都市長の妄言
殴られ、熱を伴っている頬。
突然現れ、俺を殴ってきた相手――それが都市長だったことに気付いて、俺は小さく溜息を吐いた。
はーっ、はーっ、と顔面を紅潮させている都市長は、最後に――解雇を告げられたときに浮かべていた余裕など、全くない憤怒の表情。
意味が分からない。
突然現れて、突然こうして殴られている、その理由が。
殴ってやりたいのは、むしろこっちだというのに。
「おいお前! 何をしている!」
「むっ!? 離せ! 衛兵ごときが私に触れるな!」
さすがに兵士たちのいる近くで、突然振るわれた暴力だ。飛んできた衛兵二人が、都市長を押さえる。しかし羽交い締めにしたり、地面に押さえつけたりするわけではなく、あくまで両腕を拘束するだけだ。
俺はじんじんと痛む頬を押さえながら、できるだけ感情を殺して、都市長を見据えた。
「……久しぶりですね、都市長」
「何が久しぶりだ! この悪魔が!」
「……悪魔?」
「大結界を破壊したのは、貴様だろうが!」
「は?」
あまりにも意味の分からない糾弾に、俺は眉を寄せる。
都市長が何を考えて、そんな発言をしたのかさっぱり分からない。大結界が破壊されたのは、俺という維持管理の人員を都市長が解雇したからだ。俺が寝る時間も惜しんでメンテナンスをしてきた日々を、ただ引き籠もっているとだけ判断した都市長が、大結界にメンテナンスなど必要ないと断じたからだ。
だというのに、俺が大結界を破壊した――そう言ってくる都市長。
どういう因果関係の結果、そんな言葉が出てきたのか。
「……何故、俺が大結界を破壊するのですか」
「大結界を昔、修繕したのは貴様だろうが! 私にクビを告げられたことを逆恨みして、大結界が壊れるように細工をしていたに決まっている!」
「はぁ?」
「貴様が細工でもしていない限り、大結界が壊れるなどありえるものか!」
「……」
ざわざわ、と周囲に騒ぎの波紋が伝わっているのが分かる。
都市長の言葉は、何をどう考えても責任転嫁だ。大結界が壊れたことが自分の責任であると受け入れることができず、解雇した俺に責任を押しつけているに過ぎない。
今ここにいるということは、誰よりも早く逃げてきたくせに。
封印都市の住民たちを守ろうともせずに、ここまで逃げてきたくせに。
だけれど。
それを知っているのは、俺だけだ。
「大結界が壊れる細工を……?」
「で、でも確かに、誰かが細工をしたから……」
「都市長が言っているわけだし……」
「でなけりゃ、大結界が壊れるなんて……」
フィサエルから避難してきた流民たちが、口々にそう呟き始める。
それがどれほど事実から遠く離れていることであっても、『権力者が事実として告げた大きな声』は、強い影響力を持つものである。
衛兵たちが領境を抜けさせてきた、元フィサエルの住民たちが、口々に都市長の言葉を信じていくのを。
俺に――止めることは、できなかった。
「そ、そうよね、大結界が壊れるなんてありえないし……」
「じゃ、じゃあ、あいつが全部の元凶ってことじゃないか!」
「大結界は、あいつのせいで……!」
「……」
冷ややかな目が、俺を貫いてくる感覚。
誰かを原因にすれば、誰かの責任にすれば、誰かの所為にすれば。
そういう、弱い人間の心理――都市長は、それを突いたのだろう。
これは不幸な事故というわけではなく、俺という人間が引き起こした事件であると。
「……都市長」
「なんだっ!」
「俺は大結界の管理部で、あんたに何度も報告書と要請書を出したはずだ。《魔境》の魔物からの浸蝕が強く、管理に手が足りない。だから人員を増やしてくれと、何度も」
「仕事もせずに引きこもっていただけの男が、何を言っている!」
「ああ、そうだな。あんたにとって俺は、ただの『引きこもりのおっさん』だったな。だったら俺は何の仕事もせずに、ただ毎日引きこもって過ごしていただけの無能だったわけだ。だから、あんたは大結界の管理部を解体したんだな?」
「そうだ! 引きこもりの貴様しかいない部署など、必要あるまい!」
「……俺は毎日、外に出る暇もないほど、大結界の修繕に忙しかっただけだ。それを引きこもりって言うなら、好きに呼べばいい」
俺は寝る間も惜しんで、仕事をこなしてきた。
仕事は一切評価されなかったけれど、封印都市の安全を守るために頑張ってきた。
その頑張りを全部否定してきたのは――都市長だ。
「あんたは、報告書を見ていなかったのか? 俺は何度も、雲魔龍が激突してくる百二十四番の大結界が、他の部分より損耗していることについて報告書を書いた。恐らく、今回破壊されたのも、百二十四番だろう」
「そ、それは、貴様が……!」
「だってのに、今度は俺が大結界を破壊した? なぁ……さっきから、何を言ってんのか分かんねぇんだよ」
俺は大きな溜息と共に、周りでひそひそと呟いている連中に向けても告げるように、声を張る。
「お前にとって、俺は何なんだ。大結界を破壊できるほどの実力者なのか? それともただ、封印都市で引き籠もっていただけの無能なのか?」
そもそも、都市長の言葉は破綻している。
少なくとも彼は、俺がいなくなったから大結界が破壊されたと認識しているのだ。
にも関わらず、俺は仕事もしない引きこもりの男であり、大結界の管理部は必要なかったから解体したと宣言した。そして俺を、何の仕事もしない無能だと断定している。
だけれど、そんな無能の俺が大結界を破壊するための細工をした――この理屈の筋が通っていないことは、誰にでも理解できるだろう。
「き、貴様っ! この私にそのような口をっ……!」
「ああ、もうどうでもいい」
怒り心頭という様子で、都市長が衛兵を振り払い、俺へと殴りかかってくる。
だが先程殴られたのは、あくまで俺が都市長からの攻撃を認識していなかったからだ。
俺が扱えるのは、《魔境》の魔物すらも全て阻むことができる《結界》。
「《結界》」
「ぐあっ!?」
一瞬で魔術式を編んで、目の前に輝く透明の壁が現れる。
それは今にも殴りかかろうとしてきた都市長を阻み、激突した。自分が殴りかかった攻撃を、そのまま拳に喰らったようなものだ。
そして、この《結界》は俺の自由に動かすことができる。
つまり。
「なっ!? う、動けんっ……! 貴様! 何をしたぁっ!」
俺が動かした《結界》によって、都市長を大地に押さえつけることも容易だということ。
これが長年、大結界を管理してきた俺の使える、唯一の魔術――《結界》だ。
「お前はそこで、新しい大結界ができるのを眺めていろ」
「なっ!? き、貴様ぁっ!? くっ!?」
「これが、お前の追放した俺の……」
――英雄だよ。
――きみは、《魔境》によって蹂躙される未来を救ってくれた英雄だ
そう俺に告げた、ルキアの声が蘇る。
俺はただ、必死に新しい大結界を作ってきただけだ。英雄になるつもりなんて、これっっぽっちもない。
それでも。
「……英雄の、所業だ」
少しくらいは、誇っていいだろう。




