第18話 不器用な看病リゾット
季節の変わり目の天気というのは、女心よりも移ろいやすい。
晴れていたかと思えば急に雨が降り、暖かいかと思えば急に冷え込む。
そんな不安定な週末の土曜日。
俺は、秋葉原の電気街で、とある「嵐」に巻き込まれていた。
「センパ〜イ! 見てくださいこれ! このキーボードの打鍵感、神じゃないですか!?」
PC周辺機器の専門店。
カチャカチャと高速でキーを叩きながら目を輝かせているのは、営業二課の後輩、石井ミチルだ。
今日の彼女は、ダボッとしたパーカーにショートパンツ、キャップを目深に被るという、完全な「オフモード」である。
「……石井。俺はただ、お前の新しいゲーミングPCの構成相談に乗るだけって話だったはずだが」
俺は両手に抱えさせられた大量のショッパーを持ち直しながら、ため息をついた。
「えー、いいじゃないですかぁ。センパイ、詳しいし頼りになるし。それに、これってデートみたいで楽しくないですか?」
ミチルは悪びれもせずに振り返り、ニシシと笑った。
デート。
確かに、側から見ればそう見えるかもしれない。
だが、実態は「保護者と奔放な子供」だ。
「デートなら、もう少し色気のある場所に行くだろう」
「ここが一番色気ありますよ! 見てくださいこのグラボの曲線美! ……あ、センパイ、これ買ってください」
「自分で買え」
結局、彼女の買い物に半日付き合わされ、歩き回ることになった。
夕方。店を出ると、冷たい雨が降り始めていた。
「うわっ、雨だ! 最悪〜」
「傘、持ってないのか?」
「ないですぅ。センパイ入れてくださいよ」
俺は仕方なく折りたたみ傘を開き、彼女を駅まで送ることにした。
小さな傘の下、二人の距離は必然的に近くなる。
彼女の肩が濡れないように気を使うと、どうしても俺の半身が濡れてしまう。
「……センパイ、優しいですね。やっぱりモテるでしょ?」
ミチルが上目遣いで覗き込んでくる。
「モテないよ。……ほら、駅だ。早く帰って風呂入れよ」
「はーい! ありがとうございました! 今夜のFPS、援護射撃頼みますね!」
彼女は元気に手を振って改札へと消えていった。
俺は濡れた肩をさすりながら、くしゃみを一つした。
……なんだか、寒気がする。
その夜、23時50分。
俺は自宅のベッドで、愛犬レオに心配そうな顔で見下ろされていた。
「……くぅん?」
「大丈夫だ、レオ。……ちょっと、熱があるだけだから」
俺は重たい体を起こし、熱いシャワーを浴びて着替えた。
体温計は37.5度を示している。
微熱だ。昼間の雨と、人混みでの疲れが出たらしい。
大人しく寝ているべきだが、そうもいかない。
「契約」がある。
もし俺が行かなければ、彼女――李雪は心配するだろうか。それとも、怒るだろうか。
どちらにせよ、連絡もなしに休むわけにはいかない。
俺は厚手のパーカーを着込み、マスクをして家を出た。
足取りが重い。
いつものコンビニが、やけに遠く感じた。
深夜24時10分。
コンビニの前に到着すると、彼女はすでにそこにいた。
えんじ色の芋ジャージに、ボサボサのお団子ヘア。
今日のTシャツの文字は、筆文字で『健康第一』。
……今の俺には耳が痛い言葉だ。
「……こんばんは、師匠」
彼女は俺の顔を見るなり、眉をひそめた。
瓶底メガネの奥の瞳が、鋭く俺を観察する。
「お疲れ様です……迷い猫さん」
俺は努めて普段通りの声を出し、笑顔を作ろうとした。
だが、彼女は俺の前にスタスタと歩み寄ると、無言で俺の額に手を伸ばしてきた。
ひんやりとした掌が、熱を持った俺の額に触れる。
「……熱い」
彼女は手を引っ込め、呆れたように俺を睨んだ。
「熱があるじゃない。何しに来たの?」
「……約束、ですから」
「馬鹿ね。こういう時は『体調不良で欠席します』って連絡するのが社会人の常識よ」
彼女は厳しく言ったが、その声色はどこか優しかった。
「帰りなさい。……と言いたいところだけど、その顔じゃ家まで帰る気力もなさそうね。何か食べた?」
「いえ、まだ……」
「はぁ。……分かったわ。そこに座ってて」
彼女は店先のベンチを指差した。
「今夜は、私が『マエストロ役』をやるわ」
「え?」
「貴方は患者。私が貴方の『処方箋』を選んであげるって言ってるの。……大人しく待ってなさい」
李雪は有無を言わせぬ迫力で宣言すると、俺をベンチに座らせ、一人で店内へと入っていった。
俺はぼんやりとその背中を見送った。
いつもは俺がエスコートする側だ。彼女に背中を預けるのは、なんだか不思議な気分だった。
数分後。
彼女が買い物袋を提げて戻ってきた。
中から取り出したのは、『冷凍の焼きおにぎり』、『カップスープ』、そして『とろけるスライスチーズ』。
すべて、店のレンジとお湯で調理済みだ。
「……これで、何を作る気ですか?」
俺が聞くと、彼女は真剣な顔で腕まくりをした。
「リゾットよ。……前に、貴方が言ってたわよね。焼きおにぎりは出汁が染みてるから、スープと合わせると美味しいって」
確かに言ったかもしれない。
だが、彼女に料理のスキルがあるという話は聞いたことがない。
「……手伝いましょうか?」
「駄目。患者は寝てて」
彼女は空のカップに、温めた焼きおにぎりを二つ投入した。
そして、プラスチックのスプーンで崩しにかかる。
ザクッ、グサッ。
手つきが危なっかしい。
親の仇のように垂直におにぎりを突き刺している。
「あの、もっと優しく……切るように混ぜると……」
「う、うるさいわね! 分かってるわよ!」
彼女は顔を赤くして反論するが、明らかに苦戦している。
俺は苦笑いしながら、ベンチから口頭で指示を出した。
「スプーンの背を使って、おにぎりを押し広げる感じで。……そう、そうです」
俺の遠隔操作により、なんとかおにぎりがほぐれた。
そこに、熱々のクラムチャウダーを注ぎ込む。
醤油の香ばしい匂いと、クリームスープの甘い香りが混ざり合う。
最後に、とろけるチーズを乗せて、予熱で溶かす。
「……できた」
彼女は額の汗を拭い、達成感に満ちた顔をした。
見た目は少し不恰好だが、香りは抜群にいい。
即席の『焼きおにぎりチャウダーリゾット』だ。
「はい、あーん」
彼女はスプーンでリゾットをすくい、ふーふーと息を吹きかけて冷ました。
そして、俺の口元に差し出す。
「……えっ」
「何よ。手が震えててこぼしそうだから、私が食べさせてあげるって言ってるの。……早くしなさい、冷めるわよ」
彼女はそっぽを向きながら、耳まで赤くしている。
俺は観念して、口を開けた。
パクッ。
口の中に広がる、濃厚な旨味。
醤油の焦げた風味と、アサリの出汁が効いたクリーミーなスープ。そしてチーズのコク。
それらが一体となって、弱った体に染み渡っていく。
コンビニの商品を混ぜただけなのに、なぜか高級ホテルの雑炊よりも美味しく感じた。
「……どう?」
彼女が不安そうに聞いてくる。
「……美味いです。すごく」
俺が正直に答えると、彼女はほっとしたように表情を緩めた。
「よかった。……味見してなかったから、ちょっと不安だったの」
彼女は次々とリゾットを口に運んでくれる。
不器用な手つき。真剣な眼差し。
その全てが、熱でぼんやりした俺の頭に、愛おしく焼き付けられる。
ふと、昼間の出来事を思い出した。
ミチルとのデート。
あれはあれで楽しかったが、やはり俺が求めている「安らぎ」は、ここにあるのだと実感する。
「……なんか、味が濃い気がしますね」
俺が冗談めかして言うと、彼女はスプーンを止めて、ジト目で俺を見た。
「……文句あるの?」
「いえ。……塩分とは違う、何かの味が」
俺が言うと、彼女はふん、と鼻を鳴らし、最後の一口を俺の口に押し込んだ。
「……愛情過多なのよ。黙って食べなさい」
その言葉に、俺は思わずむせた。
愛情。
彼女の口からそんな単語が出るとは思わなかった。
彼女は慌てて俺の背中をさすりながら、顔を真っ赤にして弁解する。
「あ、あくまで『師匠』への敬意としての愛情よ! 勘違いしないでよね!」
「……分かってますよ。ありがとうございます」
俺は微笑んで礼を言った。
完食すると、体の中からポカポカと温かくなっていた。
悪寒は消え、代わりに心地よい満腹感が広がる。
「……さて、送り届けるわ」
彼女は立ち上がり、俺の手を引いた。
「え、一人で帰れますよ」
「駄目。途中で倒れられたら、明日からの私の夜食が困るもの。……家の前まで送らせて」
彼女の強い意志に負け、俺たちは並んで歩き出した。
俺の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩く彼女。
その肩が、時折俺の腕に触れる。
「……明日は日曜日ね。ゆっくり休みます」
「そうして。……月曜日の朝には、また元気な顔を見せなさいよ。これは上司命令」
「了解しました」
マンションの入り口まで送ってもらい、俺たちは別れた。
部屋に戻ると、レオが心配そうに起きてきた。
俺はレオを抱き上げ、窓の外を見下ろす。
遠ざかっていくえんじ色のジャージの背中が、街灯の下で小さく見えた。
不器用で、強がりで、でもとびきり優しい俺のパートナー。
その「看病」のおかげで、この熱もすぐに下がりそうだ。
俺はレオの温もりを感じながら、今夜味わった「愛情過多」なリゾットの余韻を噛み締めていた。




