6−50 さぁ、お手を拝借!
「こんなにも早く裏切り者に見つかってしまうなんて、飛んだ誤算です。どうです? ここは1つ、元同僚のよしみで見逃してくださいよ。リキュラ様には内緒にしておいてあげますから」
「裏切り者」に「元同僚」。この言葉から察せられることは、目の前で対峙する2人の執事は違うご主人様に仕えているということであり、グリフィシーは「天使の従者」ではないかも知れないということである。このことに、ヴァルムートはまたもかすかに違和感を覚えたが……グリフィシーが囁いた「甘い提案」を信じたい気持ちもあって、一応の静観を決め込んでいた。
一方……ヴァルムートが隣にいることさえ、気にも留めず。グリフィシーが軽妙な調子で、肩を竦めて見せる。狡猾な彼のこと。近接戦に持ち込まれた場合、キュラータ相手に勝ち目はないとすぐさま察知したのだろう。だからこそ、「ここは見逃してくれ」とありもしない情に訴えかけてくるが。
「内緒にされずとも、結構。あなたという存在のおかげで、緊急事態であることはしっかりと把握できましたし、どうせ内緒にするつもりもないのでしょう? なにせ……あなたは、根っからの大嘘つきでしたから」
「ふふ……それはまた、心外ですね。それに、裏切り者にそんな事を言われる筋合いはありませんよ?」
「確かに。……それもそうですか」
交渉決裂ですね。どちらからともなく、口元を歪ませるキュラータとグリフィシー。容貌や雰囲気こそ似通っているが。彼らはどうやら、同胞ではないらしい。
「……もしかして、グリフィシーは天使の従者ではないのか? ディアメロ公と同じ手の者ではないと……?」
「おや。気付かれてしまいましたか。ですが、それは非常に瑣末なこと。崇高なあなた様が、気にされる必要はありません。ヴァルムート様……一応、申し上げておきますと。実は、あちらの方が裏切り者でしてね。あのキュラータは……我らが神が切り捨てた、失敗作なのです」
失敗作かどうかは、さておき。裏切り者である事実を「確かに」と肯定してしまった手前、キュラータに反論の余地はない。そうして、苦々しくダンマリを決め込むキュラータの様子に、グリフィシーが言っていることが正しいのだと、誤解を拡大解釈して。ヴァルムートもキュラータへ冷たい視線を向ける。
「そこを退け、キュラータとやら。俺は神に選ばれた存在なんだ。そんな俺の行手を阻むなんて、許さんぞ」
「……これはこれは。大きく出ましたね、ヴァルムート公。……悪い事は言いません。グリフィシーと一緒に行くのは、全くもってお勧めしませんよ。……最悪の場合、人間を捨てなければならなくなります」
予断なくメイスを構えながら、キュラータは本心でヴァルムートを引き止める。しかし、言葉の端々にヴァルムートを軽んじる空気が混ざっていたのが、いけなかったのだろう。それでなくとも、キュラータのヴァルムートに対する印象が良くないのと同様に、ヴァルムートのキュラータに対する印象もよろしくない。
「人間を捨てる? そんな事、どうでもいい。俺は人間ではなく、神になるんだ。軽々しく、俺のクージェを地図から抹消なんぞ、させないようにな」
「……」
ここで負けてなるものか。いつかのエントランスでやり込められた屈辱も思い出し。既にクージェを手に入れた気になっているヴァルムートは、「神になる」等と荒唐無稽で横柄なことを宣う。
(本当に、何を勘違いしているのやら……。正直なところ、ヴァルムート程度がいなくなるのは、全くもって問題ないのですが。彼がグラディウスの手に渡るのは……話の向きからしても、非常に不味い)
人間を捨てることが、イコール神になることではないだろうに。ヴァルムートは元から、救いようもない程に傲慢ではあったようだが。ここまで突き抜けてしまうと、愚かさもいっそ清々しいと……キュラータはヴァルムートに憐れみさえ感じ始めていた。
「とにかく、道は阻ませていただきましょう。あぁ。ついでにあなたも処分しますか、グリフィシー。何を吹き込んだのかは、存じませんが。……ヴァルムート公を連れ去られるのは、不都合ですので」
「ふーん……やっぱり、そう来ますか? 本当に……ムカつく方ですね、あなたは。堅物で、マジメ腐ってて……空気が読めないばかりか、面白味に欠ける。あぁ、なんと興醒めな」
「左様で? 一応は、褒め言葉として受け取っておきましょう。あなたの興など、知ったことではありませんしね」
グリフィシーの嫌味を皮肉で返すと同時に、メイスを一振りすれば。グリフィシーが体制を整える間もなく、更なる追撃を放つキュラータ。猛攻から一転、防衛戦を余儀なくされたグリフィシーに、キュラータへの有効な攻撃手段はあまりない。
「……鉄壁のモーヴエッジは伊達じゃない、ってところですかねぇ。しかも……」
メイスの破壊力も脅威的。紙一重で躱しはしたものの。グリフィシーが飛びのいた後に残るは、大袈裟なまでに陥没した廊下の惨状。少しでも逃げ遅れていたらば、問答無用でペシャンコである。
(一撃食らったらば、即刻アウトと来ましたか)
俊敏性こそ、グリフィシーの方が優れているが。キュラータは細身な割には、並外れた怪力の持ち主でもある。その上、同じ趣向で作られた魔法生命体であるため、互いの毒は効果なし。近接戦にもつれ込んだ場合、この堅牢なキュラータと純粋に殴り合わなければならない。……面と向かって勝負するとなれば、グリフィシーは圧倒的に不利だ。
「ハァァ……仕方ありませんねぇ。ヴァルムート様、力及ばず申し訳ありません」
「力及ばずって……どういう意味だ、グリフィシー! まさか、諦めるのか……?」
「いいえ? 諦めるわけではありませんよ? ただ……所定のご案内ができなくなるだけで」
「所定のご案内……?」
意味ありげな事を言いつつ、「諦めるわけではない」の言葉に一応の安心をするヴァルムート。だが、彼の言わんとしていることを咄嗟に理解したキュラータは「いけません!」と短く発すると同時に、グリフィシーを止めようとするが……。
「さぁ、お手を拝借! 是非に、このグリフィシーに全てを預けて下さいませ、ヴァルムート様! ここで正式に……我が主人となって下さいませ!」
「承知した。……手を預ければいいんだな?」
芝居がかった掛け声と共に、差し出された手は黒手袋ではなく……剥き出しになった白磁の肌。短く整えられた爪は麗しい瑠璃色に輝き、ヴァルムートの瞳に尚も蠱惑的に映る。
「なんて、事を……!」
「ククッ……これで私の勝ちですね、キュラータ。これでは、手を出せますまい!」
疑いもなく手を預け、疑う間もなく毒を得て。強烈な神経毒が巡ったヴァルムートは、即座に倒れる……はずだった。だが……。
「ヴァルムート公が、我らの毒へも耐性を持ち得ているだなんて……しかも、魔力として変換までしてしまうなんて。これこそ、飛んだ誤算ですね」
「そうでしょう、そうでしょう! 何せ……ヴァルムート様は生まれた時から、魔法の果実を与えられてきたのですから! 今更、我らの毒なんぞ効きませんよ。それどこどか……」
「漆黒魔人へと、ステージを進めてしまいましたか……」
キュラータの予測を大幅に上回り、ヴァルムートはグリフィシーの毒さえも克服してみせる。彼を憎々しげに睨む、歪んだ眼光はそのままであったが……ゆらりと立ち上がったヴァルムートは既に、人の姿をしていなかった。




