避難民たちの怒り
大結界が起動すると共に、周囲にざわめきが走る。
本来、それはエルフの技術によってのみ作られたものであり、人間に再現することは不可能である代物。エルフの叡智にのみ存在する技術であり、現在は残っていない失われた古代遺物。
それが今、ノーマン領とザッハーク領を隔てるように生じ、完全に分断したのだ。
「ど、どうして、ここに大結界が……」
「あの男が、大結界を……?」
そして、注目が集まるのは当然ながら俺だ。
俺が《信号弾》を発動すると共に、この地に大結界が生じたのだ。当然、これを作ったのが俺であるとも推測することはできるだろう。
大結界によって、都市長を押さえ込んでいた《結界》への魔力供給が途切れ、大結界の向こうで都市長が立ち上がるのが見える。何かを喚いている様子だったが、俺には全く声が届かない。
「……」
さて。
俺は、俺の仕事を行うだけだ。
最終調整は終わっているし、既に何度となく確認を重ねている大結界の、最終確認である。この時点での大結界の状態に不備がないか、近い場所から確認するのが俺の役割だ。そして現在、起動している装置についてはカンナが確認してくれている。
西の果てから東の果てまで確認しなければならないから、かなりの時間がかかるだろうけれど――。
「ちょっ! おい! あんた!」
「ん……?」
そこで、避難民の一人であろう男性が、俺の肩を掴んできた。
その形相は、必死。しかし、俺に対する悪意や敵意などはなく、ただただ焦っている様子で。
「あんたが、大結界を作ったのか!? この大結界を、今さっき、発動させたのか!?」
「あ、ああ……」
「だ、だったら……!」
男性は、右手で大結界を示し。
その向こうにいる、俺が見捨てた避難民の群れを指差した。
「向こうにまだ、妻と娘がいるんだよ! ちょ、ちょっとだけ解いてくれよ!」
「……」
「なぁ、頼むよ! 少しだけでいいんだ!」
「……」
男性の言葉に、俺は答えることができない。
既に大結界は発動し、最終確認段階だ。この最終確認で何の問題もなければ、このまま永続的に大結界は発動し続ける。
つまり、大結界の向こうに取り残された避難民たちは。
永遠に、この大結界を超えることができない。
「なぁ! おい!? 聞いてんのか!?」
「……悪いが」
「おい!? あんたが起動させたんだろ!? だったら、あんたが解除もできるんだろ!?」
「……」
俺は明確に、生と死のラインを引いた。
大結界からこちら側は生き、大結界から向こうは死ぬ。そんな、明確なラインを。
この男性は運のいいことに、自分は生きる側にいた。
そして運の悪いことに、彼の妻と娘は死ぬ側にいた。
「……悪いが、不可能だ」
「どういうことだよ!?」
「一度発動したら、もう解除することはできない」
「なっ……!」
男性が、絶句するのが分かる。
そして同じく、他の避難民たちからも様々な声が上がった。
「俺の両親も、まだ向こうにいるんだ! 助けてくれよ!」
「わたしの友達も、まだ向こうにいるのよ!」
「まだ向こうには、たくさんの領民がいるんだぞ! 見捨てるつもりか!」
「旦那が! 旦那がまだこっちに来てないの!」
「……」
黙って、俺はその言葉を聞きながら、大結界を確認する。
どんなに騒がれても、喚かれても、俺にはもうどうすることもできない。
大結界が解除できるか――そう問われれば、一時的にならば可能だ。俺がカンナに《信号弾》を示して、一時的に解除することはできる。
しかしそうなれば、再び大結界を発動するにあたって、様々な問題が生じるのだ。再び魔鉄鋼の素体に魔術式を刻む必要があるし、再度の運用にあたっての確認も多々行う必要がある。そして、ただでさえ逼迫している現状において、そんなことをしている時間はない。
何せ、瘴気は既に見える位置まで来ているのだ。
一日もあれば、大結界まで到達するだろう。そして一度解除した場合、再発動には間違いなく一日以上かかる。
「なぁ! 助けてくれよ! 妻と娘を助けてくれよぉっ!」
「……」
男性の悲痛な叫びに、俺は歯を食いしばる。
何より、一度そうやって解除した場合、恐らく永遠に発動することができない。誰もが救いたい人間を挙げていけば、それこそザッハーク領の領民全てが対象になるだろう。
それこそ、見える避難民が誰もいなくなった状態であっても、「まだ来ていない人が居るんだ!」と言い出すことだろう。
「大結界を解除しろ! 向こうにいる人を助けろ!」
「向こうにいる人を、見殺しにするつもりか! この人でなし!」
「早く解除しろよ! どうせすぐに起動できるんだろ! 今だけでも解除しろ!」
「……」
俺へと掛けられる声が、罵声へと変わっていく。
こうなることは、分かっていた。全員を救えない以上、誰かは犠牲になる。そして、人間というのは少しの犠牲さえ許してくれない。
だから、こうして悪意を投げかけられることは、分かっていた――。
「ソル様……」
「ダリアさん、いいんです。危ないですから、馬車にいてください」
「しかし……」
「そろそろきっと……ぐっ!」
がんっ、と俺の頭に痛みが走る。
それと共に、頬を流れるのは血だ。恐らく、誰かが投げた石が頭に当たったのだろう。
誰が投げたかなんて、どうでもいい。
俺は、俺の仕事を続けるだけだ。
「この人でなしめ! 俺の妻と娘を見捨てたお前を、絶対に許さん!」
「ソル様!」
「……いいんです、ダリアさん。早く、馬車に」
誰かが悪意を形にすれば、それに追随する者が当然現れる。
男性が、女性が、老人が、子供が――様々な避難民たちが、俺へ向けて石を投げ始めた。
「この人殺し!」
「助けられるくせに!」
「クソ野郎!」
「死ねぇっ!」
「やめろっ! やめろお前らっ!!」
石が俺を目がけて、幾つも投げられる。
衛兵たちが慌てて避難民たちを止めるけれど、それでも追いつかないほど。
この絶望に対して、誰か敵を作りたい――その気持ちは、分からないでもない。そして、その対象は俺だ。
あくまで彼らの大事な人物は、運が悪くて死んだのではなく。
俺が、救えるはずなのに殺したと。
ゆえに、その怒りは。
俺が、甘んじて受けなければならない――。
「ルキア・フォン・ノーマン侯爵の名において、衛兵に命ずる」
しかし。
そんなよく通る、鈴の鳴るような声が響くと共に。
「今より、わたしの許可無く石を投げた者は、全て首を斬れ」
避難民たちの、石を投げる手が止まった。
ただ凶行を止めることしかできなかった衛兵たちが、それぞれ剣を構える。本来、そのような暴挙を命じることのできる人物など、存在しない。
ここに、ただ一人。
ルキア・フォン・ノーマン侯爵しか。




