8−22 思慮は深淵の如く
「全く……! ミアレット様を巻き込む前に、呼んで下さればよかったのに……!」
ミアレットがアケーディアに強制同行をさせられてから、およそ30分が経過した頃。中庭で脱力したままの深魔の前では、カテドナがブスッと不満を呟いていた。
「こればかりは仕方ありませんよ、カテドナ殿。突発的な発生でしたのでしょうし、アケーディア様もすぐに対処すべしと判断されたのでしょう」
不満をグチグチと溢すカテドナを、キュラータがドウドウと横から諫めるが。どうも、カテドナの懸念事項は心迷宮攻略の危険度とは別のところにあるようで……。
「そうかも知れませんが! ミアレット様の御身に何かがあってからでは、遅いのです! 第一、同行者がアケーディア様なのが、不安過ぎる!」
「さ、左様で? ですが、アケーディア様は魔界の大悪魔の1人では? 地属性だとも聞き及んでおりますし、防御に長けてもおりましょう。ミアレット様の防衛も、問題ないかと……」
「……甘いですよ、キュラータ殿。アケーディア様はご自身の興味が向かない事は、トコトンなさらないのです。副学園長という肩書きがある以上、最低限は対応してくださるでしょうが……その最低限が、どのラインかが分からない! ミアレット様、お辛い思いをしていないといいのですが……!」
「なるほど、そういう事でしたか。……それは確かに、心配ですねぇ」
あの冷静なカテドナがここまで荒ぶるなんて……と、キュラータは苦笑いしてしまうものの。彼女は憤怒の悪魔であると同時に、ミアレット第一な専属メイドさんである。変な所で怒りっぽいのはともかく……この主人に対する敬愛こそが使用人として真っ当であると考えては、キュラータはアドラメレクなどこかの誰かさんを思い出し、そちらも心配してしまう。
(ナルシェラ様の話では、姉上は望んでグラディウス側に付いたようですが……)
肩を落として帰ってきたナルシェラによれば。モリリンの救済は間に合わなかった上に、ロッタはあろう事か、バルドルさえも置き去りにして杖をグラディウスへ届ける事を優先したらしい。だが、グラディウスに生み出されたキュラータにしてみれば、彼女の選択は愚の極みだと言わざるを得ない。
(なんと馬鹿なことを。グラディウスの箱庭は、望んで飛び込む世界ではないでしょうに)
眷属として作られたキュラータの「箱庭での待遇」はそこまで悪くはなかったものの。それはあくまで、「まだマシだった」だけの話。上位種として作られていようが、作られていまいが。グラディウスの祝詞に繋がれている限り、親木に悪意という名の栄養を届ける働き蜂にしかなれない。そこには、明確な実力や役割の違いこそあれど、グラディウスの視線の冷たさは一律であった。
もちろんキュラータとて、生み出された当初はグラディウスに心酔してもいたし、刷り込まれた忠誠と役目を疑う事もしなかった。だが……記憶が甦り、自由を知ってしまった、今。自己中心の極地にあるグラディウスは、彼が忠誠を傾けたい相手ではなくなっている。
(あぁ、そうですね。……鯔のつまり、私も同じではありませんか。グラディウスを裏切り、天使に鞍替えし。裏切り者の私に、偉そうに姉上を詰る資格はありません。しかし、それでも……主人と定めるには、グラディウスはあまりに冷酷すぎる)
グラディウスに情を通わせる脈があれば、まだいいのだが。そうはならないだろうと、暗黒霊樹をそれなりに知るキュラータにはロッタがいいように利用され、切り捨てられるだけの未来が見えるような気がして……やれやれと首を振る。
同じ裏切り者だったとしても、彼女の立場はあまりに悪い。何せ、「こちら側」ではロッタがグラディウス側に付いたことが鮮やかに周知されているのだ。神界と魔界の住人達から裏切り者認定された彼女は、ほぼ全ての逃げ場も失っているに等しい。
ロッタの性格からして、グラディウスを逆に利用する事も考えているのかも知れないが……暗黒霊樹の思慮は深淵の如く、深く、暗い。短絡的で身勝手なロッタが易々と利用できる相手ではないだろう。
「あぁ! 歯がゆいッ! 歯がゆいですわ! こうなったら、無理やり……!」
おっと、いけない、いけない。今はぼんやりと、ロッタの行く末を案じている場合ではなかった。
キュラータの上の空を途切れさせたのは、いよいよメイスを取り出し、深魔の胸元にグリグリと押し付けているカテドナの雄叫び。……どうやらこのメイドさん、メモリーリアライズなしで強引に心迷宮に潜入しようとしているらしい。
「カッ、カテドナ殿、落ち着いて! 我らにできることは、アケーディア様達のご帰還を待つ間、生徒の皆様を守ることだけです。後からの潜入がどんな影響を及ぼすか分かりませんし、下手に手出しはしない方が良いかと!」
「くぅぅ……! ミアレット様、カテドナの力が及ばず、申し訳ございません……!」
「いやいや、これはどう考えても、カテドナ殿のせいではないでしょうに……。ミアレット様の事となると、周りが見えなくなるのは頂けませんねぇ」
ガクリと項垂れるカテドナの背を摩ってやりながら、キュラータはチラリと元凶の深魔を盗み見る。状況からするに、この深魔はあのモリリンらしい。詳細はアケーディア達が帰還しない限りは、何とも言えないが。もし、助かったとしても……モリリンの立場や状況は更に悪化してしまう事だろう。
(まぁ、ディアメロ様は我関せずを貫きそうですが、ナルシェラ様はやや心配ですねぇ。必要以上に、自分を責めなければいいのですが)
魔法武闘会での無様な敗退に、魔力因子の喪失。最初から可能性がなかったとは言え……王妃様ルートも絶たれたとこっ酷く理解させられ、深魔になってしまったともなれば。ファラード家の立て直しも絶望的である。命は助かっても……モリリンの人生の先行きは、あまりに険しい。そして、そんな彼女を捨て置けるほど、ナルシェラは薄情ではないだろう。
「なんだかんだで、問題は山積みですか……」
「問題が山積みなのは、今に始まった事ではないでしょう。……やはり、こうなる前にハエは全て叩き潰しておくべきでした」
「物騒な結論に直結するのは、どうかと思いますが……それには概ね、私めも同意です。彼女達の勘違いを初めから是正しておけば、ここまで事態は深刻にならなかった……あぁ、違いますね。没落貴族の問題が根本的に解決しない限り、遅かれ早かれ、こうした問題は発生していた事でしょう。……貴族社会はいつの時代も、歪ですから」
「……なるほど。それは一理ありますね。しかし、選りに選って、ミアレット様を巻き込まなくてもいいのでは……!」
「あぁ。確かに、それも間違ってはいませんよねぇ」
貴族社会の問題が噴出したとて、平民なはずのミアレットが巻き込まれる必要性は非常に薄い。たまたま運悪く王子様に気に入られ、たまたま運悪く望みもしない王妃の座(妄想)を賭けたショーファイトに強制参加させられて。しかも、心迷宮攻略にまで駆り出されたとなったらば、彼女の巻き込まれ体質は病的なレベルであろう。
(もしかして。ミアレット様の巻き込まれ体質を改善するのが、最大の解決策なのでは……?)
隣で心配のあまり、ギリギリと歯軋りをしているカテドナを見つめつつ。キュラータはひっそりと、ちょっとした真理に思い至ってしまう。そう……女神の愛し子は何かにつけ、不幸体質なのである。




