【報告書No.2】
完全な闇の中。目元を布に覆われているため、その男の聴力は、閉ざされた世界の状況を知ろうと最大限にまで研ぎ澄まされていた。
聞こえるのは、自分の呼吸音と心臓の音。
敵の声、息づかい、布が擦れる音は、聞こえては来ない。
「ぎぃっ!」
突然の激痛。恐らく、太もも。
「知っているか?」
滑らかな少女の声が耳元で囁かれる。まるで、聖歌でも謳っているかのような美しい声だった。
その声と共に、太ももに突き刺さっている鋭利な棒がグチグチと左右に動く。
「太ももにはたくさんの血管が集まっている。そこを切って大量出血したら人はすぐ死ぬんだ。お前はどうなんだろうな?」
くつくつと笑うその声は本当に楽しそうだった。ガクガクと震える男は、ただひたすらに少女の戯れという名の虐待に耐えるしかない。
「なぁ、次はどこを抉られたい?その前に、一つだけお前の話を聞いてやる」
「…………」
「因みに、次は脚のアキレス健を切る」
少女の宣言に、男は呻き声とも泣き声ともとれる声を出して、途切れ途切れに呟いた。
「こ、金色の龍の名は、リローデルトと、」
「そんな事はもう他の奴に聞いた」
ごりっと、かかと付近で歪な音がした。
「かっ、ひゅぇ……」
「健はな、一度切れてしまうと、治癒魔法をかけなければ歩けなくなるんだ。勉強になるだろう?」
含み笑いが耳元で木霊する。
すると、ふとももの上に温かい何かが乗っかり、急に目隠しがとれた。
相変わらずじめじめとした牢獄の中、椅子に縛り付けられている男のすぐ目の前には、リトリー・アヌビスの姿がある。どうやら、彼女は男と対面になるように男の膝の上に乗っかっているらしい。
リトリー・アヌビスは少女にしては妖艶な笑みで、男に笑いかけた。
「痛いか?ん?」
頬を両手で包み込み、キスすら出来そうな距離で笑う彼女の笑顔は、男を誘い込む娼婦のそれだった。
「だがな、その痛みはお前の脳が勝手に作り出した幻覚だ。私はお前の太ももや脚の健を、棒で突いたり叩いたりしかしていない。お前の皮膚はどこも破れていない。面白いだろ?」
そんなはずはないと、男は叫びたかった。確かに、肉をかき混ぜる音がした。健が切れる音がした。血が垂れる音がしたはずだ。明確な痛みもあった。そう信じたかった。なのに、男は見てしまう。柔らかなリトリー・アヌビスの太ももの下。自分の太ももには傷が一つもついていなかった。
「ああ、混乱の中に絶望と恐怖が入り交じったその顔。俺は大好きだ」
恍惚とした表情で笑ったリトリー・アヌビスは、おもむろに手にした鋭い棒を男の左頬に突き刺した。
ブツッという音が、体内から聞こえた気がした。舌の上に冷たい棒が横になり、口の中に鉄臭い味が広がる。その味が、鉄の棒のものなのか自分の血なのかは判別がつかなかった。
「ぎゃああああっ!!」
「ほら、これが本当の痛みだ。覚えとけよ?」
頬を貫通した鉄の棒の側面にあるスイッチのような突起を、リトリー・アヌビスは押した。すると、頬の内側に何かが傘の骨組のように広がる感触が広がった。
男はこれから起こりうるであろうことを予測して、ざあっと青ざめ、目の前にいる少女を見据えた。
「ひゃ、ひゃめ、ひゃめてくれ」
「大丈夫」
リトリー・アヌビスは幼子にするように、男の頭をそっと撫でる。鉄の棒から枝分かれするように出た小さな棒は、男の口を強制的に開けさせていた。
リトリー・アヌビスが笑う。それは、まるで聖女のように優しげで、
「じきになにもわからなくなる」
痛みと恐怖によってガチガチに固められていた男の心が、少しだけ融解しかけた。
リトリー・アヌビスが棒を引っ張る。ぶちぶちと嫌な音が耳元から離れない。それが自分が壊されていく音だということに、リトリー・アヌビスの微笑みに安堵していた男は気づかなかった。
「ひぎぃっ!いひゃだぁ!!あ、あ、ああああああ!!」
傘の骨組みのように出っ張った部分が男の頬を拡張していく。そしてそれも限界点を突破して、ゆっくり、ゆっくりと頬の肉が鉄の棒と一緒に根こそぎ持ってかれていく。なまじ、その出っ張りが鋭利でないことにより、多くの肉が一緒に剥がれていった。
泣きわめくその様子をじっくりと観察するリトリー・アヌビスは、頬の半分を無くしてボロボロになった男の頬肉にキスを落とす。
すると、みるみるうちに男の頬は治癒されていく。神経が繋がり、肉が再生していき、やがて若干は歪みながらも完全に男の頬は治ってしまった。
「……あ、ああ、あ、あ、」
男の体がガクガクと震える。
もう、どの痛みが本物なのか分からない。リトリー・アヌビスが言っているように本当に傷をつけられていないのかもしれないし、傷をつけてからリトリー・アヌビスが治癒魔法で治しただけなのかもしれない。
じゃあ、今感じている痛みは?傷は治っているはずなのに、激痛は全く引いていかない。
これは作られた痛みなのか?勝手に脳が作り上げた痛みだとしたら、自分は、『自分すらも』信じられなくなってしまうのではないのか…………?
心が壊れかけているその男に、リトリー・アヌビスは無造作に目隠しを直した。
また、男の視界は闇に染まる。
「さて、次はどうなると思う?偽者の痛みか、はたまた本当にお前の肉が切れる痛みか。さぁ、また一つお前の話を聞いてやる」
悪魔の笑い声が、聞こえた気がした。
リトリー・アヌビスの部屋に案内されたロッシェは、リトリー・アヌビスの使い魔が差し出した紙の束を受け取り、顔をしかめた。
「約束の報告書だ」
「これだけか?」
「俺の拷問方法が信用出来ないとでも?」
ソファに寝そべりつつ、目を眇めるリトリー・アヌビスに、『いいや』と返答しつつ、2~3枚程度しかない報告書の内容を確認していく。
「たったこれだけなら俺がわざわざここに来なくても良かっただろ」
「俺がお前の部屋にわざわざ赴けと?」
リトリー・アヌビスは大きなソファに寝転がりながら髪を片手でくるくると弄んだ。そばにあるテーブルには紅茶とケーキのセットがあり、6号がティラミスを切り崩して、リトリーの口元に運んだ。
「俺の行動範囲はこの監獄の中。この箱庭の外に行くなど、面倒にも程がある」
「前の事件の時は来てただろ」
「あれは俺の興味が惹かれたからだ。魔法保有量と奇形の関係について中々面白い知識が手に入った」
「お前はそれだからフィート副隊長にも毛嫌いされてん……、と、なんだこれ」
ぺらりと報告書を捲ったロッシェの手が止まった。文字を眺めるほど、眉間にしわが寄っていく。
「……これ、どういうことだ」
「見たまんまの話だか」
「……、なんだ、つまり、こいつらは、」
「ただ純粋に力のある使い魔の召喚がしたかったらしいな」
「ふざけてんのかリトリー」
低い声で唸るロッシェを、リトリー・アヌビスは一瞥もしない。
「何故だ?強い使い魔は、召喚できるそれだけでステータスとなる。ま、持っている奴には分からないだろうが」
「……こいつらは、経験派か?」
「のようだな」
ロッシェを失笑したリトリー・アヌビスは 身を起こす。ふわりと銀髪が無造作に広がった。
「過激な経験をしたくてこんなことをした。だが、言い寄ってきたのは金色の龍、リローデルトの方らしい。人殺しの経験、しかも皇太子の殺害なんて、滅多にできる経験じゃないだろう?」
「…………」
「まぁお前や俺にとっては害虫としか考えられないがな」
リトリー・アヌビスは机の上にあるチョコレートを一つつまんで口に放り込む。
ガリゴリと噛み砕いて、また新しいのを口に入れた。
「だが、問題はその後だ。リローデルトという龍は、他にも使徒を呼び集めている。その龍の目的がなんにしろ、行動が活発になっていけば、もっと楽しい事件が舞い込んでくるんじゃないのか?もしかしなくとも、いずれこの王都も危うくなるかもな」
「……させるか。都市が危険にさらされたとしても、ここには第三騎士団も、四大騎士兵もいる。なら、俺が食い止めてやる」
「そうか、期待しているぞ、王子様」
ロッシェを見つめる紫色の猫のような瞳が楽しそうに細められる。
まるで、目の前の獲物をどう料理してやろうかと思案しているようだった。




