59 多弁な蜂
更新が空いてしまって申し訳ないです
荒れた酒場に、似つかわしくない二人の男がいる。
片や大国の外交官で、片やこの国の王弟である。
どちらも古ぼけたマントで豪奢な服を誤魔化しているにしても、整った目鼻立ちやあふれ出る気品は隠しようがない。
「お口にあいませんかな?」
大きめの具材がぐつぐつと煮込まれた煮込みを、その男---エリアス・ヴェルナーは器用に切り分けては口に放り込んでいく。
酒場に慣れたその様子は、彼にとってこのような食事が珍しくないことを如実に語っていた。
我が国をずいぶんと満喫されているようで---皮肉っぽくなる己を自覚しつつ、ジェラルドはくさくさした気持ちをエールで流し込んだ。
急な城への呼び出しで、何かと思って帰ってみれば断りようのない縁談が待っていた。
彼が苛立つのも当然である。
相手は隣国の女王の王配。
条件としては良すぎる相手で、家臣たちが是非にと勧める理由も分からなくはない。
縁談というのは王族にとって責務だ。
国にとって最も都合のいい相手が宛がわれ、後継に血を伝えるのは高貴な者達の義務だと言える。
もちろんジェラルドも、王族に生まれたからにはいつかはと覚悟していた。
しかし前国王の愛妾の息子という立場上、今までこれと言ってめぼしい縁談はなかった。
国内の貴族にとって、現国王に健康な息子がいるのだからジェラルドは支援しても旨味のない相手だ。
娘をやって縁続きになった途端、王に睨まれて簒奪の罪を着せられる可能性もなくはない。
ジェラルドに懸想する令嬢は多かったが、大々的にアプローチしてくる女性が少ないのも同じ理由だ。
だからこそ、彼は王族にして騎士団の団長を兼任するなんてことをやっていられるわけだが。
そして旨味が少ないという意味では、他国でも同じこと。
ファーヴニル国は小国であるし、そこの王太子ならまだしもジェラルドは王弟である。
また彼は肖像画を嫌ったので、他国の貴賓の多くはジェラルドを王族の分際で騎士などになった脳筋であると決めつけていた。
そこに嫁の来手などあるはずがない。
そんなこんなで、二十歳を過ぎても婚約者一つなく生きてきてしまった。
だからこそ---死ぬまでラクスの使役者として生きると宣言できたわけだが。
(もう縁談なんて、来ないと思っていた)
それがジェラルドの本音だった。
それでよかったし、自らそれを望んでもいた。
愛のない両親を見ていれば、結婚に夢など抱けないのは当然だ。
だからこのまま、騎士として国につくせればそれで満足だった---のに。
ジョッキを空にし、彼は「どうして今更」という言葉を飲み込んだ。
「どうして今更---そう思っていらっしゃるでしょうね」
エリアスの言葉に、ジェラルドはぎょっとした。
彼はジェラルドとは対極にある男だ。
常にきらびやかに装い、各国の社交界を飛び回っては自国に蜜を持ち帰る。そして鋭い針を隠し持つ。
---多弁な蜂。
彼のいくつもある通り名の内の一つだ。
顔に出しこそしないものの、ジェラルドは無表情のままエリアスを一瞥した。
彼のあまり発達していない表情筋は、こういう時は有利に働くことが多い。
「あまり睨まないでください。信じがたいことでしょうが、今回の縁談には本当に裏なんてないのですよ」
「というと?」
空になったジェラルドのジョッキにお代わりを注文しつつ、エリアスはそつなく言う。
「たまたま女王陛下に貴方様のことをご報告しましたら、えらく興味を持たれまして。我々家臣一同はお止めしたのですが、それがいけなかった。陛下は意固地になってしまわれて」
あまりにもあけすけに話すエリアスに、ジェラルドは拍子抜けしてしまった。
どんな甘い言葉で篭絡してくるのかと、身構えていただけ余計に。
「確か……今年で十五歳にならせられるか?」
「ええ。大変お転婆で、家臣一同振り回されております」
エリアスが苦笑する。
しかし言葉通りに受け取るのは危険だろう。ジェラルドはそう判断した。
サンジェルスでは伝統的に、王の血を引く者の中から最も相応しい者が王位を継承することになっている。
生まれた順番は関係ない。
どれだけ優秀で、どれだけ国内外の貴族を掌握できるか。
その戦いに負けた者は、よくて一生軟禁。悪ければ死が待っている。
大国なだけあって、その王位争奪戦は熾烈を極めた。
そして現女王のマルグリットは、当時齢十歳という不利を圧してその座を射止めたのだ。
よほど優秀な参謀、或いは黒幕がいるのだろうと、当時は大陸全土で噂になったものだった。
「あなたには悪くない話のはずだ。この国で飼い殺しにされるよりは余程---」
兄と同じ言葉を使うエリアスを、ジェラルドは睨みつけた。
「私は今の境遇に不満などない。女王の玩具探しならよそをあたってくれ」
ジェラルドの鋭い物言いに、相手は笑顔を崩さない。
「そのようにつれないことをおっしゃらずとも。まだ子供ですが、うちの陛下はなかなかの器量よしですよ?」
「器量の問題ではない。貴国の女王と私では、つり合いがとれぬだろう。言っては何だが、私は旨味のない男だ」
「はは、それを自らおっしゃるのですか」
「自らそうなるよう生きてきたからな。このまま一生を、騎士として国に捧げて生きるつもりだ」
ジェラルドの言葉を嘲るように、エリアスの笑みが冷たく変化した。
「それは竜の使役者として、ですか?」
がたんと勢いよく、ジェラルドは立ち上がった。座っていた椅子が後ろに倒れる。
店主の迷惑そうな顔。
酒場の喧騒が一瞬途切れ、すぐにまた騒がしくなった。
荒くれ者共が、物騒な展開を期待してちらちらとこちらをうかがっているのが分かる。
ジェラルドはぞっとした。
そして相変わらず笑みを浮かべるばかりの相手を、凝視するより他なかった。




