2話
どんな小さな集落でも、必ず一つはある神殿。
全ての平民の子供は、この神殿に通わなければならないと、法で決まっている。
神官から言葉遣いを習うため。それも普通の言葉ではなく、生活のために必要な、魔術の呪文をだ。
「お手本を示しましょう。『火の神よ。その御手に灯る火をお貸しください』」
黒衣に身を包む神官が手を掲げながら、綺麗な言葉を口から放った。普段人々が使う言葉ではない、古い時代の言葉による呪文だ。
呪文が完成すると、神官が掲げていた手の先に拳大の火が出現した。
十秒ほどして、その火は消えた。
「呪文を正しく発音すれば、魔術は必ず発動します。少しでも発音を間違えれば、魔術は発動しません。例を示しましょう。『火の神。その御手に灯る火をお貸しください』――ほら、一つ言葉が足りなかっただけで、この通り発動しません。では皆さん、正しい発音を意識して、この火を灯す魔術を練習してみましょう」
神官の号令に従い、村の子たちが魔術の練習を始める。
「『火のかむよ――』」「『火の神よ。その手の火を――』」「『火の神。御手に灯る火を――』」
神殿に通い始めたばかりの幼い子たちが、言葉を正しく発音できなかったり、うろ覚えで言葉が足りない呪文を口にする。もちろん魔術は発動しない。
神官は、その幼い子たちに寄り添い、間違えている部分の呪文を指摘し、修正していく。
一方で、もう何年も神殿に通っている子たちはというと、楽々と呪文を完成させて魔術を発動していた。
「『火の神よ。その御手に灯る火をお貸しください』――どうよ。完璧だろ」
「『火の神よ。その御手に灯る火をお貸しください』――威張るなよ。こんなの簡単な呪文だろ」
得意げな子たちに交じり、カリも呪文を口にする。
「『火の神よ。その御手に、灯る火を、お貸し、ください』」
一つ一つの単語を丁寧に区切った呪文の詠唱。
発音が綺麗であるため、神官のような流暢な喋り方ではなくとも、魔術は発動した。
カリが魔術を発動させられて安堵していると、ドンと背中を強く押された。
父親が死んでから、まともな食事が取れなくなって、痩せてしまった体では、その衝撃に耐えられなかった。
「うわっ!」
カリは悲鳴を上げながら前に倒れた。
そんなカリに、背中を押した人物が笑い声を浴びせてきた。
「かかかかっ。どんくさいヤツだな。流石は小作人になったマヌケの子だ!」
不躾な暴言に、カリは起き上がりながら下手人を睨みながら言葉を放つ。
「何をするんだ、アフ。危ないだろ!」
アフと呼ばれた子供は、カリと同じ六歳だが、体格は倍以上あった。
年上の子供と比べても、一回りほど体格は大きい。
この体格の差は、アフは獣人種の祖父と鉱人種の母の血が入っていることで、純人種よりも若くして大柄になり易いからだ。
そんな見るからに力自慢な体格をしているアフは、鼻息を吹きながらカリを睨む。
「ふんっ。小作人の子のクセに、魔術を使ってんじゃねえぞ」
理論もなにもない悪口に、カリは立ち上がりながら言い返す。
「魔術の呪文が言えないからって、僕にあたるなよ」
カリが言ったように、アフはクセの強い言葉遣いをしている。この喋り方が、様々な混血であるアフの口の構造的に、喋り易いからだ。
だが正しい発音と言葉でないと、魔術は発動しない。
つまるところ、アフの口だと呪文はとても言い難いため、カリと同じ年齢にもかかわらず、いままで魔術の発動が一つとして成功していない。
「な、なんだと! 小作人になったクセに!」
憤慨したアフが、再びカリを突き飛ばす。
このアフとカリのやりとりは、カリが魔術を成功させて以降、もはやお馴染みになっていた。
今までなら、年上の子供が止めに入ってお終いだった。
しかし、カリが畑持ち農民の子から小作人の子に立場が変わってから、仲裁に入ってくれる子供は現れなくなった。
助けてくれていた子たちは、カリの姿から目を逸らして魔術の練習に戻っていく。
むしろ、これまで仲裁に入って来なかった子の中には、理不尽な理由で暴力を行うアフに味方する者が現れていた。
「やれ、アフ! 小作人に思い知らせてやれ!」
「小作人が、偉そうにすんな!」
心無い暴言をぶつけられて、カリの顔に怒りの色が浮かぶ。
体は痩せてしまい、立場も小作人の子になった。
だからといって、大人しくやられてやる道理はない。
「なんだと、このバカ!」
カリはアフに飛び掛かった。体格の差で負けることは分かっていても、意地は見せてやるという意気込みでだ。
不意打ち気味に全身で飛び掛かったことで、体格の良いアフでも受け止めきれなかったようで、二人して地面に倒れ込んだ。
「何しやがる、この小作人が!」
「小作人だから、なんだってんだ!」
二人で取っ組み合いをしていると、いきなり二人の頭に「ゴンッ」と音と共に衝撃が走った。
「いぎゅぃ!」
「おごあ!!」
二人が頭を押さえて蹲ると、またもや「ゴンッ」と音が鳴った。カリが涙目で音のした方を見ると、悪口を言っていた子供たちが頭を押さえて蹲り、その近くで怒り顔の神官が立っていた。
「神聖な場で悪言と喧嘩をするなど、恥を知りなさい」
厳粛な言葉遣いで注意されても、カリは納得がいかなかった。
「僕は馬鹿にされた側なのに、なんで叩かれないと――」
文句を口にした途端、再び神官から脳天に拳を浴びせられた。
「うぎぅ!」
「反省が足りないようですね。ここは神殿で、そして今は魔術を学ぶ時です。どんな事情があろうと、神の教えに背くこと、そして魔術の勉強以外のことをやるんじゃありません」
「……ごめんなさい」
カリが涙目で謝罪すると、神官は顔から怒りを消した。
「よろしい。では、生活用の魔術を成功させている子は、戦闘用の魔術の練習へ。ちゃんと体内にある魔力――魔央の魔力を使い切るよう心掛けながら、練習に励むように。成功させていない子は、練習の続きです。アフ、君は元気が有り余っている様子なので、付きっ切りで教えましょう」
「そ、そんなあ!」
神官の手によって、アフはカリから引き離された。
カリは災厄が去ったことで安堵するのと同時に、改めて学びの場の空気が以前とは変わったことを実感していた。
いま子供たちがカリに向けている目は、冷ややかだ。
畑持ちの農家の子は、小作人の子なら立場を弁えろと言わんばかりの、蔑んだ目を向けている。
小作人の子にしても、農家から小作人に落ちたことを笑う目だったり、厄介事を持ってくるなと倦厭する目を向けてきている。
カリはこの段階でようやく、今までとは違って、子供の中に自分の味方はいないのだと実感せざるを得なかった。




