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63 逃亡

 シリルの縄を切ると、ジェラルドは壁の様子を伺った。

 彼は己の迂闊さを呪っていた。

 まさか一国の使者が、こんなにも手荒な手段に出るとは思っていなかったのだ。

 己の身は己で守れるという、自負もあった。


「どうします?」


 ごく小さなシリルの問いかけに、ジェラルドは小さく顎を引いた。

 そして首から下げていた小さな首飾りをはずすと、シリルの手に押し付ける。

 小さいが純金製の、王弟であることを示す紋章入りのペンダントだ。


「これを持って、お前は城へ。兄上に知らせてほしい。俺に何があっても、決してことを荒立てないと」


「は!? 何言ってっ」


 叫びそうになるシリルの口を、ジェラルドは慌てて塞いだ。


「さっきも言ったように、俺たちを攫ったのは隣国の者達だ。しかし、我が国はサンジェルスとことを荒立てるわけにはいかない。国力が違いすぎる」


「だからって、大人しく攫われようとでも言うんですか!?」


 抑えつけられた口の中で、シリルがもごもごと反論する。

 そんな部下に、ジェラルドは慎重に言い聞かせた。


「俺には身分がある。だからそう簡単に殺されはしない。それより一刻も早く、兄上にこのことを伝えてくれ。きっと陛下がいいようにしてくださる」


 いいように―――の中には勿論、ジェラルドを見捨てるという選択肢も含まれている。

 けれど彼は敢えて、そのことをシリルに伝えなかった。

 この直情型の部下は、それを知れば納得できないと憤ることだろう。

 そんなことで、貴重な時間を消費したくはない。

 ジェラルドを攫った一行は、できるだけ早くファーヴニルを出国しようと考えるはずだ。

 恐らく今頃はエリアスが兄に暇乞いをしているはずで、その隙にジェラルドはシリルを逃がしてしまいたかった。

 シリルを生かしておく理由が、やつらにはない。

 身分が分からず一刻(いっとき)は判断を保留したらしいが、彼が貧乏男爵の三男だと知れればその命が危ない。

 だからその前にと、ジェラルドは焦っていた。

 自分の身一つなら、どうとでもなる。

 エリアスが言っていたことをそのまま信じるつもりはないが、悪くても女王との面会までは生きていられるはずだ。


「俺が囮になる。俺を追って人気が無くなったら、お前は逆側に走れ」


「しかし!」


 まだ反論を続けるシリルの両肩を、ジェラルドはがしりとつかんだ。


「シリル・ヨハンソン。お前の任務は何だ?」


「は?」


 こんな時に何を。

 口にせずとも、シリルの顔は如実にそう語っている。


「シャーロットとラクスを守ることだろう。少なくとも、俺はそう命じたはずだ」


 ジェラルドの押し殺した声に、シリルは目を見開いた。


「だというのに、お前はこんなところで何をしている。警護対象を平気で放り出しておくような人間を、部下に持った覚えはない」


 語気を強めて言うと、シリルが黙り込んだ。

 反論はない。

 二人の間に重い沈黙が落ちる。

 しばらくして、外から人の気配がした。

 エリアスの仲間らしい男たちが、扉の前で会話し始める。


「見張りご苦労。王弟殿下はどうしてる?」


「大人しいもんです。しかし仮にも他国の王族に薬を効かせるなんて、外交官様には恐れ入りますね」


 片方の男の声には、明らかな苦笑の色があった。

 それにはジェラルドも同感だ。

 エリアスの三枚舌という二つ名は伊達ではない。

 実力行使よりは口で。口が駄目ならば搦め手で。

 彼は手口が巧妙で知られる策士だった。

 だからこそ、彼が実力行使でジェラルドを拘束するなど、想像すらしていなかった。


「なにか急を要する事情ができたんだろう。俺達には関わりのないことだ」


 男の冷めた口調に、実行犯はもしかしたら正式なサンジェルスの騎士ではないのかもしれないとあたりをつける。

 正規軍でないのならならず者を雇ったか、或いは傭兵の類か。

 ジェラルドは気を引き締めた。

 相手が誰であろうとそれは問題ではない。

 今重要なのは、いかにしてシリルをこの場から逃がすかだ。


「へへ、違いない。金さえ貰えばこんなしみったれた国ともおさらばだ」


「ぬかるなよ。なんせ相手は王国の騎士様だからな」


 嘲るような声の響きを残して、一方の男が去っていくのが分かった。

 ジェラルドはあえて、その隙を狙った。

 囮になるからには、いかに目立つかが重要だ。

 彼は片足で扉を蹴破り、外に飛び出す。

 打ち合わせ通り、シリルは小屋の奥深くに隠れているはずだ。


「我が国への侮辱、許さんぞ!」


 まず見張りの男を殴り倒すと、ジェラルドは叫んだ。

 場所は王都のはずれらしい。

 疎らに家はあるが、あまり治安のよさそうな場所ではない。


「くそっ! 貴族様が逃げるぞ!」


 先ほどの男が叫びながらナイフを抜いた。

 殴った男を盾に、ジェラルドは小屋から離れる。

 隣の建物からは続々と、ガラの悪そうな男たちが飛び出してきた。

 一応胸当てなどの防具を身に着けているので、おそらくは傭兵団なのだろう。

 人の国に随分やっかいな者達をつれこんでくれたなと、内心でエリアスに舌打ちをした。


「逃がすな! 相手は一人だ!」


 男たちの怒号が響き渡る。

 ジェラルドは笑いたくなった。

 なぜだかは分からない。

 ただ肚の底から、笑いだしたくなるような衝動があった。


「できるものなら捕まえてみろ! 騎士がどれほどのものか、とくと見せてやる!」


 普段のスマートを捨て、ジェラルドが吼える。

 小屋の奥に隠れながら、シリルはそれを信じられないような思いで見ていた。




 




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