052 見捨てない為の決断
管理棟に入ってからも、大地の興奮は治まらなかった。壁に頭をぶつけ、ボールペンで喉を刺そうとした。
そんな状態に管理人は、大地の入院を勧めた。
「それってつまり……そういう病院、ということでしょうか」
「はい、そうなります」
「……」
「確かに入院となると、抵抗があるかもしれません。ですが勿論、プライバシーは守られます」
「海さん、遅れました」
海の連絡を受けた浩正が入ってきた。
「ご家族の方ですか」
「兄です」
浩正が間髪入れずに答える。
「それでしたら……先程の話、お兄さんにも相談してみてください」
管理人にそう言われ、海は浩正に経緯を説明した。
「そうですか……」
浩正の目に、錯乱する大地が映る。
「海さん。どうされますか」
「私は……」
浩正の問いに答えられなかった。
今、どうすることが一番いいのか、判断することが出来なかった。
「最終的には海さん、あなたの決断になります」
「そう……ですね……」
「入院となれば最低でも一か月、症状が長引けば数か月になるかもしれません。それに実際の話、回復するかどうかも分かりません」
「……」
海にとって未知の世界。そういう病院があることは知っていたが、これまで関わったことはなかった。
しかし今、その決断をしろと言われている。どうするべきなのか、どの選択がいいのか分からなかった。
「今の大地くんの状態を見ていると、家に連れ帰ったとしてもすぐ、こういう行動に出ると思います。そうすればまた、こうして探すことになってしまいます。それに今の大地くんを見ていると……」
そう言って、獣のように吠える大地を見つめる。
「いつまでも海さんに止められるとは思えません。大地くんは男ですし、いざとなったら海さんを振り払うぐらい、簡単に出来ます」
「……」
「それに海さん、あなたのことも心配です。あの日からずっと、海さんは休むことなく大地くんを見守ってきました。ですが人には限界があります。この状態が続けば、いずれどこかで心が折れてしまいます」
「でも……それじゃ私、大地を見捨てることに」
「見捨てない為の決断、そう思ってください。一度大地くんを保護し、落ち着かせて、海さんも休養をとる。応急処置、そう考えてみませんか?」
淡々と語る浩正。しかし、その声が少し震えてることに海は気付いていた。
こんな決断、誰もしたくない。
それは大地を支えることの放棄だ。
それなのに浩正さんは私の為に、あえて汚れ役を買ってくれている。
そう思い、小さくうなずいた。
「ありがとうございます。ではすいませんが、救急車の手配、お願い出来ますか」
浩正にそう言われ、管理人はうなずき受話器を取った。
大地が入院する病院。
そこは市街からかなり離れた、緑豊かな場所に佇んでいた。
「静かないいところ……ですね……」
「そうですね。こういう病院は、結構街外れにあるようです」
「そうなんですね……」
その言葉を聞いて。
いい環境なんだけど。ある意味ここは、患者を隔離するのに最適な場所なんだと思った。
待合室でしばらく待っていると、受付が診察室に入るよう伝えてきた。
浩正に付き添われ、海が診察室の扉を開ける。
そこには恰幅のいい、眼鏡をかけた男がパソコンに何やら入力していた。それが大地の主治医のようだった。
60代ぐらいだろうか。そう思い彼の前に立つが、主治医は海たちを無視して黙々と入力作業をしていた。
そしてひと段落済むとこちらを向き、座るよう促した。
海が座り、浩正が後ろに立つ。
「とりあえず、しばらく入院させますね」
その物言いに苛立つ。
さっきからこの人、全然私たちを見ていない。
それに何? 入院させるって、あんた何様?
そう思った。
「入院……しない選択はあるのでしょうか」
「ありませんね」
馬鹿なこと聞かないでくれ。そんな声が聞こえてきそうな態度だった。
「今は注射で眠らせてます。ここに来てからも彼……清水さんはかなり興奮してました。あのままだと我々にも危害を加えてくる、そう判断しましたので」
「そう……ですか……」
「当分の間、集中投薬による処置を行います。今の興奮を沈める為には、それが一番確実ですので」
「投薬って……どういう薬なんですか」
「今の状態は、彼にとって何のプラスにもなりません。頭にあるのは死ぬことだけ。思考自体ネガティブになっています。それを薬で抑えます」
「すいません、それってどういうことですか」
「考えるという意欲をそぎます」
ボールペンで額を掻き、抑揚のない声でそう告げる。
「少し乱暴に聞こえるかもしれませんが、これが一番理にかなった処置なんです。いくら物事を考えたところで、終着点が自死ということが彼の中では決まっている。それを人権侵害だ、尊重しろと言って放置すれば、状態はどんどん悪くなっていきます。それにここには大勢の患者がいます。彼らに危害を加えられても困ります」
「大地はそんなことしません!」
そう声を荒げる海の肩に手をやり、浩正が「落ち着いてください」そう耳元で囁いた。
そんな海の様子に主治医は、お前は何も分かってない、こちらに任せておけばいいんだとばかりに首を振った。
「とにかく、しばらくは薬物療法となります。彼の中にある、死にたいという願望自体を封じます。その後の処置についてはまた、後日話しましょう」
拳を握り、肩を震わせる。
この人にとって、大地ってどういう存在なの?
医者って名乗るからには、患者と向き合い、話し合い、完治を目指していくものじゃないの?
この人の言動からは、それらが一切感じられない。
手遅れです、薬で一旦リセットします。そう言ってるようにしか聞こえない。
彼は実験動物じゃないのよ?
尊厳を持った、一人の人間なのよ?
私の愛する人なんだよ?
そんな思いに囚われ、肩を震わせた。
「海さん」
浩正が囁く。いつものように穏やかに。静かに。
「とにかく今は、先生にお任せしましょう。先生のおっしゃる通り、あのままだと大地くんはまた行動を起こします。先生を信じて、彼を見守りましょう」
その言葉にうなずくしかなかった。
どれだけ主治医に反発しようとも、今の自分にはどうすることも出来ない。
浩正が言う様に、大地を管理された場所に置き、そしてお互いに距離を取って落ち着き、その上でこれからについて考えていくべきだ。
そう思い、唇を噛み。
主治医に頭を下げたのだった。
「……よろしくお願いします」
いつも応援いただきありがとうございます。
今話から心の病、及び入院施設に関する話になります。
このエピソードを書く為に取材を重ね、体験者の方からも話を伺うことが出来ました。その上で、あくまでも「フィクション」として書き上げたつもりですが、不快に感じる方もいらっしゃるかと思います。
また、最終的な治療方法についても、体験者の方の話をベースにしたものではありますが、常識外れなものであり、栗須自身推奨する意図は全くありません。
重ねて、あくまでも「フィクション」としてお読みいただける様、お願い申し上げます。
栗須帳拝




