99.心を込めて糸を編む
川下りを終えた私たちは、そのまま近くの民芸館へと向かう。
ベ・ゲタルの伝統工芸品をたくさん扱っているお土産屋さんであり、手作りのバスケットやお洋服などが作れるワークショップが開催されている場所でもある。
「ネクターさん、大丈夫ですか?」
「えぇ、なんとか……」
ネクターさんは小さく息をもらして、川沿いの道を登っていく。
足取りこそしっかりしているけれど、まだ先ほどの川下りの衝撃が抜けきっていないみたいだ。一応事前に確認はしたつもりだったけど……ちょっと申し訳なかったかも。
「と、とにかく! 次はネクターさんも楽しみにしてたバスケット作りですし! 元気を出していきましょう!」
えいえいおーっ!
私が拳を高く上げると、ネクターさんも苦笑交じりにうなずいた。
ベ・ゲタルの有名な伝統工芸品の一つ、植物の繊維を編んだバスケット。
ハンドブックを読んでいたら、ものすごくかわいくておしゃれなバスケットが出てきたからすぐに調べてしまった。
ベ・ゲタルの人たちは古くから自然と共存して生きてきた。
だから、昔は男性が食べるための狩りをして、女性がその間に洗濯やお料理をする、という役割分担があったみたいだけど……女性のお仕事の一つに『バスケットを編む』というお仕事があったんだそうだ。
今でこそそんな風習はなくなって、伝統工芸品として作られているのだけれど。
手編みとは思えない正確さで緻密に編まれたバスケットのかわいさたるや!
華やかな色合いと、様々な柄。同じものは一つとして存在しない、オリジナルバスケットは、絶対に手に入れたいお土産の一つだ。
何より、目の前を歩くネクターさんが私以上にそのバスケットを気に入ったみたい。どうせなら二人で手編み体験をしよう、と話も簡単にまとまった。
「ネクターさんは、どんなバスケットを作りたいですか?」
「そうですね……青色がとても綺麗だったので、白を基調に、青と黄色を使って、小さなものを作ろうかと」
バスケットと聞いて少しテンションが上がったのか、ネクターさんの目がキラリと輝く。
良かった。ちょっと元気になったみたい。
私たちはバスケット手作り体験に胸を弾ませながら、民芸館へと足を進めた。
*
「んだば、皆さん! 早速、バスケットば編んでいぐモン!」
手作りバスケット体験の先生は、ふくよかでパワフルなおばさまだった。
ネクターさんを見るなり「イケメンねぇ!」と大声を上げたかと思うと、特別待遇と言わんばかりに一番前の席をすすめてくださった。
おかげで、私とネクターさんは、細かく編んでいく先生の手つきをしっかりと観察できる。
素早く、けれど正確に繊維を編み込むおばさまの指先は、魔法を紡いでいるみたい!
「バスケットに使っどるこの糸ばサイザルって植物がら採っだモンで、それば染色しどるのが特徴がや」
編み方を見せながら、先生はバスケットについても色々と教えてくれる。
「いろんな模様ばあるけど、どれも意味ばちゃんどあるモン。例えば、この赤いバスケットの模様ば太陽を示しどるがや。笑顔で生きるパワーばくれるっでぇ、大切にされどる模様だモン」
その他にもたくさんのバスケットを見せてくれる。
私たちはそれを見ながら、編んでいく模様を決めた。
「私は『握手』にします! いろんな人と仲良くなれますようにって意味を込めて!」
使う糸の色も選んでネクターさんの方を見ると、彼は真剣な表情で選んでいる。
色はすでに青色と黄色、白の三色で決まりみたいだけど、模様が決まらないみたい。
「ネクターさん?」
「あ、あぁ……すみません。僕は、星にしようと思います」
ネクターさんはいつになく決意のこもった瞳で、バスケットに描かれた星の模様へ目を落とした。
星の模様が意味するのは確か……心の傷をいやす……。
悲しい過去の記憶から、少しでも立ち直れますように。そんな願いが込められている、とさっき先生が言っていた。
「二人ば、ベ・ゲタルの星空ば見だがや?」
何を察したか、先生がニコリとこちらに微笑みかける。
「はい! すっごくたくさん星が見えて、とっても綺麗でした!」
「そうなんだモン。ベ・ゲタルの星空ば、えれえ綺麗でしょ? んだば、ベ・ゲタルの人ば昔がら、心の傷ば癒すために星ば見上げる習慣があるモン」
「そう、なんですか」
「……お兄さんば、なんがあっだがあだすには分がらんだば、お嬢さんばしっがり見張っでねえどあがんよ」
ボソリと耳元でささやかれ、何かに弾かれたような気持ちになる。
パッと顔を上げると、私と先生の話は聞こえていなかったのか、ネクターさんがきょとんと首をかしげていた。
「お嬢さま?」
「いえ! なんでもないです! 作りましょう!」
それから私たちは、先生に教えてもらいながら黙々と手を動かす。
こういう細かい作業は、正直少し苦手だ。一時間ほどたったところで、休憩がてらに隣をチラリと窺うと、ネクターさんはちまちまと丁寧にバスケットを編み上げていた。
真剣な表情は、なんだか胸が締め付けられるくらいで。
先生の言葉を思い出して、私は思わず「ネクターさん」と彼の名を呼んでいた。
「……ん、すみません。集中しておりました、どうかされましたか?」
「いえ! どんな感じですか?」
話す内容があった訳ではない。取り繕うようにネクターさんの手元を覗き込むと、青と黄色に優しく輝く星が、すでに姿を現していた。
「わ……綺麗……!」
まるで売り物みたいに精巧に編み上げられたバスケットは、とても素人が作ったとは思えない。
私たちのやり取りが聞こえたのか、先生はこちらへと視線を向ける。
「あらぁ! えれえ上手ねぇ! 心ば込めて作っだバスケットば、毎日使っどると、不思議とええことばあるっで言われとるがや。大事にしんさいね!」
バシバシとネクターさんの肩をたたく表情はやわらかい。
私は、そんな先生の言葉に、再び糸を編むことにした。
いろんな人と仲良くなれますように、ってお願いをしながら編んでいたけれど……。
神様! もしも、まだお願いごとを聞いてくださるのなら! どうか、ネクターさんと、もっと仲良くなれますように!
一生懸命心を込めて編んだバスケットは、世界でたった一つ。
お料理を彩る美しい一皿となって、私たちの手元で輝いた。




