36:餌に誘われる魔物④
城門から出たホルンは、城を回りこむ道を駆ける。
目を閉じたクリスティンはしっかりと手綱を握り、ホルンにしがみついていた。
あっという間に、男爵家の古城が後方に流れる。
ホルンの視界の端で、城はどんどん小さくなっていった。
流れてくる風には微量ながら瘴気が含まれ、ちりちりとクリスティンの肌に痺れのような痛みをもたらした。
満点の星空に添えられた月からは、白っぽい光が大地に注がれる。
(瘴気の量が増しているわ。月の位置が低い明け方だもの。一番危ない時間帯にさしかかっているわね)
ホルンを走らせながら、クリスティンは広い馬の視界をもって周囲を観察する。
城から草原を挟んで広がる畑地に、働く者は誰もいない。畑地に広がる穂が風に撫でられ、一方向になびいている。
実はすでに、クリスティンは馬の身体から意識を抜いていた。走り始めてわりとすぐに、ホルンは自ら駆けていたのだ。
通じ合わせたクリスティンの意思に応えるように、今も迷うことなく足を動かしている。
畑地の民家が見えてきたあたりで、ホルンの視覚をクリスティンは手放した。瞼がひくっと痙攣し、ぱっとクリスティンの両目が開かれる。
森と月、それに畑地が視界に映る。馬の目線よりわずかに高く、格段に狭い。
首を動かさないと、後方の城も、前方の民家も見えない。
ほんの少し馬の視界を占拠していただけなのに、人間の視界の狭さに違和感を覚えたクリスティンは、両目を瞬いた。
(馬の視界の広さってすごいわ)
ホルンの心身から意識を離したクリスティンは、気を取り直し、手綱を握りなおす。
畑地に点在する民家を横目に、畑道を走り抜ける。
程なく、空き家が見えてきた。
近づくごとに瘴気が濃くなっていく。
嫌な予感に動悸が早くなる。
クリスティンは眉間に皺を寄せた。
(空き家の向こうに厩舎があるわ)
その時、空き家の壁際からふらりと揺れる人影が現れた。
よろりと数歩進んでがくりと膝をつく。
異変に気付いたクリスティンは身を屈め、怯えそうになるホルンに囁く。
「大丈夫、大丈夫よ」
ホルンはクリスティンに逆らうことなく、倒れこんだ人影近くまで走り込んだ。急に止まることができなかったからかもしれない。
馬上から飛び降りたクリスティンが人影に走り寄る。うつむく騎士に「大丈夫ですか」と声掛けしながら、膝をつき、覗き込んだ。
「なにがあったんですか」
「逃げろ。魔物が……」
呼びかけられ、顔をあげた騎士が瞠目する。声からして、サイモンだとクリスティンも気づいた。
「く、クリスティンちゃん、なんでここに」
「サイモンさんこそ、なにがあったんですか」
「ダメだ、もどりなさい。魔物が出た。それも複数」
クリスティンははっと顔をあげる。サイモンの肩越しにも倒れている騎士がいた。
「まだ、戦っていますか」
「そうだ、だからすぐ戻るように……、うわっ!」
話半ばで、クリスティンはサイモンの腕をとり、その腕を肩に回すと、大柄の騎士を持ち上げた。少女の腕力とは思えない力に、サイモンは引きずられ、悲鳴めいた声をあげた。
「なにをする!!」
「サイモンさんは城に助力を求めてください。ホルンをお貸ししますから」
「それなら、クリスティンちゃんが……」
「いいえ、私は戦えます」
有無を言わせず、もつれる足を引ずるサイモンをホルンの傍まで、クリスティンは引っ張ってきた。
歩きながら、サイモンの太ももに血が滲んでいることに気づく。
「ケガは太ももだけですか」
「いや、全身に打ち身が……」
クリスティンは片手でサイモンの太ももに触れた。
「クリスティンちゃん!」
「傷、なおします」
「なおすって」
クリスティンの手が発光する。
光りが強まるごとに、サイモンの太ももから痛みが消えた。さらに、光は衣類の内側を撫でるように巡ると、衣服を内側から光らせた。サイモンの腕や胴の打撲による痛みは光とともに打ち消される。
「……一体、なにを」
驚愕しながらも、騎士であるサイモンは、すべてクリスティンの魔力によるものと気づいていた。
発光が収まり、手を離したクリスティンが、サイモンを凝視する。
「サイモンさん、ホルンにのってください」
「ダメだ。君を置いていくことは……」
「助けを呼んでください。ホルンは、おいちゃ……、オーランド殿下からいただいた馬です。幌馬車でもどるよりずっと早く城に戻ります」
サイモンはたじろぐ。
クリスティンの方が魔力量が圧倒的に多いのは明白だった。
さらに怪我をこれほど手早くなおせるなら、立場や年齢を考えなければ、彼女の方がこの場に残るにふさわしい。
「だが……」
サイモンは躊躇する。
理由は、年齢や立場、だけではない。
男爵家の城を訪ねるたびにオーランドとクリスティンの気の置けないやり取りを傍目に見てきた。
オーランドの表情を思い返せば、今後、彼女が特別な立ち位置に立つ未来を十分に予想できる。
(このような場で、危険にさらしていい子ではないはずだ)
サイモンは決断しかねる。
クリスティンがサイモンの肩を手離した。半歩下がり、胸に手を当てると、朗らかに笑んだ。
「これでも、私、おいちゃんの直弟子です。生半可には鍛えられてませんからね」
サイモンは、その余裕に息をのむ。
ついで、ホルンに向き合ったクリスティンが馬の首に触れ、軽くたたく。
「ホルン。城に戻って、助けを呼ぶの。分かるわね」
ホルンは軽くいなないた。
馬とクリスティンのやり取りを見つめるサイモンは迷う。
(俺が残ってもクリスティンちゃんほど役にはたたない。彼女が残った方が状況に対し有利に働くだろう。が……、しかし)
月明かりに照らされ、馬を慈しむクリスティンが、惑うサイモンに微笑みかける。
―― なにも心配ないわ。
微笑みに込められたメッセージにサイモンの目が眩む。
まるで大人のような微笑に息をのむと、その笑みに背を押され、ホルンの手綱を握っていた。
「分かりました。俺が助けを呼びに行きます」
促され、ただ、そう答えていた。
答えてしまった以上、後には引けない。サイモンは騎乗するなり、馬の向きを城へと向けた。
「必ず、すぐに戻ります」
ホルンは前足を軽く宙でかくと、勢いよく走りだした。
見送ったクリスティンは振り向き、前方を睨みつける。
「あの空き家の向こうで、何が起こったの」
ためらうことなく、倒れる騎士の元へ歩き出した。
次第に歩調は速くなる。
駆け寄り、騎士の傍らにしゃがむと、うつぶせに寝ている背に手を添えた。呼吸はしており、身体も温かい。
全身に刻まれた切り傷が目についた。衣服が裂けて、血が滲んでいる。
(細かい傷ばかり。打撲が目立つサイモンさんと怪我の感じが違う……)
身体が大きく爪の鋭い魔物がでたか、はたまた爪の鋭い魔物と体の大きな魔物の二種類がでたのか。瘴気の流れに紛れて、人里に誤って降りてきたとは違う雰囲気に、クリスティンは身震いした。
(こんなこと今までなかったじゃない。一体、なにがおこっているの)
動揺しながらも、冷静に添えた手のひらを発光させる。
治癒を促すように魔力で働きかけると、騎士はぴくりと反応し顔をあげた。顔をマスクで覆い隠しているため、倒れている人物が誰かは分からなかった。
上体をあげた騎士の手が伸び、クリスティンの腕を掴もうとした時だった。
空き家の縁から素早い影が飛び出した。視界の端から端に、霞む影が移動したかと思うと、その個体は反転し、クリスティンに向かってきた。
治療最中のクリスティンは初動が遅れる。
(まずい。避けれない)
さっと血の気が引いた瞬間、手を添えていた治療半ばの騎士が力を振り絞り、体を起こした。
立ち上がる勢いで、添えていた手が弾かれる。
騎士の背後で、獣がのびやかに飛び上がった。
黄色を帯びた毛並みが月明かりを弾く。丸い顔に、とがった耳。弧を描く胴体。その姿には見覚えがあった。
(あれは、黄貂!)
膝立ちした騎士が翻り、クリスティンに背を向ける。飛び掛かる獣に向けて、腕をかざした。
騎士の指にはまっていた指輪の魔石が割れるなり、刃物のように鋭い風が獣に向けて放たれる。
獣は身をよじり、その風を避けると、騎士の頭部めがけて爪と刃を光らせる。
騎士は首をよじったものの、獣の爪をよけきれなかった。
引き裂かれたこめかみから、血飛沫が飛んだ。
さらに獣は器用に騎士の頭を後ろ脚でけると、そのままクリスティンに向けて飛び掛かった。
立てた片足を軸に、身を軽くひねったクリスティンは柄を握った。
捻った身体を戻しながら、剣を引き抜く。勢いを活かし、真横に振り切る。
眼前に迫る獣の頬に、クリスティンは柄尻を叩きつけた。




