ルキアと二人
「ふむ……」
大結界の発生装置から生じる魔力の流れを、俺は一つ一つ確認しながら手元の紙に記していく。
発生装置そのものを循環する魔力は、今のところ順調だ。特に生じる魔力が強すぎたり、弱すぎたりということはない。そして本来ならば妖精鏡を用意しなければならないところを、玻璃の板で代用している状況も、特にそれほど強い負荷は掛かっていないようだ。
だが、かといって安心して見ていられるというわけではない。
何せ、理論上は作ることが可能だということこそ分かっていたけれど、こうして大結界を作るのは、人類で初めての試みなのだ。そこには、俺の計算の外にある何かが発生する危険もある。
僅かな異常でさえ見逃すまいと、俺は目を皿のようにしてじっと装置の確認を続けていた。
「うむ。実に退屈だね」
「……ですから、戻ってくれて良いですよ? 明日のこの時間、迎えに来てくれたらいいので」
「残念ながら、そういうわけにもいかないのだよ。最初からきみに、丸二日ほど潰れるとは聞いていた。そのために、わたしも丸二日空けられるように仕事の調整をしたのだよ。だから、わたしは帰る必要がない」
「はぁ……」
「きみのことを信頼していないわけではない。だが、きみを一人でこの場に残しておくわけにもいかないのだよ。彼らの手前、ね」
くいっ、とルキアが顎で示すのは、この場所を守っている衛兵だ。
誰もがルキア――というか、ノーマン侯爵家の縁者で構成されているらしい彼らは、昼夜を問わずにこの場所への出入りを阻んでいる。つまりそれだけ、この場所には表沙汰にしてはいけないものばかりが所蔵されているということだ。
まぁ、最初から視界に入ってはいたのだけれど、妙に豪華な建物があるのは、恐らく倉庫として使っているからだと思う。
「ソル君は、あまり思考と行動を分離させるのは得意ではないのかい?」
「はい?」
「いや、作業を始めると黙り込むことが多いと思ってね。わたしなんて、手元で仕事を捌きながら頭では別のことを考えつつ、部下の質問に答えることも多い」
「……すごいですね」
それは純粋に、賞賛すべきスキルだと思う。
いわゆる分割思考というものであり、頭の中の領域を区別して、そのそれぞれで考えることが異なるというものだ。少なくとも、俺には一生出来そうにない。
「俺は……あまり、得意ではないですね」
「ふむ」
「まぁ、俺の持論ではあるんですけど……人間の集中力って、どう足掻いても十しかないんですよ。十以上には、どう頑張ってもならないんです」
「ほう。興味深い意見だね」
「先程の、ルキアさんの分割思考の場合だと、集中を五と五に分けている状態なんですよ。それで……今みたいに、作業をしながら喋っている場合だと、作業の方に八、喋る方に二ってところですね」
俺は正直、あまり器用な人間ではない。
器用じゃないから、頑張るしかない。他の人間がすぐに出来ることだって、何度も確認してからじゃないと出来ない。
だから――
「俺は……ええと、一つ一つの仕事に対して、十の集中を行わないと納得できないんですよ」
「ほう……」
「あまり、器用な方というわけじゃないんで。なので、返事をしない場合もありますけど、それは集中している状態なので……」
「なるほど。では、わたしは邪魔をしない方が良さそうだね。では、わたしは置物のように黙っておくこととしよう」
「……すみません」
「なに、構わんよ。代わりに、休憩の時間にはお喋りに付き合ってくれ」
ふふっ、とルキアの微笑む声。
その声の主がどんな表情をしているのかは分からなかったけれど、多分許された。
だから俺は、必死に。
僅かにでも異常を見落とすまいと、目を凝らして装置の動きを確認し続けた。
「ラヴィアス式新型ノーマン大結界というのはどうだろう?」
「……いきなりどうしたんですか?」
ひとまず、夜になってきたので一時的に休憩を取ることになった。
さすがに俺も、不眠不休で装置の稼働を見続けていられるほど超人というわけではない。そして、俺と同じタイミングでカンナの方も確認しているはずだから、片方だけが見ていてもう片方が見ていないという事態にならないように注意している。そのため、この休憩時間も、事前に決めていたものだ。
ルキアは宣言通り、この休憩に至るまで一言も発することなく、俺の後ろに居続けた。上司が後ろにいるという状況は、本来ならば仕事がやりにくくなるものだろうけれど、その上司がルキアだからなのか俺の集中が勝ったのかは分からないが、特にそれほど動揺することもなく確認を進めることができていた。
そして、休憩ということで屋敷から持ってきたお茶を用意して。
開口一番、ルキアがそう言ってきた。
「新しい大結界の呼称だよ。同じように大結界と呼ぶわけにもいくまい」
「いや、大結界でいいんじゃないですか?」
「これは歴史に残る所業だ。その歴史に、きみは名前を残そうと思わないのかい?」
「……いえ、別に」
ラヴィアス式といわれても、俺はただエルフの技術を真似ただけだ。俺のオリジナリティなど一つもない。
それに今、歴史に名を残したいとか、そんな野望だって抱いていない。
「ふむ。欲がないねぇ」
「俺は……ルキアさんに拾ってもらっただけでも、人生の幸運を全部使ったと思っていますので」
「そうか。では、わたしの方で勝手に決めることにしよう。何せ、わたしの管轄する領地で新しく作られた大結界だ。その命名権は、侯爵であるわたしに存在すると考える」
「え、ええ、まぁ、お好きにどうぞ」
「ならば、やはりラヴィアス式新型ノーマン大結界マークⅡだな」
何故かマークⅡが増えていた。
一応、この世界では二つ目の大結界ということになるわけだから、マークⅡが必要なのだろうか。いや、普通に考えていらないか。
つまり、ただのルキアなりの冗談だと考えられる。
「それで、ソル君。少し聞きたいことがあったのだが」
「ええ、何ですか?」
冷めてしまったお茶を一口、流し込む。
思っていた以上に喉が渇いていたらしく、すっと体に染み渡るような気分だ。このお茶も、勿論ダリアが淹れてくれたものであるため、なんとなく我が家のような感覚を味わえる。
そう、俺が考えたことを、ルキアは察知したのか。
極めて何気なく、尋ねてきた。
「きみは、ダリアのことをどう思う?」
「……へ?」
「勿論、女性としての意味だ」
「……」
そんな。
今の俺には、非常に答えにくい質問を。




