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第111話 崩れ去った平和

 小都市へと戻ったミュルクを離れて数日――。


 本来の目的地であるニヴルヘイムに向けて出発した直後ではあったが、既に進路を変えなければならない事態に直面していた。


「またヨトゥンヘイムが侵攻!?」

「ええ、どうやら本当に戦争がしたくて(たま)らなかったようですね。薄氷の平和は、最早崩れ去ったということでしょう」


 その理由は目を丸くしたアイリスの言葉に集約されている。


「侵攻先は黒い妖精――“ダークエルフ”の国である“スヴァルトアルフヘイム王国”。人間……俺たちとの交流は無いに等しい。隣国であるアルフヘイムからの接触(コンタクト)は?」

「可能と言えば、可能ね。でも、私たちとあの連中は長い時の中、領土や主権を懸けて争ってきた。貴方たちとアースガルズの様な関係には程遠いわ」

「非正規国家だったミュルクとは違う。隠密活動で潜入するってのも、(まず)いってことか」

「そうね。勝手に中に入ったのがバレでもしたら、私たちとスヴァルトアルフヘイムの戦争にもなりかねないわ」


 エゼルミア陛下らと同じく尖った耳。

 純白の肌をした彼女たちとは対照的に、浅黒い肌を持つ者。

 それがダークエルフ。

 アルフヘイムに住む人々と近縁種族だとされており、国同士も国境が接している。言ってしまえば、遠い親戚のお隣さん。

 まあ、外交状況は(かんば)しくないようだが――。


「なるほど……というか、スヴァルトアルフヘイムがヨトゥンヘイムとぶつかったとして、勝算はあるのか? 単純な戦闘能力だけなら、全種族で巨人族が最強だってきいているけど……」

「国家単位での戦争など、貴方たちがアースガルズとぶつかるまで何世紀もなかったのだ。正直分からない。ただ普通に考えれば、不利だと思われるが……」


 エルフとダークエルフの違いは肌の色だけじゃない。

 文化や思想は当然として、今回重要になるのはそれぞれが得意とする魔法体系。

 具体的に言ってしまえば、エルフは回復や防御といった補助術式を主とするのに対し、ダークエルフは攻撃魔法に特化している。一個体の強さとしては後者が僅かに上とされているが、強靭的なタフネスとパワーを持つ巨人族と渡り合える水準なのか――というのは、定かではないということだった。


 無論、“天召眼(アイテール・マター)”を持つエゼルミア陛下は、例外中の例外なので勘定に入れるべきではない。要は突然変異の化け物――なんてことを考えていると、バイザーを付けたお姉さんに頬を引っ張られた。


「……っていうか、お隣さんってことはアルフヘイムも?」

「十中八九、狙われているわね。だから旅の進路を変えたのよ。アースガルズでの戦いは微妙に貸しと言えなくもないし、貴方たちにも付き合ってもらうわね」

「このままヨトゥンヘイムが他国を吸収し続ければ、いずれニヴルヘイムにも刃が向けられるのは自明の理。三国同盟としても、ニヴルヘイム皇帝としても異存はありません。ね、ヴァン」

「ああ、他に道はなさそうだ」


 引っ張られた頬を(さす)りながら、皆の話に同意する。


「それにしても、世界情勢がここまでクズクズになるとはな。しかも一瞬で……」

「そうですね。アースガルズのニヴルヘイム侵攻で亀裂が入り、ミズガルズの突出に乗じたヨトゥンヘイムの武装蜂起で薄氷の平和は完全に打ち砕かれた。いつどこの勢力が刃を向けて来ても不思議ではありません」


 いよいよ来てしまった乱世の時代。

 それは何よりも恐れていたこと。


「ヨトゥンヘイムもだけど、“神断の罪杯(カオス・グレイル)”の暗躍も気がかりね」

「あのゼインって人は、とんでもなく強かったし……あんなのに攻め込まれたら……」


 戦いの嵐を前に笑みなど浮かぶはずもない。


「魔眼の真の力か……」


 脳裏を過るのは、二色の魔眼。

 暴力的なまでに比類なき力の奔流。

 神話にも記されていないあの領域への到達は、未だヴィジョンの一つも湧いてこない。


「非正規都市のミュルクですら、あれだけのことを仕込まれていたのです。それが国家単位、世界単位ともなれば……。ともかく、今は急ぐ他ありません」

「そうだな。ニヴルヘイムとアースガルズは別にしても、二つのエルフの国と巨人の国……三国がぶつかる場所に“神断の罪杯(カオス・グレイル)”が手を出してこないってのは考えにくい」

「頼もしいわね。頼りにしてるわよ」


 そんな中、突如エゼルミア陛下から頬に口づけを落される。


「ハァ!?」

「貴方という人は……」


 アイリスとセラが青筋を立てて迫って来るが、当の本人はどこ吹く風。

 でも、今の軽口は領土が侵されることへの不安の裏返し。アムラスが突っ掛かってこない辺り、多分そういうことなのだろう。

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