40 帰宅
出発は、ぽかぽかと日差しの気持ちいい日だった。
「いい天気ね~」
日よけの帽子を押さえながら、気持ちよさそうにシャーロットが呟く。
「おい、あんまり乗り出すなよ。危ないだろ」
御者台で手綱を握るのは、弟のシリルだ。
怒りながらも、なんだかんだで彼はシャーロットを心配している。
さっきから頻繁に、あれには気を付けろこれには気をつけろとうるさいぐらいだ。
離れていた時間が、彼を心配性に変えてしまったのかもしれない。
それがくすぐったくもあり、なぜか少し寂しくもある。
「シリル。幾ら心配だからって、あまり怒ってばかりではシャーロットに嫌われてしまうよ?」
穏やかに言ったのは、兄のアーサーだ。
彼は幌付きの荷台の中で、背筋を伸ばして胡坐をかいていた。
(アーサー兄様ってば、別人見たい)
そっと中に目をやりつつ、シャーロットは笑った。
真面目な長兄と比べて、彼は少し茶目っ気のある性格なのだが、兄妹のいる場とはいえ、今は寛ぐ気になれないらしい。
それも当然か。
「シリル、あとどれほどだ?」
なんせ彼らの上司たる騎士団長、ジェラルド・シグルズが同乗しているのだから。
そして更にその奥には、白い竜が人を真似て座っている。
投げ出した短い脚と、ぽこんとつきでたお腹が可愛らしい。
「クルルゥ」
シャーロットと目が合うと、ラクスは嬉しそうにした。
あの晩から、ラクスは少し大人しい性格になったようだ。
それが肉体的に成長に伴うものなのか、それとも物静かなジェラルドの影響なのか、それはまだ判断が付かない。
ただジェラルドは極力ラクスの行動を制限しないようにしているようで、ラクスと再会した朝以来彼がラクスを制御するところを見ることはなかった。
シャーロットが思うよりもよっぽど深く、ジェラルドはラクスに術を掛けたことを、深く気に病んでいるらしい。
(そういうお方だから、私もこんなに冷静でいられるのかも―――)
ふと、そんなことを思う。
もしラクスを使役したのが他の人間だったら―――たとえば己の兄であったとしても、シャーロットはおそらく冷静ではいられなかったことだろう。
彼の驕らず思慮深い性格を知っているからこそ、こんなに落ち着いて息子を見守っていることができるのだ。
結局、シャーロットは再びラクスとの森での生活を選んだ。
そこに二人の兄弟が付き添うことになったのは、せめてもという王妃の温情と、それから前回の反省を踏まえたジェラルドの提案に、王が同意したからだ。
そういうわけで、護衛の追加はワラキア公爵家の血を引く男爵家の二人と相成った。
ジェラルドから事情を聞かされた二人は、当初唖然としたらしい。
それはそうだろう。
可愛い妹(姉)が人外のものを産んでいたり、婚家から追い出されて森に住んでいたりしたのだから。
とにかく二人はすぐさま同意して、今日の日に相成ったというわけだ。
とはいっても四人で暮らすには流石に手狭な小屋なので、今度の馬車には食糧の他に建材が載っている。
森に着いたら、これを夜営の要領で簡易的な小屋を建てるらしい。
本当に男で三人でそんなことができるのかしらと、シャーロットは少し不安に思っていたりもするのだが。
シリルは気が早いので王都の寮を引き払ってしまったそうだし、まだ冷静なアーサーは部屋は残しているにしろ街の愛人たちには別れを告げたそうだ。
シャーロットとしてはこれを機に、アーサーには真っ当な恋人ができればなと思っている。
騎士団の伊達男として名高い彼が、本当にそんなことができるかどうかは別として。
他愛もない会話をしている間に行程は進み、昼過ぎには小屋に着いた。
久しぶりの我が家に喜んでいるのか、ラクスが湖に飛び込む。
その飛沫が、光の中できらきらと光った。
「北の森の中に、まさかこんなところがあるなんて」
「ここで三年も暮らしていたのか? たった一人で?」
「一人じゃないわ。ラクスと一緒よ」
不機嫌なシリルと驚いたようなアーサーを尻目に、シャーロットは小屋に入った。
中は綺麗に片付けられているが、少し空けてしまったので僅かに埃臭い。
(まずはハタキがけかな)
「それでは始めるか」
ジェラルドの指揮で、外では簡易小屋の組み立てが始まった。
馬車に繋がれた馬は、湖の水をおいしそうに飲んでいる。
ざわざわと震える木立が、まるでシャーロットにお帰りと言ってくれているようだ。
(軽くお掃除して、それからお食事の用意。大掃除は明日にしようかな)
旅装を解くと、シャーロットは頭に布きんを巻いた。
掃除を待つ部屋に腕が鳴る。
窓を開けると、ふっとさわやかな風が通り抜けた。
(戻ってこれて、よかった)
湖で遊ぶラクスを見ていて、心の底からそう思った。
確かに実家は恋しいけれど、シャーロットにとって今の家はここなのだ。
実際に帰ってきてみて、改めて深くそう実感した日だった。




