67 蜂の感傷
ジェラルドに用意されたのは、狭いが清潔な部屋だった。
小さなベッドに簡素だが机と椅子。ご丁寧に椅子式の便座まで置かれている。
申し分がないとは到底言えないが、最低限の気遣いはあるようだ。
しかし格子窓付きの扉には外から鍵が掛けられるようになっており、小さな窓にも鉄製の格子がつけられていた。
「この部屋で、しばらくお待ちいただきたい」
「いつまで待てばいいんだ?」
「準備ができるまで―――死なないよう食事は持ってこさせますよ」
薄く笑いながら、エリアスは部屋の鍵を閉めた。
彼にあるのは罪悪感ではなく、任務を一つ成し遂げたという達成感であるらしい。
それを指摘するのも面倒だと思ったジェラルドは、明らかに彼の体には長さの足りないベッドに腰を下ろした。
「しばらく大人しくしていてください。かならず良きように取り計らいますので。では」
そう言って、蜂はジェラルドの返事を待たずに部屋の前から去っていった。
いちいち癇に障る男だ。
この期に及んで、口ではまだジェラルドを尊重しているようなことを言う。
少しの気遣いがあるなら早く故郷に返してくれと、ジェラルドは思った。
彼はエリアスの足音が十分遠ざかったのを確認してから、なにか脱出に使える道具がないかと部屋の中を物色してみた。
しかし簡素な部屋にあるものは多くなく、更にはご丁寧に家具の類は全て木のみで鉄の取っ手すらつけられていなかった。
流石にこんなところでぬかるわけがないかと、ジェラルドは諦めて束の間の休息をとることにした。
***
「戻ったか」
女王の顔に、分かりやすい笑みが浮く。
彼女はドレスの裾を邪魔そうにしながら王座を下り、拝謁するエリアスに駆け寄った。
「体調がすぐれないというのに、いきなりファーヴニルに行きたいなどと申すから心配したぞ」
侍従長の厳しい視線などものともせず、彼女はエリアスに闊達な笑みを見せる。
―――その笑顔は、出会った時と何も変わらない。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。ファーヴニルを挟んだ向こう、帝国に怪しい動きありとのことで、向こうの王家に探りを入れてまいりました。森を擁するファーヴニルがかの国に併合されれば、次は我が国に直接脅威が迫ってまいりますゆえ」
サンジェルスは大国だが、その周辺の外交事情に全く不安がないという訳ではない。
特に小国ファーヴニルの向こう、新興国だが急速に領土を拡大するリジル帝国は、目に見える脅威としてサンジェルスの前に立ちはだかっていた。
リジル帝国を率いるのはレギンという出自の知れない男だ。
欲深い男で、その男がいつまでも古い条約を守りファーヴニルを不可侵でいるとは考えづらかった。
鉄の武器ができて以来、大陸の歴史は急速に動いている。
いつまでも旧来依然とした国家間情勢に、胡坐をかいているわけにはいかないのだ。
―――せめて、この命が尽きる前に……。
穏やかな笑みを浮かべながら、エリアスは焦燥に駆られていた。
身の内を見えない病魔が食い荒らす。
道中薬で押さえていたが、彼を蝕む痛みは徐々に強まりつつあった。
死ぬ前に女王のために万全の体勢を整えようとする彼にとって、女王を支える王配を迎えることは急務であった。
それが今回の、少々強引な婿殿誘拐につながったわけだ。
「そうか……。あまり無理するでないぞ。私にもっと味方がおれば、お前に苦労を掛けずに済むのだが……」
残念そうに言う若き女王に、エリアスは首を振った。
「いいえ陛下。貴女に仕えられることが、我が至上の喜びに存じます」
それはエリアスの心底の言葉だった。
食い詰めて死にかけたところを助けてくれた姫だ。
彼女が望む相手を。そして国が栄える夫を。
彼女に王配を迎える―――それだけがエリアスの悲願だった。
(陛下は、あの男に想いを寄せていらっしゃる)
穏やかな笑みの裏で、エリアスは先年の戴冠の儀を思い出していた。
滅多に外交の舞台には現れないジェラルドが、王の名代として出席していたのだ。
噂では王妃が不治の病を患っており、王は国を離れられないということだった。
そして現れたジェラルドのその容姿に。洗練された立ち居振る舞いに、年若い令嬢たちは容易く魅了されてしまったのだ。
他国からきた姫君が夜這い騒ぎを起こたり、令嬢たちが城のあちこちでキャットファイトを演じたりと、儀式の期間中は本当に大変な騒ぎだった。
若い令嬢たちには、ジェラルドが小国のそれも前王の妾の子であるなどということは、どうでもいいことらしい。
そしてその魅力に、若き女王もすべからく魅了されてしまったのだ。
(これが最後のご奉公だ)
ジェラルドとマルグリットの婚儀を思い浮かべ、エリアスは更に優雅な笑みを浮かべて謁見の間を辞したのだった。
11/4に宝島社さまより『竜の子を産んだら離縁されたので森で隠居することにしました』が発売となります。
詳しくは活動報告にて




