最終調整の段階
俺がルキアと出会い、唐突に雇われることになり、大結界を新たに作るプロジェクトのリーダーという責任のある立場を任されて、一月弱。
最終調整を行うための人員としてカンナを補充してもらい、また同じくカンナを項目チェック要員に専念させることができたため、思っていたよりも早く。
新たな大結界はついに、最終調整の段階に入った。
「それで、ここに運んだということかい?」
「そういうことです。お忙しい中、無理を言って申し訳ありません」
「わたしはきみの雇用主だ。そして、きみが作る大結界がなければ、今後の領地の運営もままならない。つまり、わたしにとってきみの用事は、最優先で行うべき項目だ」
ふふっ、と俺に向けて微笑んでくるルキア。
というのも、ルキアに荷馬車を用意してもらって、屋敷から大結界の装置を運んだのだ。全体的に玻璃の板を噛ませているため、揺れの少ない最高級の馬車を手配してもらった。
そして、運んだ先――そこは、ノーマン侯爵家の私有地とされている丘の上である。
「ここはきみの要望通り、ザッハーク領との境から程近く、出入りする者を侯爵家が管理できる場所だ。ここに至るまでは一本道しかないし、そこには常にノーマン家の兵士が昼夜問わず見張っている」
「最高の環境です。ありがとうございます」
「なに。元々ここは、そういう目的の場所だ。屋敷に置いておくことができない、多少厄介な代物を保管するための倉庫があるだけさ」
「そうですか」
物凄く気になるけれど、その中身は聞かない。
多分、非合法の物だとは思うけれど、蛇が出ると分かっていて藪を突く愚か者はいないだろう。
「それで、ここに大結界を運んでどうするつもりなのかな?」
「はい。まずこの位置で大結界の構築装置を、まず起動します」
「うむ」
俺は荷馬車から慎重に装置を下ろし、そこに設置する。
ちなみに、ここにいるのは俺とルキアだけだ。この場所はそれだけ厳重に隠されているらしく、俺以外の同行者は認めないと言われたのである。実際にここの警備にあたっている兵士は、ノーマン家の縁者だけで構成されているという徹底ぶりだ。
俺は一応、定期的に装置を確認しなければならないということで、場所を案内されたけれど。
多分、この場所を他の人に漏らした場合、間違いなく俺の首も飛ぶと思う。
勿論、物理的な意味で。
「角度は……もう少しこっちか。うん……これで、装置が起動されました。向こうに、薄く結界が張られているのが見えますか?」
「ほう。確かに、薄く結界があるね」
最初の起動だけは、俺の魔力で行う。
そこからは、装置に刻まれた《循環》の魔術式によって魔力そのものが循環するため、ほとんど維持魔力は消費しない。それでも、週に一度は残存魔力の有無について確認する必要があるけれど。
そして起動した装置から、遠くに照射されているのが新しい大結界だ。その範囲は結界を生じさせる部分が遠いほど広くなり、その分強度も薄くなる。その丁度いい部分――広く保持することができ、尚且つ強度も維持できる場所を選んだ。
「投射する位置は、申し訳ありませんが……これ以上、調整できません。あの結界から向こうの領地は、諦めてください」
「ふむ……だが、ほとんどわたしの領地はないな。僅かに、ザッハーク領にずれ込んでいるくらいだから、これで問題はないよ」
「なら、良かったです。でしたら、四つ起動させます」
続けて俺は荷馬車から二つ目、三つ目、四つ目と下ろす。
それぞれを並べて、大結界が領地との境界を覆えるように、位置を調整する。言うなれば、巨大な壁をずんずん並べているだけだ。
そこで、ふとルキアが眉を寄せた。
「しかしソル君。少し前から疑問に思っていたことがあるのだが、良いかな?」
「はい?」
「壁を幾つも並べて、何故《魔境》を封じ込めることができるのだい? わたしの素人考えだが、壁を幾つ並べたところで、《魔境》の魔物はその横を抜ければいいじゃないか。《魔境》の瘴気だって、壁を並べているだけでは完全に防げないのではないか?」
「ええ」
ルキアの疑問も然りだ。
俺も、大結界の担当に就任してから、疑問に思ったことである。何故、大結界が《魔境》を防ぐことができるのか。
ルキアの言う通り、壁を幾つ並べても封じ込めることはできない。せいぜい直進でやってくるのを防ぐだけであり、迂回する魔物に対して何の効果もないのではないか、と。
だが、フィサエルに設置された大結界は数百年もの長きにわたり、《魔境》を封じ込めている。
つまり、相応の方法があるということだ。
「これについては、フィサエルのやり方をそのまま真似たんですけど」
「ああ」
「《魔境》に住む魔物は、ほとんどが瘴気の中でしか生きられないんです。そして瘴気は、あくまで空気です。ですから、風の流れで侵入を防ぐことができるんですよ」
「風の流れ?」
「ええ。陸地から海に向けて、全体に大結界を張っています。そして地形上、向かい風が吹く領域に大結界の端を設置してあります。これにより、瘴気は大結界を迂回して進むことができません」
「ほう……そこまで考えて作っていたのか」
まぁ、俺のやり方はあくまで、封印都市フィサエルの形を真似しているのだけれど。
潮風の流れで、基本的に逆風となる位置に大結界の端を設置すれば、風の流れによって瘴気が出てこない。そして瘴気が出てこない以上、魔物も出てくることができない。
そして種としては僅かな、瘴気がなくとも生きていられる魔物は、大結界の端から海上に出て、そこから大陸全土に散る。そんな魔物たちを討伐して日銭を稼いでいるのが、冒険者だ。
つまり結界が破壊されない限り、ほとんどの魔物を押さえ込むことができる。そして僅かな外に出た魔物も、いずれは冒険者に討伐されるだろう。
「と……長話をしてしまいましたね。それでは、今から最終調整に入ります」
「まだ何かすることがあるのかい?」
「はい。今、俺は大結界を照射しています。その照射された向こうで、実際に大結界が機能しているかどうかを、調べる必要があります。ですから、俺は今から丸一日、この大結界がどう動いているのか張り付いて見る必要があります」
「ほう……」
「同時に、照射された向こうでは、カンナが全体の大結界の状態を確認してくれています。これを明日照らし合わせて、どこが機能不全を起こしているのか、どの部分に修正が必要なのかを検討します」
「ふむ」
このために、カンナが必要だったのだ。
大結界を遠くから見て、そこに異常が発生しているかどうかを理解することのできる人材――それこそ、あの頃共に大結界の維持をしていた仲間くらいしか、その能力は持っていなかっただろう。
「なるほど……確かに、カンナ君を雇ったのは正解だったようだ」
「ええ、ありがとうございます」
「当然のことだ。仮にきみの後押しがなくとも、わたしはカンナ君を雇っていたよ。何せ彼女も、レベル8あるのだからね」
「……レベル8?」
唐突な意味の分からない数字に、俺が眉を寄せると。
ルキアは、いたずらな笑みを浮かべて。
「ああ、気にしないでくれ。こちらの話だ」
「……はぁ」
そう、唇に人差し指を立てた。




