計画頓挫
エルフ語の専門家を招聘すると、そう話を聞いてから二週間。
俺は普段通りに大結界の修繕を行いつつ、マークⅢの製作計画を立てていた。
かつてマークⅡを作ったときのように、時間が全くないというわけではない。
今のところ、雲魔竜が《白光》を放ってくるタイミングはずれているし、試算において重なるのは約160日後だ。マークⅡの製作に掛かった時間が一月ちょっとと考えれば、できないことはないだろう。
まぁ問題は、そんなマークⅢを作るにあたって、基幹部の調整をしなきゃならないことだ。ルキアが言っていたように、十枚重ねではなく何十枚も重ねられるような、そんな形にしなければならない。
そのために、ルキアはエルフ語の専門家を招聘してくれると、そう言ってくれたのだが。
結論から言おう。
その計画は――頓挫した。
「……すまないな、ソル君。当てが外れたよ」
「いえ……ルキアさんが謝る必要はありません」
王都からやってきた、エルフ語の専門家。
ルキアの顔が広いというのは本当だったらしく、何人もの専門家がノーマン領に来てくれた。実際に専門家であり、王都の学院でもエルフ語を研究している人物が、わざわざ来てくれたのだ。
だというのに――基幹部に関しては、彼らでも理解できなかった。
そもそもエルフの魔術式自体が、未だに解明されていない部分も多いブラックボックスなのだ。そしてエルフの魔術式が現在まで遺っているのは、かつて封印都市で《魔境》を守っていた古代遺物くらいだった。そのため、いくら専門家であるとはいえ、そのあたりの部分は分からなかったのである。
俺も協力して、どうにか理解しようとはしたのだが――。
「だがこうなると……マークⅢを作ることも難しくなってきたな。勿論、製作するのであれば予算は組むが……それでも、以前に言っていたように結局繰り返しになってしまう」
「……そうですね」
マークⅡが破壊された場合のための、マークⅢ。
だが結局そのマークⅢも、再び《白光》が重なってしまったら破壊されてしまう。つまり、マークⅢが破壊されてしまった場合を考えて、マークⅣを作らなければならない――そんな繰り返しになるだろう。
新たに結界修繕のプロフェッショナルとしてガルフ爺さんが仲間になったとはいえ、さすがに重なった《白光》を完全に修繕することは難しい。
「ならば……やはりわたしは、もう一つしか手が残っていないと思っている」
「ええ、そうですね」
ルキアの言葉に、俺は頷く。
「やはり、《魔境》に入るしかない」
それは――かつてルキアに言われた、とても心躍る計画。
その名も『フィサエル型大結界再起動計画』だ。
小型結界を四方に展開し、旧ザッハーク領を抜けてかつての封印都市まで赴き、そこに存在するであろう大結界――それを、再起動させる。
破壊された妖精鏡の代わりに、こちらで新たな妖精鏡を製作して持っていく。それを本来あるべき位置に差し込み、再起動させることは、決して不可能ではあるまい。錬金術グラス――リズには、少々無理を強いることになるけれど。
「小型結界の量産は、可能です。今あるものを増やすだけなら、二週間もあれば」
「魔鉄鋼を大量に発注する必要があるね。さらに、それに加えて再起動のための妖精鏡も必要になる、か。わたしはヨハン・グリッドマンと錬金術師に刺されるかもしれないね」
「彼らも、大口の契約が結べると考えたら良いと思います」
そのあたりは、俺の方からも説明しよう。
ヨハン親方にはもう一度、ニワトリを――『ニワトリが鳴くまで』の発注を強いることになるとは思うけれど。
「では、その方向で行こう。正直、わたしも共に赴きたいところだが」
「……さすがに、それは難しいと思います」
「前人未踏の《魔境》に入るんだ。わたしの好奇心が止められんよ。まったく……今回ばかりは、自分の立場を呪ってしまう」
はぁ、と溜息を吐くルキア。
そんなルキアの視線の先にいるのは、遠隔管理装置の前で仕事をしているガルフ爺さんと、ジュード先輩だ。ちなみにジュード先輩は、新人に対して指導を行っているところである。
もっとも、新人が修繕しようとする前に一瞬でガルフ爺さんが修繕してしまうせいで、指導が上手くいかないとぼやいていた。
「メンバーとしては、ソル君にカンナ君か」
「ええ。それと船の防衛ですが……」
「そこを、ジュード君に任せよう。現状、遠隔管理装置を維持するためならば、ガルフ氏がいれば十分だろうからね」
「はい」
海路で向かい、船を防衛するのがジュード先輩。
俺たちが不在の間、大結界を維持するのがガルフ爺さん。
そして――俺とカンナが、《魔境》に入る。
「あとはアンドレ君に、《浄化》の魔術を使うことができるメンバーを選んでもらうことにしよう。それから……きみたちが《魔境》に赴いている間の食料や、それを運ぶ面々を用意しておく。今できることは、そんなところか」
「はい。では俺は、小型結界を量産します」
「ああ。ひとまず……出発は二週間後くらいと考えておくか」
こほん、とルキアが咳払いをする。
そして真剣な眼差しで、俺を見据えた。
「ただし、問題はきみが……封印都市の大結界を、再起動させることができるかだ」
「……」
「正直、大結界がどのような状態であるかは、行ってみなければ分からない。その結果、修復が難しいようであれば……」
「いいえ」
ルキアの言葉を遮り、俺は首を振る。
「恐らく大結界の本体は、そこまで損傷しているわけではないと思います」
「ほう……?」
「妖精鏡で作られた大結界の基幹部は、破壊されていると思います。形而下の破壊が、形而上にも影響を及ぼしますので。ですが魔鉄鋼でできた大枠は、壊れていないと考えます」
大結界の投射している部位の破壊は、そのまま本体の破壊にも繋がる。
その形而下の破壊が、本体に影響を及ぼさないよう、あくまで投射している場所の魔術式を修正するのが俺たちの仕事だった。つまり形而下で破壊された大結界は、大枠でなく妖精鏡の投射している場所だけ壊れていると、そう考えられる。
だから、恐らく新しい妖精鏡をはめ込むだけで、修繕することは可能だろう。
それに――。
「俺は二十二年、大結界と向き合ってきました」
俺は大結界と、長く付き合ってきた。
一人ずつ解雇され、最後にカンナも解雇され、俺一人になってしまった維持管理部――そこで、俺は一人で大結界と向き合ってきた。
あの日々があったからこそ、俺はここで新たな大結界マークⅡを作ることができたのだ。
その経験こそが、俺の財産。
「修繕できないはずが、ありません」
そして、それが――俺の自信だ。




