが入ってくる。
そのカートの上に乗っているのは、二つのカップとティーポット、それに高級そうな硝子瓶のブランデーである。
少し躊躇いながら、ダリアが俺の目の前にカップを置くと共に、強い酒精が香った。
「うむ……良い香りだ」
「昔からルキア様は、お茶の時間と称してこちらを飲むのがお好きでしたね」
「昼間から酒を飲んではいけないという常識を作った者を、わたしは全力でぶん殴りたいね。さ、ソル君も飲みたまえ」
「は、はぁ……あ、ありがとうございます」
まさか、こんな昼間から酒を出されるとは。
そして、俺を見るダリアの表情が、どことなく不安そうな感じもする。俺、いつも寝酒を貰ってすぐに寝入ってしまうから、何も覚えていないのだけれど。
だが、ルキアからすすめられたものを飲まないというのは、失礼になってしまう。
仕方なく、俺はカップを持ち上げ、強い酒精の香りと共に一口含んで。
そこから、何があったのか全く覚えていない。
ただ、気付いたら屋敷の寝台で眠っていた。
……俺、何もやらかしてねぇよな?




