7−52 勘違いという名の原動力
どうして、自分がこんな目に。何で、自分が召使いをやらなきゃいけないんだ。
どこもかしこも真っ黒なグラディウスの箱庭で、セドリックは不満ばかりの毎日を送っていた。最近、どこかに出かけっ放しのバルドルに「構ってもらえない」ものだから、仕方なしに(暇潰しも兼ねて)例の皇子様を虐め抜くつもりだったのに。逆に彼の尊大な態度に押し負けて、鼻で笑われ、顎で使われる始末。
「相変わらず、お茶1つ満足に淹れられないなんて。本当に使えないヤツだな、お前は」
「フン! 出涸らしの皇子には、出涸らしの茶葉で十分だろう。オマケのくせに、一丁前に贅沢を言うな」
「落ちこぼれ風情が。何なら、ここで消し炭にしてやってもいいんだぞ?」
「クッ……!」
あぁ、なんて……なんて、屈辱的なのだろう!
セドリックは出涸らしの皇子……ヴァルムートの脅し文句に、ギリギリと歯を食いしばって悔しがる。本来であれば、自分の方がグラディウスでは先輩で、優秀な魔術師だったはずなのに。……幸か不幸か、ヴァルムートは特異体質の持ち主であった。
ヴァルムートはプリカントが生成した“ヴァルヴェラの微笑”を与えられ、サンプルとして利用される予定であったが……秘薬は彼に思わぬ作用をもたらしたらしい。彼はグラディウスに充満する瘴気にアッサリと適合し、苦しむこともなく魔力として取り込んでいったのだ。そうして潤沢な魔力の根源を得たヴァルムートは、自在に漆黒魔人へと変貌する特殊能力を獲得し、セドリックの実力を遥かに凌駕していた。
なので、今のセドリックではヴァルムートを口で言い負かすことも、魔法で打ち負かすこともできない。バルドルが用意した「召使い」としての立場がピタリと板に付き始めて、セドリックはいよいよ本格的に焦り始めている。
(クソッ……! やっぱり、ナルシェラを逃したのは失敗だったか……!)
ナルシェラは非常に穏やかであったし、傲慢さは一欠片もない。彼自身も「君とはいい友人になれると思っていた」と言っていた通り、セドリックを対等な相手として接していたし、王族であることを鼻にかけることもなかった。そんなナルシェラの余裕を前にして、セドリックは勝手に卑屈になってしまうこともあったけれど。……セドリックの自尊心を無遠慮に削っていくヴァルムートに比べれば、ナルシェラは遥かにマシだ。
「おやおや? セドリック君ではないですか。またまた、シケた顔をしてますねぇ」
「……今、僕は非常に気分が悪いのです。放っておいてくれませんかね、グリフィシー様」
「ふむ? あなたの気分が悪いのは、いつもの事では? とは言え……私も任務を失敗した身ですからね。あなたに意地悪をする資格もありませんか」
嫌味っぽい調子で食ってかかってきた割には、意外にもすんなりと意地悪の矛先を収めるグリフィシー。そうして、ややお疲れ気味で肩を落としているのを見るに、それなりの用があって出向いてきたらしい。
「ふーん……それはそうと、何か用ですか? グリフィシー様。こんな所まで、わざわざ来るなんて……」
「あぁ、失敬。あなたには特段、用事はありませんよ。用があるのは、ヴァルムート様の方です。……ご主人様にヴァルムート様の相手をして来いと言われましてね。彼の漆黒魔人としての能力を、見定めに参りました」
しかし……グリフィシーのご用事を聞いて、セドリックは思わず心配せねばならなくなる程に、不安になってしまう。何せ、漆黒魔人として覚醒したヴァルムートは制御不能な怪物である。セドリックは無論のこと、グリフィシー等の幹部クラスの眷属でさえ、彼を従えるのは難しい。現に、リキュラはヴァルムートの制御は不可と判断しており、彼を漆黒魔人……延いては、神様の依代として起用することに否定的だ。
「えーと……それ、大丈夫なんですか? あの姿になったヴァルムートは、とてもじゃないけれど……」
「存じてますよ。……場合によっては見定めるどころか、存命すら危ういかも知れませんねぇ。ですが、仕方ありますまい。事を仕損じた配下には、仕置きが必要とご主人様はおっしゃりたいのでしょう。ハァァ……こんな事なら、私も天使に付けば良かったですかねぇ」
グリフィシーの発言は、例の「裏切り者達」を示しての事だろう。こちらの世界では周知の事実ではあるが、グラディウスはここ最近、立て続けに裏切り者を2名(厳密には3名)も出している。アップルフォニーについては、セドリックが直接関わったことでもあるため、よく知ってはいるものの……もう1人は相当の実力者であったそうで、グラディウスとしてはかなりの痛手だったらしい。
(ガラは小物だから、どうでもいいのだろうけど……確か、後はキュラータと言ったか? 重要な拠点を任されていた幹部だったっけな……)
それでなくとも、リキュラも口惜しげに言っていたのだ。「ヴァルムートの猛攻を凌ぎ、鎮静化できるのはキュラータくらいのものだろう」と。なんでも、彼は防御に優れた存在であったそうで。鉄壁の守りを持つともなれば、手当たり次第に暴れ回るヴァルムートの相手をさせるにも、適役と言えそうだ。
「やれやれ。無事に乗り切れたらば、キュラータを探しに行きましょうかね。……私はアレが非常に嫌いですが、ご主人様も妙にご執心のようですし。お気に入りを連れ戻せれば、多少は許してもらえるかも知れません」
キュラータを「アレ」呼ばわりしながらも、少しばかり寂しそうな顔を見せるグリフィシー。普段から何かにつけ図太く、妙に要領が良いグリフィシーであっても、グラディウスの神様に逆らうことはできない。そう……「天使の札」を手に入れない限り、グラディウスの箱庭から逃げ出せないのは、彼らも一緒なのだ。
(だとすると……キュラータとやらは、天使に気に入られたのだろうか? しかし、天使に気に入られたところで、使われる立場は変わらないだろうに)
結局、どの世界でも伸し上がるには力が必要だ。そして……力をこのグラディウスの箱庭で手に入れるためには、神様に気に入ってもらえなければならない。失敗したのは、セドリックとて同じこと。神様のお気に入りになるためには、もっと従順に……それでいて、もっともっと強かに。実力を磨くと同時に、周囲を出し抜き、勝ち残り続けなければ。
(そうだ。僕は、使われるだけの存在で終わるつもりはない……! 魔法を極め、最強の魔術師になる。そのためには、人間である事を捨てなければ……)
それこそ、ナルシェラやヴァルムートのように。
……セドリックとて、デミエレメントになっている時点で、人間を捨てつつあるのだが。グラディウスの空気にさえ馴染みきれていない以上、神様の目に留まるには何かが足りない。そうして、セドリックはややズレた決意を新たにしてしまう。人としての一生を引き換えにしてでも、更なる力を手に入れなければ……と、深く考えることもなく、存在そのものを捨てる覚悟をしようとしている。
ふと、目に映るのは……グリフィシーのうらぶれた背中。セドリックとは違う覚悟を抱いた彼の姿に、少しだけ現実に引き戻されるけれども。勘違いという名の原動力を得たらば、もうもう止まらない。結局はグリフィシーの健闘を見守ることもせず……セドリックは色々な意味で、明後日の方向へ走り出した。




