2-7アンドーナツ作戦②
今、私の目の前で、深々と頭を下げるイーサンが跪く。
この光景に、なんとも言えない優越感で満たされる。彼は、アリアナ特製のアンドーナツを食べて、私を馬鹿にしたことを詫びているのだ。
一流の料理人を雇う我が家でさえ、一度もお目にかからない代物である。
ちょっと……いや、彼の中では相当に痛いお嬢様が、たった一人で作ったのだから、度肝を抜かれたのだろう。
一口頬張った途端。彼の仏頂面が崩れていくのは、なかなかもって気分が良かった。
「お嬢様に料理の才能があるとは、存じ上げず、大変失礼なことを申し上げました」
と言いながら、運び出すために箱へ収めたアンドーナツを、ちらりと見たな、こいつ。
その動きを見逃す訳もない。どうせ、もう一つ食べたいのだろう。こちらは悪役令嬢だ。今まで無駄に使っていた、目ざとい観察力を、舐めて貰っては困る。
たまには悪役スキルも、本来どおりの使い方をしてやろう。
「そのまま反省しているといいわ。人のことを端から何もできないと決めつけるのは、良くないと、分かったでしょう」
「はい。なんとお詫びしてよいか。よろしければ、お嬢様がドーナツを配るのを手伝いましょうか」
「いいえ。ゲビンがいれば十分だし、イーサンはどうせ、つまみ食いでも考えているんでしょう。アンドーナツは、これ以上あげませんから」
「それでしたらお嬢様。このあともしばらく、この城で、お過ごしになってください。是非また、ドーナツを作りましょう」
「駄目よ。ブライアン様が迎えに来たら帰る予定よ。彼はいつ来るか分からないけど、王都の荷馬車は使用予定があるの。小麦を積み込んだら、早々に二人は帰してちょうだい」
「左様でございますか……」
……と、がっくしと項垂れる彼の様子から、どうやらドーナツを相当気に入ったようだ。
この状況に思わず、にまりと笑みがこぼれる。
……そう。
私が思っていたとおり、このロードナイト王国の人にもアンドーナツはウケるってことが分かった。
まあ、アンドーナツを作るとなれば作業は大変だったけど、中に入れたドーピングが、小豆の皮と似通って、分かりにくいから打って付けである。
イーサンが領地内を駆け巡った昨日。私はというと、到着早々準備に取り掛かった、アンドーナツ作りに没頭した。
名目上は、小麦を刈る有志への礼だが、実情は台風に備えた自衛策である。
となれば、一人でも多くの領民に食べてもらうべく、兎に角たくさんバラまけるように、少し小さめのアンドーナツを量産した。
これを作った人間の特権として、一番乗りで味見をしてみたが、思わず二つ目が欲しくなる出来だった。
この国で珍しいコレは、控え目に言っても売れば流行り、一儲けできると思う。
アリアナを小馬鹿にしていた執事を「ギャフン」と言わせ、一気にご機嫌になった私は、意気揚々と領地内を配り歩くため、早朝から動き出す。
この荷馬車の車輪は少し歪んでいるのだろう。ガタガタと大袈裟な音を立てて揺れる振動に、すっかり慣れたもんだ。
「……ブライアン様。どうしているかな」
このドーナツを作る際、彼の笑顔が何度も頭の中を過った。
何を隠そう。このドーピングは、彼が私に持ってきた花束。それに、これでもかと、たくさん入っていた花だ。
純白の小さくて可愛い花が集まり、手まりのように見えるアリッサム。
その時の無垢な色合いは、既に失せているけれど、乾燥させた花は麻袋に詰めてきた。
彼からこれを贈られた時は、彼の気持ちが全く信じられず、そっぽを向いてしまった。出会ったばかりの私に、彼の立場で優しくするのはあり得ないと思い込んで、酷いことをした自覚はある。
無駄な意地を張らず、ちゃんとお礼を言えばよかったと、今になって思う。
小豆。もとい赤豆を火にかけて、夜な夜なかけて作った粒あん。その中に、アリッサムの花を入れて、『白夜のように照らし続けよ』と声を届けた。
そうすれば、思っていたとおりの反応が起きた。
眩しくて目も開けていられない光りを見るのが三度目ともなれば、「見慣れた」とは言わないけど、驚きで感動するほどでもない。
その後は、流れ作業のように、どんどんとアンドーナツを作り続ける自分がいた。
早々にドーピング済みの私は、誰も近寄り難い気迫を漏らしてのだろう。
厨房の皆からは、得体の知れないものを見るかのように、遠くから白い目で見られた。
アリッサムの効果は、身体強化。おおむね十日は筋力も体力も普段の三倍に跳ね上がる。
領民の皆には、さっさと小麦を刈り終えてもらい、台風当日は、各々が安全な場所に避難してくれたらそれでいい。
我が家だって使えるはずだ。どうせ空き部屋ばかりなんだから、こんなときに使わずいつ使うのか。
……いよいよ今日で、私もお役御免。
我が家に、もう一部屋空き部屋が増える。
このときの私は、イーサンをギャフンと言わせ、大事なことを見落としていた。
なにより、とんでもない人物に遭遇するとは露とは知らずに、最高潮に浮かれていた。
王都から遠く離れたこの場所に、いるはずのない人たちが、何故。
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