1330 そして現代へ
「ッ!」
またあの頭痛だ。
だがもう慣れた。
いずれこの症状ともお別れになるだろう。
それはもう分かっていた。
分かるようになっていた。
記憶の統合には時間が掛かる。
この世界のオレの場合、五年以上を要したと思われる。
何しろ以前の記憶との齟齬が大きい。
いや、この世界だが共通点は数多くある。
同時に大きく異なる点も数多くあった。
だからこそ、記憶の統合に長い時間が掛けられたと思うべきだろう。
授業中、オレの様子に気付いた生徒はいないようだ。
生徒の一人が黒板に回答を書いている所だった。
先生はその様子を見ている。
問題ない。
いや、黒板に書かれた数学の問題は解いてあるのか?
・・・大丈夫。
ちゃんとノートに書いてあった。
先生が回答について解説を始めた。
オレは半ば聞き流しつつ、机の中にある教科書を二冊、取り出した。
それは歴史教科書。
日本史に世界史。
記憶の統合は確かに済んでいる。
でもオレは困惑していた。
早い段階で確かめておきたい事があった。
「・・・随分と違うものだな」
思わず声に出た。
ここは図書室。
オレの他にも生徒はいて静かに自習している。
昼休みの時間に真面目で結構。
・・・オレはどうだっただろうか?
不審に思われる自信ならある。
だがオレを気にする様子は感じ取れない。
大丈夫。
改めて確認、整理しておこう。
現在は西暦二千年、平成十二年。
生徒は夏休みを前にした期末テストに集中しつつある。
ニュースの話題は沖縄サミットからシドニーオリンピックへと切り替わりつつあった。
違和感が大きい。
何しろ歴史の流れが全く異なる。
いや、共通しているような部分もあるのだがかなり違う。
事前に警告されていた通りだった。
オレの知る沖縄もシドニーもこの時期は復興途上だったのだ。
サミットもオリンピックも開催出来る状況じゃない。
これまでキースの記憶を放った世界は平行世界の中でも似通っていた。
元々、そういう世界の集まりの中から選んでいたのだから当然だ。
でもここは違う。
視覚化した場合、ここは元の世界とは別の、遠く離れた球状星団にある世界だ。
共通点もあるが異なる点も多い、とは予想出来ていた。
でもここまで違うとは頭が痛くなる。
理由は単純。
オレが記憶している、この先に起きるであろう出来事が起きない可能性が高いからだ。
比較するのは簡単だ。
平和な世界。
いや、比較的安全が保たれた世界。
日本に関してはそうだ。
平和?
オレはそんな幻想など持ち合わせていない。
平和な時代など、どこにも存在しない。
それにしても歴史の流れがまるで異なっていて混乱してしまう。
ソビエト連邦?
オレの記憶にそんな国はない。
ロシア帝国が第一次世界大戦を変換点としてロシア共和国になっていない、だと?
ロシア帝国時代の日本との戦争はほぼ同様に推移していた。
日露戦争だ。
でもその後の歴史の流れが違う。
第一次世界大戦で日本とは消極的同盟関係だった。
第二次世界大戦前にロシアは北海道に侵攻を開始。
大戦後に停戦、そして講和条約締結の結果、ロシアは北海道から撤退した。
それと引き替えに北方四島がロシア領に定まったのだが・・・
北方四島が返還されるのは第三次世界大戦からかなり後になってからの話になる。
そして樺太が日本とロシアの共同出資で発展し、シベリアと北海道にパイプラインが敷設されるのだ。
・・・でもこの世界ではそんな気配すら感じられない。
何で朝鮮半島は南北に分断している?
李氏朝鮮から朝鮮国への移行は日本とロシア間の戦争の副産物だった。
第二次世界大戦中は中国東北部を制圧、大戦終息後はシベリアに侵攻。
これを境にロシア共和国との関係は劣悪になり、それは近代まで続く事になってたのだが。
いや、そもそも隣国の中国が統一国家でしかも共産主義?
オレが知る中国は第一次世界大戦移行、群雄割拠の様相が続いていた筈だ。
イスラエルも建国への経緯はまるで違う。
いや、シオニズム運動は共通する部分の方が多いのだが・・・
この世界ではイスラエルが建国を宣言したのは第二次世界大戦後になる。
でもオレの世界では異なる。
第三次世界大戦後だ。
だからなのか、この世界では今も中東地域の軍事衝突が絶えない。
・・・かと言ってオレがいた世界も大していい状況とは言えないだろう。
中東の聖地は例外なく重度の核汚染で人を寄せ付けない環境になっている。
今も宗教対立でその責任を他者になすり付けていて収拾がつかない。
まあオレにはどうでもいい事ではあったが。
いや、お陰で傭兵稼業が成立していたと言うべきかもしれない。
アメリカ?
この国が世界の中でリーダー的存在なのは同じだ。
民主主義、資本主義国家だし似ていても良さそうなものだが・・・
この世界では奇妙に肥大化している。
どこか拡大主義にも見えるがこれは政権により大きくブレているようでもある。
オレが知るアメリカは第二次モンロー主義に陥った哀れな国だ。
・・・いや、オレをモルモット扱いにした、独善的な国だな・・・
ドイツ?
オレが知るドイツは強力な社会主義国家だった筈。
第一次世界大戦直前に共産革命が起き、大戦終結時には戦勝国に収まっていた。
第二次世界大戦では敗北し共和制に移行するのだが、第三次世界大戦以降に共産政権に回帰している。
その国力は今も欧州随一だろう。
興味深いのは第二次世界大戦中の指導者がチョビ髭の独裁者で同じであった事だ。
主義主張はまるで違う。
でもやってる事は似ていた。
日本も同様で似ているようでまるで違う。
オレの世界で象徴天皇制に移行したのは第二次世界大戦前だった筈だ。
でもこの世界では第二次世界大戦後。
そしてこの世界の日本では敗戦国という亡霊が暗躍しているように思える。
・・・まあオレがいた世界よりマシかもしれない。
第三次世界大戦でアジアにおける戦線拡大は日本の消極的姿勢に問題があったとされている。
否定はしない。
中途半端に軍事援助などするからだとオレも思う。
ロシアとの対峙が長く続いていた影響なのか、外交政策の転換が遅かったのは致命的だった。
中国大陸、それに朝鮮半島の情勢を冷静に見極めていたら・・・と思わずにいられない。
いや、朝鮮がシベリアにまで侵攻するなんて誰が予想しただろう?
いずれにしても即応出来ずにロシアとの講和条約の締結が遅れたのは事実だ。
そもそもだ、第三次世界大戦がこの世界には存在しない。
勝者なき世界大戦。
悪夢としか思えない、あの世界大戦だ。
その影響なのか、この世界の人口は多い。
六十億人を超えているらしい。
・・・おかしくないか?
三倍近く多い。
いや、多少は平行世界間による誤差もあるのかもしれないのだが。
そこを考慮しても多い。
だからなのか、資源問題や食糧問題、温暖化などのニュースをよく目にする。
・・・どれも深刻な問題だな。
いや、オレがいた世界は全世界規模で核汚染問題があったからより深刻かな?
食料問題に至っては比較にならない程、酷い。
世界各地で頻発する軍事衝突の主な原因は食料と水だったからな。
・・・世界各地で紛争が絶えない状況はどの世界でも変わらないらしい。
多分、この世界でも傭兵稼業で食っていけるだろう。
そこだけは確かだ。
でも今は中学生の身分。
何が出来るかって?
何も出来はしない。
だが、準備ならば出来る。
いずれこの世界でもバーチャルリアリティが実現される筈だ。
そして全身の感覚を再現した世界でゲームを楽しむようになる。
必ず、来る。
オレがすべき準備はもう全て済んでいると言っていい。
それは覚悟だ。
ここから橋頭堡を築くのだ。
何よりオレは孤独ではない。
今はまだ、孤独なのだとしても、だ。
絶対に、孤独ではない。
気になるのは技術の進歩だろう。
この年代にしては普及している技術が二世代以上前に思える。
携帯端末で比較したら一目瞭然だ。
まだ液晶フルカラーのスマートフォンが登場していないのか?
・・・まあいい。
オレが爺さんになっていたのだとしても、待ってみせる。
必ず、実現されると信じている。
・・・信じているからな!
「・・・どうしたの?」
「今から実家に行く。お前も用意しておけ」
「・・・え?」
「入院してるお爺ちゃんがね、危ないらしいの」
「・・・」
帰宅したのだが、父からの言葉に反応するのが遅れてしまう。
・・・そうか。
失念していた。
この世界で爺さんは生きている。
但し父も、そして母も生きている。
何故なら爺さんはオレが生まれる前から入院していたからだ。
最初は精神病患者として。
今では肺ガンをも患っており、闘病生活がずっと続いている。
そう聞いている。
オレはこれまで数度しか会っていない。
しかも窓越しだ。
視線が合う事もなかったと思う。
父が勤め先に電話をし、母が忙しなく旅支度をする中、オレはぼんやりと準備を進めていた。
爺さん、か。
どうすべきなのだろう?
得物はない。
いや、爺さんも入院しているのだから得物など用意してはいないだろう。
それでも油断ならない。
理由などなかった。
あの爺さんが相手ならそうあるべきなのだから。
「準備はいいのか?」
「うん」
「急ぐぞ」
父の言葉に促されて車に乗った。
そして母も助手席に乗り、車が発進する。
オレは観察を続けた。
父の、そして母の一挙手一投足を、丹念に。
理由ならある。
(・・・まだ記憶の統合も始まっていないか・・・)
そう。
魔神ハヤトの記憶、ジュナさんの記憶もこの世界に放たれている筈なのだ。
どうやらオレは先に記憶の統合が始まっていて、そして終えてしまっていたらしい。
何、まだまだ時間ならある。
バーチャルリアリティが実現する前までに間に合えばいい。
・・・いや、待て。
出来れば父には早めに記憶の統合を終えて欲しい。
オレだけで鍛錬するのは可能だが、やはり相手がいた方がいいのだ。
例えそれが狂気の沙汰としか思えない代物になるのだとしても、である。
「・・・」
オレに言葉はなかった。
爺さんは予想以上に病状が進行していた。
酸素吸入器の助けを得て呼吸をする、その姿は戦える状態にない。
それでも抑えきれなかった。
自覚ならある。
殺気が、狂気が、オレの中で膨れ上がる。
何故か抑えが効かない?
まだ体が出来上がってないせいだろうか?
それとも記憶の統合が影響し、心の整理が出来ていないから?
分からない。
分からないが、オレは殺気を、狂気を放ってしまっていた。
その時。
オレと爺さんの視線が絡み合った。
「・・・オ、オオ・・・オオッ!」
爺さんが跳ね起きた。
その手は何かをまさぐるような動きを見せる。
親父が爺さんの枕元に駆け寄っているのは目の端で捉えていた。
でも視線は爺さんに向けたままだ。
・・・爺さんがずっとオレから視線を外そうとしないからだ。
オレの殺気を、狂気を感じ取ったのか?
「・・・オオッ!・・・クォッ!・・・カハッ!ハッ!」
「親父ッ!」
父が、そして看護士が動く様子がまるでスローモーションのように見えていた。
警告音は遙か遠くで鳴っているように聞こえる。
そしてオレの見ている風景から色が消えてゆく。
白黒の世界の中でオレは爺さんの姿しか見えなくなっていた。
「・・・カ、かたな、刀・・・刀じゃ! 刀を持って来いッ!」
父の声も、看護士の声も聞こえない。
聞こえるのは爺さんの呻き声。
そしてオレは恐るべき殺意と狂気を前に耐えるしかなかった。
動くな、オレ。
動くんじゃない!
「・・・お、オオ・・・ア・・・オ・・・」
爺さんの体から殺意が、そして狂気が喪われてゆく。
それは生命の灯火、そのものだったように思う。
爺さんは息絶えた。
オレの脳裏にはある言葉が浮かんでいた。
剣に生き、剣に死す。
・・・確かに、こんな死に様は爺さんに相応しくない。
爺さんの生涯を思う。
この世界は父も母も無事に生きている世界。
そして恐らくは『彼女』も生きているであろう世界。
そんな世界の中で爺さんは剣を振るう機会を得られなかった。
バーチャルリアリティの実現も間に合わなかった。
オレにとっては万々歳の筈だが・・・
爺さんは戦いの中で命を燃やし尽くす、そんな最後を望んでいたに違いない。
もう思うとどこかに寂しくもあった。
(・・・やはりあったか)
爺さんの葬式も終え父母が手続きで走り回っている頃。
オレは山の中を駆け回っていた。
場所は矢筈岳。
爺さんの足跡を辿るためだ。
いや、少し違う。
爺さんが遺したであろう得物を確認するためだ。
・・・半日で七振りの刀を見付けている。
この世界で刀を所持するのは難しい。
オレのいた世界でも規制はあったが、この世界ではより厳しいと思う。
そこを考慮したらかなりの数の武器が準備されていた。
刀はいずれも手入れが必要な状態だったが問題ない。
研ぎ直しておいた。
そして隠し場所は変えて一箇所に埋めておき、山を去った。
この時代に使う機会が来るとは思えないが・・・
念の為だ。
こうでもしておかないと落ち着かない。
・・・山頂から見た風景はまるで変わらなかった。
でもこの世界は、違う。
多分、オレが進む道も違ってしまうのだろう。
それでも構わない。
この世界ですべき事は弁えてある。
待機する、か。
正直言って、しんどい。
それでもやるしかないのだが。
願わくば父に早く魔神ハヤトの記憶が宿りますように。
それだけで退屈な思いだけはしなくて済むのだから。
平成の時代が終わり令和の時代。
オレは東京にいた。
・・・バーチャルリアリティの実現にはまだ時間が掛かるだろう。
でも悲観していない。
実現しそうな兆候は見て取れるからだ。
父に魔神ハヤトの記憶が統合されたのは意外に早かった。
オレが高校に入学したタイミングだった、と思う。
それまで退屈だった世界が一気に変わった。
互いに切磋琢磨する様子は奇異に思えただろう。
特に母にとってはそうだ。
母にジュナさんの記憶が統合されたのはオレが高校を卒業する直前だった。
オレも父も戦々恐々とする日々が始まったが・・・
結果的にオレは大学生活に逃げ込む形になった。
・・・しばらくして、オレに妹と弟が出来た。
父、いや、親父殿にはお疲れ様と言いたい。
・・・キララとコーパルの記憶はこの世界に放っていただろうか?
いや、そんな話は聞いていないのだが。
後付けでやっていてもおかしくはないか。
留意しておくに越した事はないだろう。
オレは普通に大学を卒業し、普通に企業に勤め、目立たない生活を送っている。
結果的に全く異なる生活を送る事となり『彼女』との接点は無くなった。
記憶にある場所を幾つか訪ねたが『彼女』の存在を示す物は何もない。
平行世界であるのだし『彼女』は最初から存在していないのかもしれない。
それにしても退屈だ。
心底、退屈だった。
仕事をしていても尚、退屈だ。
休日にはいつものように、東京の決まった場所にあるカフェでコーヒーを楽しむ。
それだけだ。
無論、鍛錬は欠かしていない。
オレは携帯端末で情報収集を続けた。
端末には大きなストラップを付けている。
そのせいで片手操作がイマイチだが気にしない。
政治、経済、その他ニュース。
僅かでも運営が介入している兆候があれば調査せねばならない。
「相席、いいですか?」
「・・・どうぞ」
オレの目の前に若い女性がいた。
新社会人といった所だろうか?
休日なのにスーツ姿だが違和感は感じない。
派手な顔付きなのにそう感じさせない、落ち着いた雰囲気がある。
来たのかな?
多分、そうだ。
それはすぐに確かなものになるだろう。
「・・・可愛らしいストラップですね。ワンちゃんですか?」
「・・・いや、これは狼なんですよ」
「名前は?」
「ヴォルフ」
彼女は笑った。
符号は完璧に合致している。
間違いなく、フィーナさんだ。
彼女もまた無事にこの世界で記憶の統合を終えていたようだ。
自然にオレの手は彼女の手を握っていた。
彼女もまた、握り返す。
その目には涙が浮かんでいるようだった。
「仲間がいるって素敵ね、キース」
「ええ、本当に」
オレは孤独なんかじゃない。
かつて喪失したもの、今ではその全てが揃っている。
既に運営に対する反撃の狼煙は挙げてあるが、それだけじゃ終わらせない。
追撃に手を抜くつもりはないのだ。
理由なんて特にない。
それが薩摩隼人であり出水兵児の宿業であるのだから。




