大結界、起動
今日に至るまで、重ねてきた準備の数々。
それがついに満ち、花開くときが来た。
「……」
領境の街道を見る。
元より、ザッハーク領から逃げてきた避難民を、全員救えるとは思っていない。少なからず、彼らは大結界の向こうに取り残されるだろう。少なくとも、今長蛇の列を作っている彼らが全員、ノーマン領に入ってくるまで待つ時間はない。
そして俺は事前に、ルキアに確認をした。
――大結界の最終調整が終わったら、そのまま起動した方がいいでしょうか? それとも、ルキアさんの合図で起動しましょうか?
ルキアの、避難民への対処が全て終わってから、大結界を起動するのか。
それとも、避難民を見捨ててでも、安全を優先するために先に起動するのか。
彼女にその選択を問うて。
――最終調整が終わり次第、起動してくれて構わない。
ルキアは、そう答えた。
出来るだけ早めに大結界を起動する、その利点を理解して。
「おいっ! 貴様っ! 何をしたぁっ!」
「……」
うつ伏せになったままで、動くことができない都市長が、そう俺に向けて叫ぶ。
都市長に対しては、あくまで極小の結界を作成し、その中に閉じ込めただけのことだ。極めて小さな、棺桶よりもさらに小さいサイズの結界である。
見えない壁によって地面に押さえつけられ、横から脱出することもできず、都市長はただ大地に伏すことしかできない。
「ぐ、ぐぅっ、う、動けん……! き、貴様ぁ……!」
「黙って、眺めていろ」
ただ喚くだけの都市長から目を離し、俺は領境の街道へと目をやる。
私兵団の隊長らしい男が、検閲ラインを下げて避難民たちを誘導し、できるだけ大結界のラインから中へと入れようとしているのが分かる。しかし、だからといって列を成している全員を助けることはできない。
大地に描かれている、焦げた痕――そこをラインとして、避難民たちに距離をとらせる。
そして、隊長の男が俺へと近づき、話しかけてきた。
「魔術師殿。今から大結界を起動するとのことだが」
「ええ」
「その場合……大結界の向こうにいる者は」
「二度と、こちらに入ることはできません。一度起動すれば、永続的に働くように設計してあります」
「そうか」
はぁ、と小さく嘆息。
大結界に、扉のような装置はない。その一部だけが出入り可能などという、便利なシステムは採用していないのだ。
もっと時間があれば、それも作ることができたかもしれない。だけれど、俺はあくまで凡人だ。エルフのように魔術全般に優れているというわけではなく、ただ長い時間を大結界の管理に費やしてきたために、そのやり方を知っているだけに過ぎない。
何より、下手に出入りできるような場所を作れば、そこが結界として脆弱な部分となってしまう。
だから。
人道を無視してでも、安全を取る。
「我々も、出来ることはやった。数百名ではあるが、こちら側に追加で避難はさせている」
「……ええ」
「だが、これ以上はこちらの管理下に置くことができない。ただでさえ、全員に奴隷紋を刻まねばならない以上……これ以上の保護は難しいだろう」
「分かりました」
隊長が苦々しい表情で、そう言ってくる。
彼らが、ザッハーク領からの避難民を、何人受け入れることができたのかは分からない。だけれど、全員を救うことはできないのだ。
ならば、結局のところそれが早いか遅いかの違い。
だったら最初から、早めに行動した方がいい。
「……では、大結界を起動します」
「ああ」
俺の目に映る、領境の街道に列を成している避難民。
その先頭にいる男の前には、大結界の起動テストにあたってついた焦げ痕がある。つまり、先頭にいる彼から向こうに並んでいる者たちは、救うことができないということだ。
「き、貴様っ! 何をする気だっ!! 貴様などに、大結界が作れるはずがない!」
「……」
「大結界は、唯一フィサエルだけが持っている技術だ! エルフの失われた魔術だ! 貴様のような男に、作ることなど……!」
「黙れ」
喚く都市長に、俺はそう告げて。
極めて冷たい眼差しで、彼を射貫いた。
「俺はただ、新しい大結界を作っただけだ」
「そんなことができるものか! 大結界は、フィサエルにしか存在しない!」
「いいや、ここにもある」
俺は懐に手を入れて、そこにある金属片を手に取る。
これは俺がルキアから譲り受けたものであり、都市長の罪の証。
大結界はフィサエルにしか存在しない――そんな都市長の言葉を覆す、この場に存在する大結界の欠片。
「これが何か分かるか?」
「むっ……そ、それはっ!」
「ある意味、あんたがいたから……俺は新しい大結界を作ることができた。これだけの手本があったからこそ、俺は作り上げた」
都市長へと示すそれは玻璃――のように見える、透明の板。
しかし玻璃と異なり、その硬度も柔軟性も高い素材だ。現在の技術では作ることのできない、『妖精鏡』という素材。
これは、大結界のかつての一部。
そして、俺がより深く大結界のことを理解することができた素材。
「あんたのおかげで、作ることができた大結界だ」
「む、ぅっ……!」
「だから、向こう側からよく見ておけ、都市長」
「えっ……!」
都市長を包んでいる《結界》に対して、魔術式を追加する。
このまま放っておいても、暫くの間は作用し続けるだろう。そんな《結界》に対して外部から働きかけ、動かしていく。
「な、なんだ!? 動いて……!」
「お前のいるべき場所は、こっち側じゃない」
焦げ痕から向こう側へと、都市長の体を《結界》ごと運んで、そこに置く。
数多くの民衆を、これから俺は見殺しにするのだ。
その状態で――この男だけのうのうと生かして、たまるものか。
「《信号弾》」
一瞬で描いた魔術式が、空に向かって信号弾を飛ばす。
緑色の光の玉が、遥か遠くにいるカンナに対して、俺の意思を伝えてくれるはずだ。こちら側の準備が全て整ったら、カンナに合図を出すと伝えてある。
これで起動した大結界に、何の不備もみられなければ――その後は、半永久的に稼働してくれるはずだ。
「お、おい!? あんた一体何をしているんだ!?」
「……」
状況を察してきたのか、先頭にいる避難民の男が、そう俺へ尋ねてくる。
だけれど、俺は答えない。
槍を構えた衛兵によって阻まれ、その地で明確に分けられてしまった、生と死のライン。内側にいる者は生き延び、外側にいる者は死ぬ――そんな、明らかな境界。
その地へ次の瞬間――光が走った。
「なっ――!!」
幾重にも重なった光。
それが遥か遠い丘の上から照射され、半透明の壁を築き上げる。それと共に生じるのは強い熱と、全てを阻む《拒絶》の魔術式だ。
長蛇の列を成していた避難民たちは、大結界が生じると共に弾き飛ばされる。魔物が強い勢いで進軍してきても弾く大結界に、ただの人間は近付くことも叶わない。
「……」
俺もまた、その威容に圧倒されていた。
実際に大結界を構築したのは俺だし、起動した結果も勿論分かっている。だけれど、こうして起動した姿を見ると、改めて凄まじさを感じた。
俺が一から作り上げた、大結界。
これが――ラヴィアス式新型ノーマン大結界マークⅡ。
「え、ええっ……!」
「だ、大結界が……!」
「何故、ここに……!?」
内側の避難民たちが、次々に声を上げる。
元はフィサエルに住んでいた市民もいたのだろう。彼らにとって大結界は馴染みのあるものであると同時に、フィサエルにしか存在しないものなのだ。
それが突然に生じて、この地でザッハーク領との境界を完全に隔てた――その事実に、驚愕の声が上がる。
それは勿論――大結界の向こうで唖然としている、都市長からも。
「――っ!! ――――っ!!」
大結界に阻まれて、向こうの音は聞こえない。
しかし、都市長が何かを叫んでいることは理解できた。きっと、聞く必要もない罵声だろう。
だから俺も、聞こえないと理解した上で、告げた。
「これが――あんたの解雇した『引きこもりのおっさん』が作った、大結界だ」




