決着
人間を支配するにあたって、最も簡単な方法は恐怖を与えることだ。
逆らえば殺される。
その事実を与えるだけで、人間というのは抵抗する気力を失う――それが、一気に消沈した避難民の群れからもよく分かった。
無論、これは抵抗を抑え込んでいるだけであり、そこには少なからず不満の種が残るだろう。歴史を振り返ってみても、恐怖政治において独裁を果たした国家の寿命というのは、えてして短いものである。
だが――短期的に人を支配するにあたって、恐怖ほど容易いものはない。
だからこそ、ルキアはこの混乱を、恐怖によって支配することに決めたのだろう。
流民というのは、流れてきた時点で既に少なくない不満を抱えているものだ。何故故郷を捨てなければならないのか。何故知らぬ場所で保護されなければならないのか。何故自分は追いやられたのか――その種類を列挙すればきりがないほど、不満を抱いているものである。
集団の不安というのは、爆弾と同じだ。
放っておけばいずれ臨界点に達し、爆発する。それを抑制するためには、どちらかを選ぶしかない。
その鬱屈した心を晴らすように、子を愛でるように全てを与えるか。
その鬱屈した心を抑えるように、命を盾に恐怖で支配するか。
ルキアが選んだのは、後者だった。
それは――彼女が、本当に優しい女性であるがゆえに。
「さて、問おう。何の権利があって、わたしに逆らおうとする?」
「……」
「わたしに向けて石を投げることができるほど、この事態に対する対策を出せる者がいるのか? 破壊された大結界の代わりに、魔物を止める何かを用意してくれるか? それとも、お前たちが大結界の向こうの魔物を倒してくれるのか?」
「……」
「何も出来ないお前たちは、総じて役立たずだ。だがわたしは、そんなお前たちの命を救ってやる。ある程度の期間、最低限の衣食住と安全を保証してやる。しかし、わたしには本来、お前たちを救う義務などない。わたしにとって保護すべき相手は、わたしに従う領民だけだ」
「……」
ルキアの言葉に、避難民たちが黙り込む。
ここはノーマン領であり、彼らはザッハーク領の領民たちだ。彼らを庇護するべきは本来、ザッハーク侯爵である。
本来、ルキアに彼らを救済し、保護する理由などどこにもない。
「衛兵に命ずる」
「はっ!」
「今後、少しでも反抗する態度を見せる者があれば、自由な裁量権をもって懲罰する権利を与える。その結果、多少死人が出たとしても、わたしは問題としない」
「承知いたしました」
ルキアから最も近くにいた、衛兵の隊長が慇懃に頭を下げて、そう承諾した。
それと共に、避難民たちの集団が騒ぎ出す。
一体どういうことだ。こんなの地獄だ。どうしてこんなことに。
嘆く声と、憂う声と、唸る声――しかし、その声は兵が槍の穂先を向けると共に静まった。既に一人、兵に首を斬られる様を見ているのだから、ルキアの言葉が冗談ではないと理解しているのだろう。
淀みなく構成された恐怖政治に、思わず身震いすら覚える。
「分かれば、衛兵は奴隷紋を刻む作業に戻れ。流民は、おとなしく奴隷紋を受け入れるがいい」
「……」
逆らう気力をなくした流民の群れが、肩を落としているのが分かる。
こんな風に恐怖で支配するのは、きっとルキアの本意ではない。だけれど、この方法が最も効率が良く、限りなく少ない被害で抑えることができるのだ。
彼らの『人としての誇り』を、まず打ち砕く。その上で、子を愛でるようにこれから与えていくのだ。一度人としての最低格に落ちれば、あとは待遇が向上していくだけなのだから。
これが、最も効率のいい方法――。
「ふぅ……さて、ソル君」
「は、はい」
そこでルキアが、俺へとようやく顔を向けた。
「これで……ラヴィアス式新型ノーマン大結界マークⅡは、問題なく起動しているのかね?」
「……まだ全部は確認していませんが、ひとまず問題なく動いています。これから、全域の最終確認を行います」
「うむ。ならば良い」
俺の言葉に、ルキアが頷く。
実際、まだ最終確認は終わっていないのだ。見える位置は全部確認しているけれど、大結界の端から端まで確認できているわけではない。
避難民たちの混乱が収まってくれたのならば、俺は急いで最終確認を続けなければならない。
だが――ルキアは座り込んでいる俺へと近付き、そっとハンカチで押さえている傷を撫でてきた。
「えっ……ル、ルキアさん?」
「すまないね、ソル君。わたしが来るのがもう少し早ければ、きみがそのように傷を負うことはなかったかもしれない」
「そ、そんな……俺は、助かりました。ありがとうございます」
「だが、少しいただけない。きみは……敢えて、彼らから石を受けたね」
ルキアが目を細めて、俺を見てくる。
そんなルキアの視線に対して、俺は自分でも分かるくらいに目が泳いでしまった。
「……そ、それは」
「わたしに向かって投げられた石に対しては、あれほど一瞬で《結界》を紡ぐ早業だ。その技術が、自分に対してはできないという理由はあるまいよ」
「……」
「自分が傷つくのはいいと、そう考えていたのか?」
何も言い返すことができない。
実際、少なからず責任は感じていた。俺があのタイミングで大結界を起動しなければ、死んだ男の妻と娘は助かったかもしれない――と。
俺は、避難民に対して――絶対に超えることのできない、生と死のラインを引いたのだから。
「きみに、いい格好はさせないよ。わたしはノーマン領の主であり、彼らを管理する立場だ。彼らからの恨みも感謝も全て、引き受けるのはわたしの役割だ」
「……」
だというのに。
そんな贖罪の感情すらも、全部ルキアが受け止めてくれる――。
「お、俺は……」
「きみはわたしにとって、今後必要な存在だ。わたしは、きみを評価している。つまり、きみがきみ自身を評価しないということは、わたしが評価していることすらも否定しているということだ。それを重々理解したまえ」
「……」
ルキアの言葉が、すとんと心に刺さるようだった。
俺が自分を卑下するのは、即ちルキアからの信頼と評価を裏切ることと同じだ。
今後――俺のことを必要だと言ってくれる、ルキアを。
「……ルキアさん」
「ああ」
俺は、自分が傷つくことは別にいいと思っていた。
避難民の恨みを全部、俺が引き受けようと思っていた。
だというのに、それも全部――ルキアに、受け止められてしまった。
ならば、誰が彼女を支えることができるのだろう。
ただ一人、孤高に君臨するルキアを――。
「どうか俺に……あなたを、支えさせてください」
「ほう……」
そして、これほど鮮やかに避難民へと恐怖を植え付け、支配者として佇みながら。
どこか――泣きそうな顔をしている、ルキアに。
思わず、そう言っていた。
まるでそれは――愛の告白のように。
「くくっ」
そんな俺の言葉に対して、いたずらな笑みを浮かべて。
「悪いがわたしは、見た目よりも重いぞ?」
軽やかに。
冗談めかして、ルキアはそう言った。




