森にて薬草採取をしよう
登録方法はいたって簡単で一枚の紙に名前と年齢、性別を書いて所定の場所に自分の拇印を押せばいいだけであった。
そういえばここに来る前にクーエルが言っていたけど、本当に問題なくこの国の文字が書ける。見たこともない字体の筈なのにスラスラとペンが進むし、自分が何て書いているのかも理解することができる。
全く、本当に不思議な気分だ。少し気持ち悪くもあるがこれも慣れるしかないだろうな。
「これでいいですか?」
俺は一通り書き終わると受付の女性に紙を渡した。
「名前に年齢に性別と……はい、これで大丈夫です。それでは後は御手数ですがこちらの方にお客様の指で印を押していただけますか」
そう言われて、何やら濃い紫色をしたインクのようなものを手渡された。
その時、俺はふと考えた。あれ? こういうのってどの指で押すのが普通なんだっけ? 俺の記憶が正しければ確か親指だった様な気がするんだけど。こういうのってあんまりやったことがないからよく分からないんだよな。
うーん…………まぁ、いいか。そもそもここは異世界でそういうことに関する常識があるかもわからないし。とりあえず適当に押せばいいよね。
という訳で俺は結局、右手の親指で印を押すことにした。紙にくっきりと親指の指紋がうつる。
これで登録に必要な記入事項は全て書き終わった。
「はい、ありがとうございます。それでは今日からあなたはヒルグラウンド・モートリアム支部の所属者になります」
モートリアム支部ってことは他の場所にも同じような場所があるんだろうか。もしかしたらここは俺が思っているよりも大きな組織なのかもな。
「あ、そういえばまだ自己紹介をしていませんでしたね。私、このモートリアム支部で受付を担当しております‘エストニア・マルチーク’と申します。これからよろしくお願いしますね」
エストニア・マルチーク……。またすごい名前の人が来たな。
「あ、は、はい。俺は荒崎 達也といいます。これからよろしくお願いします」
お互いに自己紹介をしてぺこっと頭を下げる。この動作を俺はこの世界に来て何回やっているのだろうか。異世界に来てもぺこぺこ頭を下げている自分が少しだけ虚しくなった。
「それでは早速なのですが何かご依頼を受けてみませんか? 今なら簡単な仕事の依頼もありますし」
おお、早速ですか。正直な話、この世界のことをまだあまりよく知らない状態で仕事なんて出来るのか不安でしょうがない。
けれどもここで一体、どんな仕事が出来るのかまたどんな仕事があるのかを確認することのできるいい機会でもある。
「簡単な仕事ですか……ちなみにどんな依頼なんでしょうか」
「えーとですねー」
試しに聞いてみるとエストニアさんはカウンターの奥から一束の書類のようなものを取り出してきた。
え、そんなに仕事の依頼あるんすか。皆、結構利用してるのかなここ。
「一番簡単なのはこの薬草採取の依頼ですかね。北に位置する森の中に‘エポナ草’と言う薬草があるのですが、それを二十個ほど採ってきていただくというものになります」
北の森ってことは、俺が最初に倒れてた場所だよな確か。本当に俺とあの森には何か不思議な縁でもあるんだろうか。
「薬草採取ねぇ……。あ、でも俺えーとそのエポナ草でしたっけ? ってどんなものだか分からないんですけど」
そもそも薬草なんてものに関する知識なんて、俺は一切持ってない。採ってくるものが分からないなんて最早、論外なんじゃないだろうか。
「それなら心配ありませんよ。そういう人のために、こちらもちゃんと準備してありますからね」
そう言ってエストニアさんはどこからともなく少し分厚めの辞典のようなものを取り出した。っていうか本当にどこから出したんだ今。そっちのほうが気になってしまう。
「これはこの地域に生息している動植物や危険生物などを載せている図鑑です。これがあれば荒崎さんでも簡単に薬草を見つけることができますよ」
「はぁ」
渡されたその図鑑とやらを見てみると中にはものすごくリアルに描かれた動物や植物の絵。見たこともない生き物や聞いたこともない名前のオンパレードだった。
一枚、一枚の絵にびっしりと説明書きがされており少しだけ目が痛くなりそうだった。
「これは、すごいですね」
「そうでしょ。初めて依頼を受けてもらう方にはこれを見ながら仕事をしてもらうのが基本なんです」
なるほど、そういったサポートはきちんとしているわけか。
「それで、どうします? この依頼受けてみますか? それともやめときますか?」
エストニアさんに最後の意思確認をされた。まぁ、ここで色々悩んでても進まないしな。
「そうですねぇ……じゃあ」
それから数十分後。俺は例の図鑑と、エストニアさんから渡された麻のような物でできた大きめの袋を片手にもち森の中を歩いていた。
結局俺は依頼を受け、そのまま森に来てしまっていた。一応期限はまだあるようだったのだが、どうせやるなら早めに片付けておきたかった。俺の性格上、一度放置すると中々やらないからな。
「さてと、どこにあるのかな」
どうやらこのエポナ草とやらは森の至るところにポツポツと生えているらしく、特徴としては黄色いふわふわとした綿が茎の先端に生えており、葉などの部分は茶色い色をしているようだ。
絵まで書かれてるし、見つければすぐに分かるよな。そう思いながら草むらの中をキョロキョロと見回す。
「お、あれは」
早速それらしきものを発見した。近づいて見てみるとそれは、図鑑に書かれた特徴と絵にそっくりな植物だった。というか多分これがエポナ草なのだろう。日本では見たこともない独特な形をして生えているエポナ草は、ただの植物の筈なのに妙な不気味さが漂っていた。
図鑑には無害って書かれてるから何も心配はないのだろうけど……何というかあまり触りたくはなかった。
「と、とりあえず引き抜かないとな」
俺は恐る恐る茎の根元の部分に手を伸ばす。そして覚悟を決め、がしっと思い切り掴むとそのまま勢いよく引っこ抜いた。
「おお、採れた!!」
引っこ抜いたエポナ草を見ながら俺は少しだけ感激していた。異世界で見たことない薬草を採取した。これはある意味貴重な体験だよな?
俺は手に握っているエポナ草のワタの部分を軽く触ってみた。
「うお~すげぇ、ふわふわしてる。なにこれすごい柔らかい」
自分が想像していたよりもワタの部分はふわふわしていて、高級な枕の中身とかに使われてるものと大差ないんじゃないかと思うほどだった。
「ふわふわ~……はっ!! こんなことしてる場合じゃない。どんどん採取していかないと」
麻袋の中にエポナ草を入れると俺は更にどこかにないかとキョロキョロ辺りを見回した。
しばらくして、
「ふぃ~、後三つか。意外と探すもんだな、エポナ草」
森に来てから結構時間が経ったように思える。この薬草生えているところには生えているが、見つからない場所には全然見当たらない。もっと簡単にポンポン見つかるもんだと思ってたけどそうでもなかったなぁ~。もっと森の奥の方に行けばたくさん生えてるのかもしれないけど、あんまり進み過ぎるとまた迷うかもしれないし。地道に探すしかないよな。
そう思っていた時だった、
「ん?」
今何か聞こえなかったか? 動きを止めて耳を澄ましてみる。しかし、聞こえてくるのは鳥のさえずりと風が揺らす葉っぱの音だけだ。
「気のせい、かな?」
うーん……こんな場所に一人で来てるもんだから少し神経が過敏になってるのかもな。
まぁ、仮に何かいたとしてもこの森の動物とかは穏便でこちらが何かしないかぎり人間に害を加えないそうだし、危険生物? とやらも日が出ているうちは滅多なことがないかぎり人前に姿を現さないし、動物と同じくこちらが何かしないかぎり襲ってきたりもしないとエストニアさんが言っていた。
とりあえず、変なことしなければ大丈夫ってことだ。
「まぁ、いいか。それよりも薬草薬草っと」
再び俺は草むらの中を見渡していく。草むらの中を目を凝らして見ていくと、俺はあるものに気づいた。
草むらの一部が何やら真っ赤に染まっている。青々と茂っている草の中でその不自然に染まった色は、凄まじい違和感を放っていた。
近づいてよく見てみる。するとその部分から微かにだが鉄臭いような独特な匂いがした。軽く触ってみると少しだけヌメリ気もあった。
「これって……」
俺は少し嫌な予感がしていた。この色にこの独特の臭い、俺が昔怪我をした時に嗅いだことのある臭いだ。その時は、思い切り転んで膝から血が出るくらいに擦りむいていた。
血……。そうだ、これは多分誰かの血だ。何か、かもしれないがとりあえず今は置いておこう。
それよりも今問題なのはもしこれが本当に血なのだとしたら、どうしてこんなところにその血痕があるのかということだ。しかも、まだ完全に乾いていないあたりから察すると結構最近付けられた物のようだ。
「もしかして、まだ近くにいるのか?」
そう思い辺りを見回してみる。すると先程まで気づかなかったが、同じような赤色に染まった葉が所々にあるのが分かった。
この辺に集中してるってことはこの近くにいるってことか? もしかしてさっき聞こえた何かの音は気のせいじゃなかったんだろうか。
そう思っていた時だった、茂みの中で何かが動くような気配がした。
「んん?」
その気配がした方を向くと、草むらがゆらゆらと不自然に揺れているのが見えた。まるで何かがこちらに向かってきているかのようにその不自然な草の動きは近づいてきている。
それを見た俺は思わず後ずさってしまう。何だ? 何が来てるんだ一体? 嫌な汗が体中から出てくる。草むらから視線を外さずに後ずさっていくと、いつの間にか後ろには木がそびえ立っており気づかなかった俺は思い切り背中をぶつけてしまった。
「ぬおっ!! え、ちょ!!」
色々テンパっていた俺はその木を避ければいいだけの話なのにまるで追い詰められたかのような気分になっていた。前を向けばその迫り来る何かはもう目の前までやってきていた。そしてついにそいつはその姿を現した。
「グルルルルルル…」
草むらから出てきたのは何と一匹の白い毛並みをした動物だった。まるで狐のような顔、その周りにはライオンのような立派なたてがみ、頭には羊のような角が二本、ふさふさした毛並みのスマートな体、狼のような尻尾。
何というか色々な動物がごちゃまぜになったかのようなよく分からない動物だった。
よく見れば、白い毛並みは所々赤く染まっていて、痛々しく血を流している部分には何かに斬られたかのような傷がチラホラと見える。どうやらあの血痕の主はこいつだったらしい。
「ヴゥ~……ヴゥ~……」
うわー……すげー威嚇されてるよ。え、何で? 俺何もしてないよね?
「お、おい落ち着け。俺は無害だ、ほら無害」
言葉が通じるのかどうかも分からないが、とりあえず相手を落ち着かせようと俺は両手を軽く上げてそう言ってみた。
「グルルルルル!! ヴァヴ!!」
が、駄目!! そりゃそうか、動物が人間の言葉理解できる訳ないっての。
むしろさっきよりも威嚇されてるっていうか、もう今にも噛み付かれそうなんですけど。どんどん近づいてきてるし。
どうしたもんか。走ったら逃げきれるかな? あっちは怪我してるんだし今なら勝てそうな気もするんだけど。そう思っていた時だった、
「グルル……ゲハッ!! ゲハッ!!」
突然、咳き込んだかと思うとそいつは急に地面に倒れ込んだ。さらに口から勢いよく血を吐き始めた。
「おいおいおいおい!! 大丈夫かよ!」
尋常じゃない状態に思わず俺はそいつに近づいていた。こんな状況になっても威嚇するのをやめようとはせずしきりに唸っていたが、それも先程までの勢いはなく只々弱々しい鳴き声のようになっていた。
「ヒュ~……ヒュ~……」
ついには呼吸までもが弱々しくなり体も徐々に動かなくなっていく。これはマズイな。
俺は慌てて右腕をそいつにかざした。こいつを治したいというイメージを集中させていく。そして、右腕がうっすらと青く光っていく。よし、いける!!
「頼むから元気になっても襲わないでくれよ!!」
そう祈りつつ俺は例の言葉を唱えた。
「レイズ!!」
そして苦しそうに横たわっているそいつの体が黄色い光に包まれると、光は一瞬でそいつの体の中に吸収されていった。
光が完全に消えた頃にはそいつの体からはあの痛々しい傷や、血の跡も全部綺麗に消えていた。
「ふぅ~……上手くいった」
俺はその場に座り込んだ。やっぱりこの瞬間は緊張してしまう。
そいつは何が起こったのか分からないといった風に辺りをキョロキョロと見回すと、すくっと体を起こしこちらの方に向き直ってきた。
「グルルルルル……」
ん? 何かこっちきたよこいつ。 え、大丈夫だよね。噛み付いたりしないよね?
そしてそいつは俺の目の前まで来ると、俺の足の上に前足を置き顔を近づけてきた。
「ちょ、何何何何!!」
そして、
「くぅ~ん……」
「へ?」
何故か俺の顔に頬ずりをしてきた。さらにそれだけではなくペロペロと顔を舐め始めてきた。
「ぬわ!! ちょ、やめろって!!」
顔がベトベトになるだろうが!! 必死に抵抗するがこいつ以外にも力が強くて中々引き剥がすことができない。
やめて!! 顔が、顔がヨダレ臭くなる!! いや~~!!
結局その後しばらく俺は顔を舐め続けられていた。すっかり顔中ベトベトである。
やっとこさ離れてくれた後も俺の前でお座り状態になり、尻尾をブンブン振っている。一体なんなんだこいつは……。
「さてと、ほらお前も怪我が治ったんだから早く森に帰りなさい」
そう言ってみるも相変わらず動く気配がない。まだ動きたくないのだろうか?
「はぁ~、まぁいいや。じゃあ俺は行くからな」
そして俺は草むらの中を一歩踏み出した。すると後ろの方で何かが動いた気配がした。振り返ってみるとあいつが一緒に動き出していた。しかも振り返った瞬間に律儀にまたお座り状態に戻っていた。
「…………」
ふむ、なるほど。俺が動けばこいつもついてくると。
俺はチラッとこの謎の動物を横目に見た。すると
「アヴッ!!」
尻尾を振りながら元気よくこちらに向かって鳴いてきました。
……うん、どうしよう。
今更ですが、あけましておめでとうございます。
ここで一句。
お正月 なって早々 ノロ罹る
皆様も風邪には気お付けてくださいね(´;ω;`)ブワッ




