最終確認を終えて
大結界――ルキアの言うところの、ラヴィアス式新型ノーマン大結界マークⅡ――の全部を確認するのに、三日かかった。
以前にカンナにチェックを行ってもらったときのように、全体的な不備を見るわけではなく、一つ一つの術式を確認する作業だ。そのため、通常より時間が掛かるのは当然のことでもある。
まぁ、こんな旅路にダリアを付き合わせるのは、少し心苦しく思う。だが俺は馬車を操縦するスキルとか持っていないため、手伝ってもらう他にない。
将来的には、俺も馬車を操縦できるように練習するべきかもしれない。さすがに、大結界を直接確認するとき、いちいちダリアに馬車を出してもらうのも心苦しいし。
「あ……」
将来的には。
無意識にそう考えていたことに、俺はふと顔を上げる。
今は全ての確認を終えて、馬車でルキアの屋敷へと戻っている途中だ。
ちなみに確認した全ての魔術式に異常はなく、全てが正常に作動していた。勿論、俺としてはこの段階まで念には念を入れて作り続けてきたため、全て問題なしであることが前提である。ここで異常が見つかってしまった場合、また最初から確認のやり直しだ。
だからまぁ、俺としては大手を振って戻っている途中である。そして、俺の作業が全て終了すると共に《信号弾》を放っているため、カンナも戻っているはずだ。
「どうかなさいましたか、ソル様?」
「……あ、い、いえ、何でもないです」
「……? そうですか」
御者台で馬を操作していたダリアの言葉に、そう返す。
なんとなく、今の状況を不思議に思ってしまったのだ。大結界の維持管理部を解雇され、行く当てもなく街道を歩いている途中、ルキアに出会った奇跡を。
あのときルキアは、俺の言葉を全て信じてくれた。俺が大結界の維持管理をしていることも、その大結界が崩壊する可能性があるということも。
ただの通りすがりのおっさんが言ってきた与太話を、彼女は信じてくれたのだ。
そして俺は無意識のうちに、自分の未来を想像していた。
新しい大結界を今後、俺が管理していく。フィサエルのように崩壊させることなく、ノーマン領の誰もが安心して暮らせるように維持していく。
やることは、封印都市で務めていた頃と同じだ。ただ、大結界の大きさがあの頃の数倍になっただけで。
だから、思う。
俺は――既に、無意識の中でもルキアのことを信頼しているのだと。
「……」
だが、同時に少し思うところがある。
今後ともノーマン領で雇われの身になって、大結界を管理していくのはいい。むしろ、願ったり叶ったりだ。
大結界の管理こそ自分の天職――とまでは言わないけれど、慣れている仕事だし。
だから、今後とも俺を大結界の管理員として雇ってくれたら、それでいいのだけれど――。
――ラヴィアス式新型ノーマン大結界マークⅡの落成に伴い、きみに報償を与える。ノーマン侯爵家当主配偶者、ならびに儀礼的爵位としてノーマン伯爵位だ。
――わたしとの結婚だ。嬉しいだろう?
重い。
正直な感想がそれである。
俺はただ、自分に出来ることをやっただけだ。長く大結界と向き合い、管理し続け、その構造を知っていたからこそ再現することができたに過ぎない。
きっと俺ではなく、カンナが代わりにルキアに拾われていれば、きっと彼女も同じことをやっただろう。それくらい、危機的な状況だったのだ。
その報償としての、貴族家当主との婚姻と叙爵。
正直、俺のような小市民には重すぎる内容である。
「はぁ……」
「あの……ソル様、何かお悩みですか?」
「あ、い、いえ……その……」
俺の溜息に、再びダリアがこちらへ振り向いてきた。
この三日間、身の回りのことを全てやってくれたのはダリアだ。大結界の確認にかなりの時間がかかるのかを伝えたところ、俺が大結界に集中している間に近くの街まで向かって、食事や寝具、夜の防寒着などを手配してくれたのである。
正直、俺はそのあたり全く考えていなかったため、「相変わらずご自分のことはお考えにならないのですね……」とダリアに呆れられた。
「……」
そこで、改めてルキアの言葉を思い出す。
――ダリアは、きみを少なからず好いている。無論、これはライクではなくラヴの意味だ。
本当か、と思わないでもない。
主人であるルキアがそう言っているのだから、本当なのだと思う。だが俺のどこに、ダリアのような美人に好かれる要素があるのだろう。
ルキアが俺と結婚するとか言い出しているのは、まぁ分かる。分かりたくないけれど分かる。大結界を再現したのは英雄の所業であり、その英雄に対しての正当な評価として、与えられる結婚である。
だが、ダリアが俺のことを好きだとか。
そんな理由は、どこにも――。
「あの、ダリアさん」
「はい?」
ごくり、と唾を飲み込む。
「あ、あの……俺は、その」
「ええ」
「なんか……自分でも、その、あまり理解していないというか、何故そうなったのか、よく分かっていない部分はあるんですが」
「ええ」
「その……俺は、ルキアさんと……結婚することになっている、らしくて」
「ええ、伺っています」
肩越しに俺を見ながら、にっこりと微笑むダリア。
その表情は、全く普段通りの笑顔だ。何の動揺もなさそうに思える。
やっぱりダリアが俺のこと好きとか、ルキアの勘違いなんじゃね?
「え、ええ……まぁ、正直、いきなり結婚とか言われて……どう受け止めていいか」
「ソル様は、ノーマン領を救ってくださった英雄ですから。もっと偉そうにしてもいいと思いますよ」
「……や、そういうのはちょっと」
「ふふ……ソル様は、そういう方ですからね」
微笑むダリア。
まぁ、いきなり偉そうにしてもいいとか言われても、どうすればいいか分からない。ルキアを参考にすればいいのかもしれないが、彼女は偉そうな代わりにやるべきこと全てを完璧にこなしているわけだし。
爵位を貰おうが英雄と称されようが、俺の小市民的な考えは今後一切変わらないと思う。
「ただ、ソル様」
「あ、はい?」
「ルキア様とご結婚された後で良いのですが……私からも、お願いしてよろしいでしょうか?」
「えっ」
どくんっ、と胸の奥が跳ねる。
同時に、俺の頭の中で再生されるのはルキアの声だ。
――ダリアをきみの愛人にしてもいいよ。
――きみの愛人にしてもいいよ。
――愛人にしてもいいよ。
――してもいいよ。
いやいやいや。
勝手にエコーかかるんじゃねぇ。
そもそも俺に愛人とか、結婚すらまだ受け止められていないっていうのに。
いやでもダリアの方がそれを望んでくれているのなら男として受け止めなければならないかもしれないけどそもそも二人の女性と関係を持つという時点で人として不出来なことだと思ってしまう俺がいたりするしでも浮気は男の甲斐性という言葉もあるけどこの場合浮気認定されてしまうのだろうかそれとも正妻が認めている愛人というのは大丈夫なのだろうかというかそれは法制度における何に位置するのだろうとか考えている時点でほとんどダリアが愛人になることを受け入れているみたいな――。
「ご結婚された後も、ソル様の側仕えは私にご命じくださいね」
混乱の坩堝にあった俺に、笑顔で告げられた言葉に。
俺はとりあえず、心の中だけで深呼吸して。
「あ、はい」
そう、間抜けな返事をすることしかできなかった。




