8−2 忘却ではなく、欠落
(やっぱり、ロッタさんにモリリンさんの事をお願いしなければ良かったかなぁ……)
元はと言えば、ロッタに「モリリンを助けたい」なんて相談してしまったのがいけなかったと、ミアレットは尚も悩んでいた。訓練棟を出て、外の空気を吸っても気もそぞろ。カテドナの後について行けば、迷子にはならないだろうが……思考はかなりの迷宮に足を踏み入れようとしている。
「あれ? カテドナさん、どうしました?」
しかし、ミアレットがグルグルとロッタの行方を気にしていると、前を静々と進んでいたカテドナの歩みがピタリと止まった。何やら、相当に気になるものを見つけたようだが……。
「……ミアレット様。隠れますよ」
「へっ……?」
すぐさま飛んでくるのはカテドナの緊迫した声と、意味不明な指示。基本的には安全な魔法学園の敷地内だと言うのに、隠れるとは何事であろう?
(とりあえず、カテドナさんの言うことは聞いた方がいいわよね。……何かに気づいたのかも)
ミアレットにはカテドナが隠れようとしている理由は、分からないけれども。普段から頼もしい守護者の言うことである。ここは無粋に疑わず、従うに限る。そうして、カテドナと一緒に手近な生垣に身を隠しつつ、こっそりと辺りを窺えば。視線の先に広がる光景に、ミアレットはカテドナの思惑をすぐさま理解する。
(あれは、ロッタさん……⁇)
訓練棟前の中庭を横切っていくのは、モリリンと……ピタリと寄り添うように、彼女に追従するロッタの姿だった。いつも通りに派手に取り巻き達も従えて、モリリンはご機嫌もご機嫌のようだが。ロッタの表情に変化はなく、真っ直ぐと虚空を見つめている。
(魔力の雰囲気が少しばかり、異なります。少なくとも、あれは私達が知っているロッタではなさそうです)
(えっ?)
アイスブルーの視線を更に鋭く眇めて、カテドナがコソリと囁くことには。ロッタの雰囲気に、悪魔のそれとは異なる濁りを感じるそうで。……祝詞に何か変化があったのではないか、との事だった。
(……はぁぁ。まさか、ここまで愚か者だとは思いもしませんでした。放置したのは、失策でしたか……)
(えと? カテドナさん?)
(おそらく、考えなしに単独で突っ走ったのでしょうね。……ロッタは何かしらの手段で、向こう側に絡め取られてしまったものと思われます)
ロッタの先走る傾向も考慮するべきだったと、カテドナは疲れたように嘆息するが。いずれにしても、今は声を掛けるべきではないと判断したのだろう。ため息を吐きつつ、予断なく彼女達の様子を見つめながら……概ねの息を潜めている。
「しかし、この至近距離でこちらに気づかないとは。ロッタが未熟なのは、変わっていないのですね」
モリリンご一行が騒音と一緒に、魔法学園の本校舎へ消えていったのを見届けて。カテドナが今度は呆れたように、肩を落とす。カテドナは何かにつけ、ロッタへの当たりが強い気がするが。ディアメロの側仕えを拒否した時点で、カテドナのロッタ評が厳しめなのは当然かも知れない。
「でも、それが本当だとしたら……ロッタさん、かなり不味い状況じゃありません?」
「無論、ロッタ自身も心配ですが……この場合、祝詞がどのように変遷しているのかが、非常に気がかりです」
「祝詞……あっ。確か、精霊さん達の存在意義のことでしたっけ?」
「その通りです。ミアレット様、よくご存知ですね」
「えーと、天使様との契約の話が出た時に、ハーヴェン先生に教えてもらいまして」
話が早くて、助かります……と、カテドナは満足げに微笑むが。彼女の微笑が妙に力ない事にも気付いて、ミアレットもほんのり気落ちしてしまう。口先では冷たい事を言いつつも、カテドナもロッタが気がかりなのだろう。言葉の端々には、心配そうな空気も滲み出ている。
「悪魔の場合、祝詞への介入は親となる真祖の悪魔のみに許される特権ですが……祝詞の書き換えは、彼らを持ってしても、越権行為と見做されるのが常です。……無作為に祝詞を書き換えれば、悪魔としての存在意義を見失い、配下を失う事にもなりかねません」
「配下を失う? それってつまり……死んじゃうってことですか?」
「そうですね……しかし、この場合は純粋な死ではなく、存在の死と定義するべきでしょうか。祝詞は自我を肯定する拠り所でもあるため、無闇に祝詞をを書き換えられてしまうと、記憶が破綻する可能性が出てきます」
「記憶が破綻する? もしかして、大切な事を忘れちゃうのでしょうか?」
それはそれで、大問題な気がするが。しかして、続くカテドナの予測は、ミアレットが想定する最悪を遥かに通り越していた。
「記憶の破綻は忘却ではなく、欠落という言葉がしっくり来ます。上級悪魔は闇堕ちと同時に記憶喪失になりますが、それは記憶を失っているのではなく、純粋に思い出せないだけの状態です。しかしながら、記憶の破綻はそうではありません。……大元そのものが損なわれる事を意味します」
悪魔……特に上級悪魔にとって、記憶は欲望とセットで祝詞に結びついた、存在意義そのもの。何に絶望し、何を諦めきれずに、魂を吹き返したのか。輪廻の奔流に帰結する事を拒み、魂に存続を選ばせたまでの思い出が、果たしてどんなものだったのか。それらの禍根は、苦しい枷になることも多いが。悪魔が快楽に溺れ切らずに、自我を保っていられるのは、生きていくことの苦しさ……生前の悔しさや痛みを、心の底で忘れずに済んでいるからだ。涙の数だけ強くなれるのは、悪魔も一緒である。
「しかし、何よりも問題なのは、記憶の破綻によって人格や精神の変遷・破綻も想定される点です。確認しない事には、断定もできませんが。最悪の場合、ロッタは既に別人になっているかも知れません」
「あっ、そうか……。記憶が違うとなったらば、外見は一緒でも、中身は違うって事ですもんね……。それじゃぁ確かに、別人かも……」
だが、それはある意味で「ロッタという存在」が死んでしまった事をも意味する。そして、外側だけ同じであることは無意味なだけではなく、非常に残酷な事でもあるだろう。特に……身近な相手にとっては。
「キュラータさんが知ったら、どうなっちゃうんでしょうか……」
「確かに、そちらも心配ですね。予測の範囲を出ないとは言え……現状だけでも、彼にとってはいいニュースにはならないでしょうし」
「そうですよね……どうします? 内緒にしておきますか?」
「いいえ。明日から魔法武闘会が開催されるともなれば、鉢合わせを避ける方が困難です。何も知らずに顔を合わせるよりは、前情報があるに越したことはありません。ここはひとまず、判明している範囲での現状を伝えるべきかと」
……とにかく、戻りましょう。
そうカテドナに促され、ミアレットも本校舎へと歩みを進めるものの。互いに無言なのが、妙に切ない。




