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白鷺の乙女たち  作者: 21。
百合の花
25/31

奏と千鶴 1

閑静な住宅街の朝。一軒の家の前にエンジンをかけたままの車が止まっている。 半開きになった玄関扉から漏れ聞こえてくるのは母と娘の会話だった。


「それじゃあ、行って来るから」

「うん、気をつけてね」

「ねぇ、叔母さん来てくれるって言ってるけど・・・本当に一人で大丈夫?」

「お母さん、私中3よ?一週間くらい大丈夫」


これから出張に出かけようという母に、都内の中学校の制服を着た娘が笑う。

樫本千鶴(かしもとちづる)は多忙な両親の元に生まれた。父親は海外へ出張中で一ヶ月ほど顔を見ていない。


「まぁ、何かあったらすぐ来てもらいなさい」

「わかってるから。ほら、会社の人待ってるよ」


“早く早く”とせかす娘をまだ心配そうな顔で見ながら、やっと母親が外へ出る。

車の運転席で軽く頭を下げる男性は彼女の部下で、夫婦揃って夕食を共にしたことも何度かある。千鶴は深く礼を返し、車のトランクに荷物を積み込んだ。


「はい、いってらっしゃい」


背中を押すように、にっこり笑う娘にため息をついて母親が助手席のドアを開ける。

どうしても外せない出張とはいえ、一人娘を残して何日も家を空けることには抵抗があるらしい。千鶴がどれだけ大丈夫だと説いても、今日のこの日を迎えるまでに彼女は何度も出張を取りやめられないかと画策していたのだ。結果、2週間の出張を半分の1週間に縮めることに成功したのである。


「じゃあ、留守中頼んだわよ」

「はいはい」


ほどなく、母を乗せた車が発進した。その姿が見えなくなるまで見送ると、千鶴は深く深呼吸して慌しく家の中へ戻っていった。



バタバタと駆け込んだのは自室ではなく、母の衣裳部屋だった。

小さな部屋ではあったが、デザイナーの母にとっては宝物庫だと言われ育ち、めったに立ち入ることはない部屋である。

千鶴はまっすぐに部屋の奥まで進み、備え付けのクローゼットを開くと、また迷うことなくその中の一着を取り出す。それは、クリーニングの袋がかけられたままの深い紺色の制服だった。


「・・・よし」


決意を固めるように制服に向かって頷くと、袋を破かないように外し、それに着替えた。

脱いだ制服もそのままに姿見の前に立つと、そこにはどこか違和感のある自分が映っている。だが、保管状態が良かったのか、その制服は決して古い物には見えず、サイズもピッタリのようだ。

肩にかかりそうなショートボブの黒髪にお気に入りのカチューシャを付け、鏡の前でくるりと回る。

おかしなところはないようだと確認すると、革の通学用鞄を手に家を出た。

向かった先は自分の通う中学ではなく、白鷺学園の高等部だった。


学園への通学路から一本外れた道に身を隠し、道行く少女達を確認する。

制服、通学用鞄、黒のソックスに革の靴。今の自分が彼女達とまったく同じ姿であると確認すると、2度大きく深呼吸して談笑する少女たちの後ろに滑りこんだ。

ちょうど最後尾についたらしく後ろからは誰も来ない。前の少女達ともそっと距離を取り、やや俯きながら歩き続けた。



そうして正門に辿り着くころには、何人もの生徒に囲まれる形になっていた。

談笑しながら千鶴の横をすり抜けていく者。急ぎ足で教室へ向かう者。できるだけ生徒たちの目に触れないように、目立たないようにと千鶴は俯きひたすら校舎へ向かって歩き続ける。


「ごきげんよう」

「!!」


それでも、通りすがりに声をかけていく生徒もいる。そのたびに心臓が破裂しそうになり、顔を見せないように会釈を返すしかなかった。

その様子に首をかしげる生徒も何人かいたが、千鶴はなんとか昇降口まで辿り着くことができた。

だが、さっそく問題に突き当たる。

周囲の生徒達は当たり前に自分の下駄箱から上履きに履き替えて校舎の中へ消えていく。だが、千鶴にそんなものがあるはずもない。 なんという初歩的なミスだろうか。

いつまでもここにとどまっていては怪しまれる、とオロオロしていたその時だった。


「あなた、どうしたの?」


背後からの声に反射的に振り返ると、そこには黒髪を肩の下まで伸ばした美しい少女が立ってた。


『うわぁ・・・美人・・・』


思わず見とれてしまった千鶴に少女が首を傾げる。


「なにか、お困り?」

「え?!あ、え、えっと・・・上履きを、忘れてしまって・・・」


しどろもどろになりながら答えると、少女は下駄箱のすぐ隣にある3段ほどの小さな棚を手で指した。

見るとそこには小さな棚があり、一段に一組ずつ上履きが鎮座している。


「あそこにあるのは、そういう方のための救済処置だから使って大丈夫よ」

「あ、そうなんだ!?ありがとう!」

「どういたしまして」


少女は優しく笑って下駄箱へ進んだ。千鶴も棚から一つ上履きを拝借する。


「あなた、一年生よね?」

「え?!」

「ここは1年生の昇降口だものね」


少女が上履きを履きながら自分を見ていた。胃がキリキリと痛む。

逃げようかとも思ったが、純粋な笑顔で自分の答えを待っている彼女に無礼にも背中を見せて走るなどできなかった。

気づけば周囲にはもう少女以外には誰もいない。バレそうになったら逃げようと決め、千鶴はやっと小さく頷いた。


「同じ学年なのに初めてお会いするわね」

「え?!あなたも1年生?!」

「えぇ、もちろんそうよ」


血の気が引いた。もうダメだ、そう一歩下がった時また少女が優しく笑った。


「違うクラスの方とはなかなかお話もする機会がないから、嬉しいわ」


疑う素振りも見せないその笑顔に、千鶴は呆気にとられるしかなかった。

“あなたはどこの誰なの?どこから入ってきたの?”と問い詰める代わりに


「私は5組なの。お名前、うかがってもいいかしら?」


と優しい声で問いかけてくる。


「樫本・・・です」

「樫本さん、ね」


あまりに警戒心の薄い少女の復唱で、やっと自分が答えてしまったことに気づくほど千鶴は彼女に引き込まれていた。


「私は國永香澄です。それじゃ、ごきげんよう」


聖母のような笑顔を残して、彼女は千鶴に背を向けた。

さらりと揺れた黒髪まで美しい、と余韻に浸っていた千鶴を急き立てるようにチャイムの音が鳴り響いた。


「うわっ隠れなきゃ・・・!」



授業中に教室外をウロウロしていたのでは目立ってしかたがない。

予鈴が鳴ると、千鶴はあらゆる所に身を隠した。

トイレ、中庭の掃除用具入れ、体育館の裏、そしてまた別のトイレへ、行く先々に身を潜めながら校内を見て回った。

大きな図書館、中庭の立派な藤棚、そこを行き交う生徒達。背筋を正し、ゆっくりと歩く姿。笑う時も鈴を転がすように笑い、廊下を走る音も聞こえない。そういった姿を目にするたびに千鶴は憂鬱になっていくのだった。


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