飛び立ったのは 9
セリカが口を尖らせながら言い訳を始めた。
「……悪かったとは思ってるよ。だけど、ゼノファーを弾き飛ばさないで縄だけを弾き飛ばす事に集中しちゃって、周りの配慮を忘れてて」
「……まぁ、責める気は勿論ないけど、もし次があるとしたらもう少し改善して欲しいかな……」
吹き飛ばされた男二人の怪我の様子を見ながら、ゼノファーが喋る。その『改善』がどの部分を指すのかは、ゼノファーのみが知ることである。
「……二人とも、少し身体を強く打って気絶しているだけみたいだ。骨は折れてないし、命に別状は無い」
そのままにしておいて起きて騒がれてしまっても困るので、彼らの服を破って動けないよう手と足を縛ことにした。
年頃の若い娘であるセリカに男の上半身を見せることに抵抗を感じたが、あの小屋の破壊音の大きさからしてすぐに他の仲間が来るのは間違いない。
ずるずると茂みの中に二人の男を引きずり込んで姿を隠し、満月の明かりと夜目を頼りに、男たちの服をセリカの聖剣、ティアディーラを使って破っていく。
「こういう時、小型ナイフにも形を変えられるなんて便利だね」
「ティアディーラは鍋にも孫の手にも形を変えられる聖剣だから。家庭に一本は欲しい万能タイプだから」
なんとも『聖なる剣』に対して失礼極まりない会話を小声でしつつ、手は休まらない。ゼノファーは器用にそして素早く男たちの手足を縛り上げた。
ついでに喋れないようにと布を口に押し込み、その上から布で縛り、猿轡をする。
その様子を隣でじっと見つめていたセリカが、
「……なんか、手際よすぎない?」
「軍隊で敵兵の捕縛の為に訓練を受けただけだからね!?」
在らぬ疑惑を掛けられゼノファーは全力で否定した。
セリカは焦るゼノファーに疑惑の目を向けて、その首元にある赤い首輪をソッとなぞる。
それもある種の業界では『玩具』として仕様される品物であるため、よりゼノファーの『SM嗜好疑惑』に拍車がかかった。
「本当に。本当だから。俺はそんな趣味持ってないから!」
「うん分かってるよ」
必死に否定するゼノファーに、ケロリとした顔で答えるセリカ。これだけの会話だけなのに、異様に疲れるゼノファーであった。
「……は、…………こだ!!」
「来た」
ガサガサと物音がして、二人は息を潜めた。
ソッと物陰から顔を出してみれば、プレハブ小屋だった木材の残骸近くに二人の男の姿があった。顔はよく見えないが、興奮しているのか肩が上下している。
普通の声の音量なら途切れ途切れに聞こえただろうが、二人の怒鳴り散らす声は無音の森によく響く。
「だから俺は止めとけって言ったんだ!」
「でも見りゃ分かるだろ!あの小娘は金髪の兵士の使い魔だった、関係ねぇ!」
「その結果がこの残骸だ!見張りだっていやしねぇ!きっとあの娘の怒りを買って、二人ともあの娘に龍の姿で頭からバックリ喰われたんだ!!」
「失礼だな、そこまで食い意地張ってないし」
「…………」
む、と顔を膨らませるセリカの横で、何とも微妙そうな顔をするゼノファー。
「きっとあの娘もあのお方の仲間だったんだよ!俺はあのお方に謝りに行く!そうすれば今なら命だけは……!」
「ケッ!勝手にしろよ臆病者!作戦から外れたお前を、あの方は決して許しゃしねぇと思うがなぁっ!」
さっさとその場から離れて、一人が元の道を戻りだした。もう一人は余程錯乱しているのか頭をかきむしり、意味不明な事を叫んで別の道を歩き出す。
「どうする?」
「……村人の命が最優先だ。だけど、あの男の言い草だと、彼らの後ろには『黒幕』がいるらしい。もしその黒幕にこの異常事態の事を知られて、増援を呼ばれたら困る」
「じゃあ、私は村人の救出。ゼノファーは錯乱した男の撃破。これでいいね」
「……よくないよ。なんでセリカがより敵が多い方を担当するんだ」
「え、だって私強いもん」
そんな事は分かっているが、それでも心配になってしまうのがゼノファーという男である。
「強いもんって言ったって危険には代わりない」
「私は勇者やってたんだよ?魔王倒したんだよ?」
「それでも、セリカが一人の女の子である事は変わらないだろ。それに、俺のたった一人の使い魔だ。セリカが怪我をしないか心配するに決まってる」
ゼノファーがそういうと、セリカはキョトンとした顔で彼を見つめ、それから何かを耐えるかのように口をへの字に歪ませた。
「ああもう、調子狂うなぁ!とりあえず、私は村人担当!ゼノファーは黒幕担当!決まり!」
「あ、セリカ!」
さっさと歩き出すセリカに、最早何を言っても無駄だろう。『怪我だけはしないで』とその小さな背中に声をかけて、ゼノファーも足を動かし、
「……ゼノファーも、怪我しちゃヤダからね」
ぼそりと聞こえた声に、思わず足が止まる。
振り返れば、暗闇に紛れそうな場所からセリカがこっちを見つめていた。
「……うん。絶対怪我しない」
「……約束だからね」
最後にそれだけ言って、二人は歩き出した。
(怪我しちゃヤダ、か……)
ゼノファーは帯刀している剣を意識しながら、目の前の男を追いかける。話し込んでいる内に、男とは随分距離が出来てしまっていた。
剣術だって、才能が突飛してあるわけではない。
だけど、今は。
今だけは、誰にも負けない。そんな気がした。
近くで、わめき声がする。
「……グッ、……」
暗闇から意識が浮上する。
頭の動きが鈍くなっているのを自覚しながら、ギルバートはうっすらと目を開けた。
辺りは暗く、ついさっきまで大きなバスケットの中にいた村人が地面に座り込んでいた。みんな縛られている、と確認して、自分の身体も縛られている事に気付く。
少し首を回らせば、意識が浮上する前から聞こえていた騒音の音源が目に入った。
「だから、やっぱりあの破壊音はあのお方の……」
「馬鹿言え!違うに決まってる!」
「だけど……」
「あのお方は俺たちに全てを任せて下さった。何も心配する必要なんかねぇ!」
計四人の男たちが、なにやら議論をしているようだった。すぐそばに使い魔がいる奴がいれば、使い魔の姿が見当たらない奴もいる。うるせぇな、とギルバートは思考に霧がかかった頭で考えた。
(……そう言えば、俺のラーウェインは……)
思考が鈍い頭で、自分の使い魔の姿を探す。一体、何が起こったんだっけか。確か、もの凄い衝撃が走って……、と、そこまで考えて、ギルバートは自分の使い魔を見つけた。
地面に力なく座り込み、その綺麗な純白の右翼から血を流す自分の使い魔を。
「ッ、ラーウェインッ!!」
一気に頭に血が巡り、完全に意識が戻る。縛り付けられているのも忘れて痛々しい姿のラーウェインに近寄ろうとした。
だが、
「騒ぐな!!」
「グッ……!!」
ギルバートに気付いた男が思いきり彼を引きずり倒す。地面に頬を擦り、背中に男の靴底の圧力を感じながら、頭の回転は止まらない。血液が怒りで沸騰しているかのように思った。
そうだ、そうだそうだそうだ!!
全部思い出した!!
何らかの攻撃を受けて、体に重い衝撃が走り、自分の身体が宙に放り出されたのを。
どう考えても、今俺の背中を踏みつけている奴等がやったに違いない!!
「ちくしょう!てめぇら許さねぇぞっ!」
「ハッ、役立たずの兵士が何をほざいてんだか!!」
男の顔が愉悦に歪む。ラーウェインが主人であるギルバートの意識が戻り、踏みつけられているのを見て懸命に助けようと動くが、それも男たちの使い魔に邪魔される。
そこに、一人の男が森の茂みから加わった。
「おい、どうだった?サイオスはどうした」
若干息を弾ませながらも、新たにグループに加わった男は口を開く。
「小屋は木っ端微塵。見張りの奴等の姿はねぇ。サイオスは臆病風に吹かれて、あの方の場所に行きやがった」
「……じゃあ、やっぱり……」
「狼狽えんな!計画は続行だ!!」
ついさっきまで意識が無かったギルバートは、男たちが何の事を話しているのか皆目検討も付かなかった。
だが、目の前にいる男たちが、自身の刃を向ける『敵』である事だけは分かる。
ギルバートは喉が嗄れるのもお構いなしに叫び声を上げた。
「よくも俺の使い魔を!てめぇら全員ぶったぎってやる!」
「おおじゃあしてみろよ!その前に俺たちがお前をぶったぎるけどなぁ!」
金属が擦れ合う音と共に、月の光を反射させながら鈍色の剣が姿を表す。
先程まで少しも身動きも取らず、息を潜めていた他の人質たちが、顔に恐怖を張り付かせた。
「情けねぇ国の言いなりでしかない駄犬がっ!!お前たちの時代はもう終わりだ!これからは、偉大なるり」
カチャン
一瞬の、空白が出来る。
耳障りな音を立てながら、男が持っていた剣と右手首が地面に落ちた。
「あ、あ?あ、アアァアア!?」
ボタボタと、鮮血が男の手首から滴り降りる。ギルバートには、一体今何が起こったのかすら分からなかった。まるで、傾斜がある机の上から物が落ちるかのようにスムーズに手首が落ちていったのだ。
「なんだよ、おい!」
「敵襲かっ!?」
これに驚きを見せたのは先程まで絶対的優勢を見せていた男たちだ。手首を抑え転げ回る仲間など見向きもしないで、敵の姿を確認しようとする。
『あ、あー。敵の皆さん聞こえますかー』
まだ幼い、少女特有の高い声。
ぴたりと男たちが動きを止めた。やけに大きく響き渡る少女の声を頼りに少女の居場所と突き止めようと、躍起になって辺りを見回す。
『えー、君たちは既に包囲されている!今すぐ降参して、ギルバートたちを解放しなさい。さもなくば強行手段に出るぞー!』
「ざけんなっ!出てこいやぁ!」
少し演技めいた少女の声と、男たちのわめき声が、夜空に響く。
『あっそう、交渉は決裂ですね。じゃあ、村人の皆さん今助けますから、心配しないで。目を閉じて、好きな歌でも口ずさんで待っててね』
「馬鹿にしやがって!姿を」
見せやがれ、と言う前に、その男の鳩尾に少女の拳が突き刺さっていた。
ごほりと肺の中の空気を全て出し、目を白目にして地面に倒れ込む男。
もう既に意識が無くなった 一人の男の横には、剣を構えるセリカの姿があった。
一瞬の、沈黙
「ッ!!」
どこからどうやって現れたのかすらよく分からないまま、その小柄な体に、真後ろから剣が降り下ろされる。それとほぼ同時に、誰かのゴブリンのような使い魔が飛びかかった。
黒髪をなびかせ身体を反転させたセリカは、その剣と使い魔を避けるでもなく、聖剣で受け止めるでもなく、巨大なバトルアックスに形を変えた聖剣で、剣を弾き飛ばし、そのまま男の片腕とゴブリンの上半身をすっぱりと切断した。
男が痛みで叫び声を上げる前に、回し蹴りが男の鳩尾に突き刺さる。そのまま綺麗に吹き飛んで、木に激突した男はずるりと地面に落ちていった。
「……」
「……」
あまりにも鮮やかな所業に、残る二人の男たちは声を上げる事すら出来ない。
そして、それはギルバートも同じだった。
剣を携え敵を見つめるその顔には、いつものあどけない、子供じみた明るい笑みはない。
どこまでも、その雰囲気は大人びていて鋭い。鋭利な刃物のような、冷たい月の光のような、そんな雰囲気。落ち着いた、透き通った美しさを見せる無表情。
月に照らされるその姿が、なぜだかどこまでも美しい。
「ぅ、わああぁああっ!!」
雄叫びとも悲鳴とも判断付きにくい声を上げて、男二人がセリカに突進する。
しっかりと両手で剣を支えるセリカは、下から弾き飛ばすようにして一人目の男の剣をいとも簡単に凌いだ。
「わあああ!」
それでも突進を止めない男に対し、セリカはトンファーのように変形させた聖剣を鳩尾へと突き入れる。
男側の力も合間ってかなり深く突き刺さり、男はぐったりと四肢を弛緩させその場に倒れた。
次に斜め横突進してきた男が、剣を棒切れの様に横にフルスイングする。それを綺麗な宙返りでかわしたセリカは、フルスイングをして無防備になっている男の太ももを、長さを調節したティアディーラを使って赤い線を一筋入れた。途端にパッと鮮血が溢れて衣服を汚す。
「ぎゃえ、えあああ!!」
「五月蝿い」
地面に這いつくばる男の首裏に手刀を降り下ろす。それだけで、まるで手品のように男は意識を失った。
あっという間。
まさに、その一言しか思い浮かばない。
「ギルバート、怪我は?」
セリカが振り返る。その顔はもう既にいつも通りの幼い15歳の顔だった。
「俺は、大丈夫だけど……」
「良かった。今縄を切るね」
ティアディーラを短くして手際よく縄が切れていく。『あの時もこうすれば良かったのか』という声がボソボソと聞こえた。
するり、きつく縛られていた縄がほどけると、セリカはギルバートと向き合った。
「他のみんなの縄もお願い」
「お願いって、お前はどうすんだよ」
「私は私のご主人様の助けにいかないとだから。すぐに帰ってくるから、安心して」
「だっ、だったら俺が行くっ!」
「ギルバートは村人の安全を守ってよ。すぐに治療が出来るゼノファーを連れてくるから、それまでちょっと待っててね!」
用件だけ言って、セリカはまた走り出す。
「……くそっ」
ギルバートは、ただ己の無力さを呪う事しか出来なかった。




