292.いつも通りに、全力で!(1)
エンさんが同じテーマに挑んでいることが、ネクターさんの闘志にますます火をつけたらしかった。
ネクターさんはエンさんに手を差し出すと
「絶対に負けませんよ」
と不敵な笑みを浮かべる。
私には落ち着くようにと言っておきながら、この人、熱くなってませんか?
エンさんはエンさんでネクターさんをあおるようなことを言っているし、もうすぐコンテストが始まるのに、この二人はまるで子供の喧嘩でも始めそうな雰囲気だ。
二人の終わらないやり取りを遮ったのは会場アナウンスだった。
「コンテスト開始五分前です。出場者の皆さまは、各自キッチンへついてください」
エンさんはピクリと耳を動かすと、名残惜しそうに自分のキッチンへと戻っていく。
周囲の人たちもいよいよだと気合を入れ始め、再びキッチンは緊張に包まれた。
私は、ネクターさんからもらったお守りに「うまくいきますように」とお祈りをする。
泣いても笑っても、これで最後だ。
「最高の思い出にしましょう」
ネクターさんにだけ聞こえるように呟けば、ネクターさんも小さくうなずいた。
「えぇ、必ず」
彼は、握った拳をこちらに差し出す。
今日、二度目の約束だ。
私がコツンと拳をぶつけると、ネクターさんはいよいよ前を向いた。
会場の一番前に備え付けられた時計が、一秒をしっかりと刻んでいく。
やがて、開始十秒前のカウントダウンがアナウンスから響いて――
「三……二……一…………」
スタート!
合図とともに、私たちは一斉に動き出した。
ネクターさんと私は練習通り、手分けして作業を進めていく。
ネクターさんはチョコレートのお屋敷作りを。私はピザの生地を作っていく。どちらも、一番時間のかかる作業だから、いかにこの作業を早く終わらせることが出来るかにかかっている。
周りから聞こえるナイフとまな板がぶつかる音や、ホイッパーの音、オーブンの予熱音が私を追い立てるようだ。
焦らず、丁寧に。そう思っているのに、なかなかうまくいかない。
「あっ」
電子ばかりに表示された数字が、レシピの分量をオーバーする。
しまった。慌てて近くにあったスプーンで入れ過ぎた粉を袋に戻したけれど、なかなか微調整がうまくいかない。
やばい! ただでさえ時間制限ギリギリなのに! こんな序盤で時間をロスしちゃうなんて……。
私がバタバタと袋をとっかえひっかえしながら計量を続けていると、後ろからネクターさんにトンと背中をたたかれた。
「落ち着いて。大丈夫です」
ネクターさんの優しい声が、するりと耳に溶け込む。
ネクターさんの声かけに一瞬手を止めたことで、気持ちがストンと落ち着いた。
そうだ、大丈夫。焦らず、ゆっくり、丁寧に!
私は深呼吸を一つして、ネクターさんがくれたお守りに手を伸ばす。ネックレスについたカンパニュラの鈴がチリンと小さく音を立てた。
「うん、大丈夫」
自分に言い聞かせるように呟いて、改めて袋に手を伸ばす。
じっくり慎重に計量をすませたら、ここからは粉を混ぜ合わせていくだけだ。
空気を入れ過ぎないように混ぜながら、少しずつぬるま湯を加えてこねていく。
粉っぽさがなくなるまでひたすら生地をまとめていく。
ネクターさんが編み出したスイーツ用のピザ生地は、冷蔵庫で少し寝かせておくだけで、サクサクともちもちのちょうど良いバランスになる神レシピだ。
私がやるべきことはひたすらこねて、伸ばして、生地の中にある空気をしっかりと抜くだけ。
「よし!」
まとめた生地をパンパンと数度テーブルに打ち付けて空気抜きをしたら、私はネクターさんに合図を送る。
ネクターさんはすでにチョコレートのお屋敷の外壁と屋根を作り終えていた。
「お願いします」
声をかけたら、すぐに私はオーブンへ。今度はミスをしないように。ゆっくりと温度と時間を設定して、予熱を始める。
お互いの動きは待たない。相手を信頼して、練習通りにやるべきことをやるだけ。
冷蔵庫から飾りつけ用の水あめやブルーベリーを取り出したら、ネクターさんから生地のオーケーが出た。
私は作った生地を四つに分けてそれぞれをラップする。
「こちらはシュテープからの参加です! なんと! あの世界的有名企業、テオブロマ家のお嬢さまと料理長が参戦だぁ!」
突然の大きな声に、私とネクターさんの集中が切れる。
マスコミの人たちが厨房に入ってきたらしい。取材が入るかもしれないとは噂に聞いていたけれど、まさか本当に来るとは。
しかも、私たちのことまでしっかり調査済みだとは思わなかった。
「コンテスト会場には、応援団が駆け付けているようですね! 観客席が盛り上がっているようですよ! お嬢さま、初めてのコンテストはいかがでしょうか⁉」
どうやらステージとライブ中継で繋がっているらしい。突然マイクを向けられて、私は「ほぇっ⁉」と声を上げる。
次の作業に取り掛かりたいのに、マスコミの人たちの視線に捕まって逃げられない。
ネクターさんにチラリと助けを求めると、彼は小さく首を振った。ひとまずここはマスコミの対応をしろ、ということらしい。
「緊張してますけど、とにかく優勝目指して頑張ります!」
テオブロマ家仕込みのよそ行きスマイルでにっこりとカメラに向かって手を振ると、司会者の人からもオーケーサインが出る。
さすがに彼らもコンテストが真剣勝負の場であることは分かっているらしい。それ以上は質問を重ねず、次はエンさんのところへと向かっていた。
出場者をチェックして、面白い経歴の人や優勝候補を取材しているのかもしれない。
私が作業に戻ると、ネクターさんがすぐに駆け寄ってきて耳打ちする。
「完璧です、お嬢さま。今の数秒は僕が挽回しますのでお気になさらず」
軽く私の肩をたたいて、颯爽と手を動かしていくネクターさんのイケメンっぷりと言ったら。
確かに、ネクターさんが担当しているお屋敷のパーツ作りはほとんど終わりに差し掛かっていた。
本番に強いのか、それとも今までの練習は私に合わせてくださっていたのか、彼のスピードは今まで以上だ。
私も置いて行かれないようにピザ生地を冷蔵庫へ入れて、ネクターさんが作ってくださったパーツをトレーに移し替えていく。
余ったチョコレートはボウルへ。お湯を沸かして、ボウルごとお湯の中に浸す。パーツを組み立てるのは私の作業だ。
黙々と作業を続けていると、制限時間の半分が過ぎたことを告げるアナウンスが会場中に響き渡った。




