魔戦 8
気持ち悪い。
込み上げる吐き気。緊張の為ドクドクと跳ね上がる心臓。キリキリと胃が痛むような気がして、思わずギリッと歯軋りしてしまう。
落ち着け、俺。
「落ち着け、ゼノファー」
まるで俺の心を読んだかのように、隣に立つセリカが呟いた。
今、二人の前には頑丈な扉がある。そこが開かれれば、きっと観客席に座る他の兵士たち、均らされた乾いた土、そして反対側から自身の兄が歩いてくるのが目に入るのだろう。
扉が閉められていても、観客席からの怒声や悲鳴じみた叫び声が聞こえる。どうやらかなり盛り上がっているようだった。
「いい? 周りの事は気にしない。相手を、ノインとその使い魔、そして私だけを見てて」
俺に囁く彼女は、蘭さんが作った衣装に身を包んでいた。
女性が所属する第二部隊の軍服とも違う、不思議なデザイン。
ブレザーとリボンは邪魔になるからと脱いである。クリーム色のカーディガンとピンク色のスカート、そして黒のガーターベルトにローファーという形らしい。だが、彼女によく似合っていると思う。
「声は、私の声だけ聞いてて」
そう言って、彼女の方から手を握ってきた。緊張で手の平は濡れていないだろうかと焦る。だが、ギュッと握りしめてもらうだけで、幾分緊張が紛れるような気がした。
重い扉が、開かれる。
直に観客の叫び声が脳に響き、反対側の扉から、意気揚々と兄上とその使い魔、レオアがこちらに近づく。怖じ気づきそうになる自分が情けない。
「勝つよ」
けれど。
するりと、セリカが握っていた手をほどいてから俺に笑いかけるから。
緊張と吐き気に苛まれながらも、俺は一歩進み出た。
兄上と使い魔のレオアは、海軍に所属している。レオアがウィンディーネと言う水の精霊だからだ。
海のような深い青色の長い髪は緩くウェーブしており、同じく深い青色の瞳は垂れ目で色っぽい。耳の所には魚のヒレのようなものがついていて、上半身には貝殻の胸当て。下半身は青から水色へとグラデーションが鮮やかな尻尾がある。
空中ではふよふよと浮かび、まるで泳いでいるかのように移動する彼女は、並んだこちらを見て艶やかに笑った。
「あら、可愛いお嬢さん。食べちゃいたいくらいですわ」
「……ワタシ食べても美味しくないネ」
すささっと俺の後ろに隠れるセリカ。警戒心丸出しの彼女に、レオアはクスリと笑いを零した。
「よぉ、ゼノファー。やられる覚悟は出来てるよな?」
「よぉ!! そっちこそ覚悟は出来てるだろうなぁ!!」
「……セリカ」
俺の影に隠れつつセリカが吠える。可愛いとは思うが、ケンカ腰は止めて欲しい。取り敢えず彼女を落ち着かせる為、頭を撫でてあげる。
「こら、私語は慎みなさい」
そこに魔戦の審判が割り込みたしなめた。両者が口を閉じた所で、手に持つ羊皮紙を読み上げる。
「注意事項をいいます。
一、使い魔の主人は刃を潰した剣を使用する事。
二、使い魔が本来身につけている武器は使用可。
三、無理な追撃、また相手を死に追いやるような過度な攻撃は控え、審判が止めろと指示を出した場合これに従う事。いいですね」
「はい、質問。空は飛んでもいいの?」
「許可されています。ただしあまりにも離れて飛ぶ場合は敵前逃亡とみなし失格です」
「らじゃー」
「……飛ぶ気なんだね、セリカ」
セリカと審判の応答を聞いて、俺は先ほどよりも顔を青くした。
「では、両者は20メートル位離れて下さい。開始の合図をしたら始めて下さい」
「おし。ゼノファー耳貸して」
「うわっ!!」
歩き出した俺に、セリカが肩に腕を回し、引きずり倒すようにして耳元に口を寄せる。無理な体制のまま歩くと、セリカが小声で呟いた。
「防御って言ったら防御魔法。攻撃って言ったら攻撃魔法ね」
「……? うん……?」
「じゃ、よろしく」
パッと身を離したセリカが、前を向く。その先には既にこちらを見据える兄上とレオアの姿がある。
「それでは、試合開始っ!!」
開始の言葉と共に、レオアが弾丸のように無数の水弾を飛ばしてきた。襲いかかるそれを見て、俺は防御の魔法にとりかかる。
「セリカ!! 後ろに」
下がって。と言う前に、セリカは一歩前に歩いていた。
囁くように、『ティアディーラ』という声が聞こえ、一瞬にしてその手には光り輝く剣が握られる。
「せっ!!」
気合いの言葉と共に、その剣が振られた。
パパパパッ!! と軽い音と共に水の弾丸全てが斬られ弾かれていく。目にも止まらぬ速さに、俺は呆然と彼女の後ろ姿を見た。
だがそれは向こうも同じだったらしく、ノインとレオアもポカンとティアディーラの軌跡を見つめる。
パンッ!! と最後の一つを切り、剣を払うセリカ。ティアディーラから出る光が、綺麗な軌跡を作った。
「くっ! これだけでいい気にならないで!!」
いち早く我に帰ったレオアが、また新たに魔法を描く。
彼女の足元に魔法陣が現れ、セリカと俺の周りに勢いよく水柱が出来た。
「おぉ~!」
セリカは、まるで何かのショーを見た子供のようなはしゃいだ声を出した。
水柱の中から出てきたのは、レオアの分身。既にその中に本体も並んでいて、本体を見た目で見つけるのは不可能だ。
「「ふふ…、ただの分身ではないですよ。分身であろうとも、あなたたちを傷つける事は出来ますよ」」「ふ~ん、じゃあ、全部吹き飛ばせばいいんだ?」
「そんなの、間に合いませんわ!」
優雅に笑う分身たちに、セリカはにたりと笑う。そして、先ほどの6倍はあろう水の弾丸が二人を襲う。
「ゼノファー防御!!」
「っ!!」
セリカの声で、慌てて俺は防御魔法を作り出す。半透明の防御魔法に大量の弾丸が降り注ぐ。
「セリカ、そんな、保たないと思う、けど!!」
防御魔法に、ピキピキと亀裂が入る。焦りを見せる俺に、『大丈夫、分かってるよ』とセリカが囁いた。
「行くよ」
すっと構えられた剣が、ぐにゃりと変形した。
一瞬にして巨大なハンマーの形になったティアディーラを、セリカは地面を大きく抉りながら下から斜め上に振った。
セリカの持つハンマーが届く距離に、分身は誰一人としていなかった。
彼女たちは遠くから莫大な量の水の弾丸で攻撃すればいい。だから、ハンマーも射程圏に入っていなければ大丈夫だと考えていたに違いない。それこそBクラスの勝者に立つ、圧倒的な火力で。
だが、ハンマーが振るわれたせいでめくれあがった土が、レオアの分身に降り注いだ。
「きゃああっ!?」
俺の防御魔法すらも破壊しながら、さながら土石流のように巻き上げられた土は、客席も巻き込みながらレオアの魔法を消していく。
圧倒的なその力に、ただただ俺は見入るしか出来なかった。
地面にはティアディーラに抉られた傷跡が深くついていた。会場全てが土煙に覆われる。
「舐めんじゃねぇぞ!!」
「っ!!」
もうもうと立ち上がる土煙の中から飛び出てきた切っ先に、何とか反応する。俺の持っていた剣と、兄上の剣が鈍い音を立てぶつかった。
「てめぇの使い魔、あれどうなってんだ!!」
「ど、うって……」
そんなの、俺だって聞きたい。闘技場の試合も強いとは感じていたが、それは相手がEクラスだからと思っていたのだ。まさか、Bクラス優勝のレオアをこんな風に翻弄するなんて、セリカの主人の俺でも思ってもみなかった。
「ノインみっけ!」
「「!!」」
軽い口調と共に、土煙の中からセリカが現れる。勢いよく振り下ろされた切っ先を避けつつ兄上はセリカと対峙し、そのまま二人は剣で戦い始める。
ガキキギ!! と耳障りな音を立てながら剣を振るうセリカと兄上。だが、兄上は真剣な表情で、セリカは楽しそうに笑いながら剣を振っていく。
「ひゅ~!! 強いね!!」
「舐めんな、ガキ!!」
兄上が、力任せにセリカの剣を弾いた。セリカの剣、ティアディーラの切っ先が上を向き、剣が弾かれたせいでセリカの懐ががら空きになる。
勝負を決める為、兄上は重心を低くし、一気に攻める為大きく一歩踏み出した。
「からの、突き上げ」
おびき寄せられたと気づいたのは、見ていた俺が先か、兄上が先か。
くるりとセリカの手の中で回った剣。その切っ先は下に向けられ、大きく前に進んだ兄上に、下方向から襲いかかる。慌てて退いた兄上の脇腹を、ティアディーラの切っ先が掠めていった。
「これでも喰らいなさい!」
そこに、レオアが割り込み魔法を作り出す。俺とセリカの足元に水が湧き出て、俺たちを水の中に綴じ込めようとしているようだった。
「やっべ、ゼノファー歯ぁ食いしばれ!!」
え、と言う暇も無く、セリカが俺の胸倉を掴んだ。そのまま彼女は足元が水に覆われつつ足を踏ん張る。
グアッ!! と強い力に引っ張られ、足元が浮くのが分かった。
『ちょ、待っ、』と、この後に待つだろう恐怖に待ったとかけようとする前に、セリカは胸倉を掴んだ腕を振る。体が、空中に放り投げられた。
「うわあああ!?」
石ころのように投げ飛ばされた後、龍化したセリカに、俺は空中で拾い上げられた。
『ふう、危ない危ない。ゼノファー大丈夫?』
「っ……、なん、とか」
胃が揺さぶれ、込み上げるものを何とか胃に留める。その時、空を飛ぶセリカを攻撃する為に、レオアの水の弾丸が襲いかかった。
『わっ!!』
セリカは急回転急上昇を二度繰り返す。俺は喋る事すらもままならなくて、必死にセリカに捕まった。やがて、やっと弾丸が収まり、セリカも普通に飛び始めたので、口を開く。
「セリカ」
『ん~?』
「セリカは、こんなに強いのに、なんで一人でケリをつけないんだ?」
あんな、兄上に対しても、レオアに対しても一方的に戦うセリカ。きっと、彼女にとってはこんな試合終わらそうと思えばすぐに終わらせられる。
そう思って聞いたら、セリカが呆れたような声を出した。
『はぁ? 何言ってんのゼノファー。私とゼノファーは仲間でチームでパートナーでしょ?
私が一人で無双しても意味ないでしょ。二人で、倒さないと』
「……仲間って、思ってくれてたんだ」
『え?』
「いや、何でもない」
小さな独り言はセリカには届かなかったらしい。じわりと広がる嬉しさに蓋をする。
『って事で、これから作戦を発表します』
「さく、せん?」
『無理って言わないでね。一発勝負だから、よ~く聞いててよ』
多分、人間の姿だったらにやりと笑っているだろうセリカの声色に、思わず引きつった笑みが浮かんだ。




