285.新アイデアの交渉は
スイーツコンテストまで後一週間。
そろそろプレー島群詰め合わせピザも完成形が見えてきたある日、私に天啓が舞い降りた。
それこそ、神様の思し召し。まるで雷にでも打たれたかのようなひらめきだ。
「……でも」
私は一人ホテルの部屋をぐるぐると歩き回る。
良いアイデアには違いない。けれど、すでに完成しつつあるピザの形を崩すことになってしまう。
このまま完成度を高めていく方が良いのではないだろうか。
時間制限だってまだクリア出来ていない。後ほんの数分だけれど、それが中々縮められないでいるのだ。
新しいアイデアは、画期的だけれど今のピザよりもさらに複雑な仕掛けになりそうだし、時間もかかりそう。
「どうしよう……」
備え付けられた時計に目をやる。すでに真夜中だ。ホテルの部屋で一人、練習に没頭していたから遅くなってしまった。
今からネクターさんに相談しても良いだろうか。
でも、もう寝てるかも……。
しばらく悩んで、ノックをして返事がなければ諦めよう、と私は決意する。
ネクターさんが寝ていたのなら、それはもうご縁がなかったということにして、今のものに専念する! うん、そうしよう!
そうと決まれば一瞬だ。部屋を出て、深呼吸。ネクターさんの部屋の扉をそっとノックする。
トントン、と二回鳴らしたところで、「はい」と明瞭な声が聞こえた。
「……お嬢さま?」
ガチャン、と開けられた扉の奥から、メガネ姿のネクターさん。
まだ私が起きていたことに驚いた様子で、「どうぞ、中に」と慌てて私を中へ引きいれた。
「まさか、お嬢さまもまだ練習を?」
「す、少しだけですよ! ネクターさんこそ!」
「僕は……そうですね、レシピを見直していました。僕も、出来ることは全てやりきりたいので」
先日、私が言ったことだ。
ネクターさんも同じように思っていてくださったことが、なんだか嬉しい。
「それで、こんな夜分にどうしたのですか? もしかして、ご気分がすぐれないとか⁉」
「大丈夫です! そんな深刻なことじゃ! ネクターさんに、少し相談ごとがあって……」
ネクターさんがネガティブモードへと移行する前に本題を切り出す。
「実は、ピザの見た目を変えたいんです。それも、結構派手に……」
単刀直入に伝えると、ネクターさんからは「……は?」と珍しく気の抜けた返事が返ってきた。
そりゃそうだ。誰も、スイーツコンテスト一週間前に完成間近のスイーツを変更したいとは思わない。
そもそも、今考えているものだって、完璧なものはまだ一度たりとも出来ていないというのに。
ネクターさんはしばらくの間黙り込んだかと思うと、天を仰いだ。それからゆっくりと息を吐き出す。
「……ひとまず、どういうことか詳しくお聞きしても?」
「えぇっと……その……飾りつけに、チョコレートのお家を作るでしょう? あのお家を、ピザが丸ごと隠れるようなサイズにして……そのチョコレートにあったかいものをかけて溶かしたら、中からピザが出てくる! みたいな……?」
イメージを描いたスケッチブックの一ページを開いて見せれば、ネクターさんはそれをまじまじと観察する。
最も難しいチョコレートのお家をサイズアップするだけでなく、ピザ全体に溶けたチョコレートがかかってしまうから、味も見直さなくてはいけない。
味だけじゃない。外側をお家で囲う分、内側に隠すピザだって丸ではなく四角にしなければならないだろうし、飾りつけの仕方も変わってくるだろう。
それでも、この方がよりインパクトがあるし、やるだけの価値だってあると思う。
ベストを尽くすのならば、挑戦してみても良い賭けだ。
私の気持ちを汲み取ってくれたのか、ネクターさんは否定しなかった。けれど、短期間のレシピ開発が再度必要になるだけに、ネクターさんも即答は出来ないようだ。
きっと今、彼の頭の中でいろんなことが高速処理されているに違いない。
「……これは、単なる思い付きではない、ということですよね」
ネクターさんが確認するように言葉を絞り出す。
「お嬢さまの中で勝算があり、必ず成し遂げられるとお思いなのですよね」
厳しい言葉だと思う。それは、ネクターさんが料理長で、今までにたくさんの料理人たちと出会い、多くの料理と向き合ってきたからに違いない。
熱意だけではどうにもならない。中途半端なものを出すことは許されないのだ。
私はゆっくりとうなずいた。
これは、ネクターさんとの商談だ。互いにメリットがある。そう思わせなければ。
「私たちはシュテープのお屋敷から旅立って、ここまでやってきましたよね」
「おっしゃる通りです」
「この、チョコレートのお家を溶かすと中からプレー島群の他国が現れる様子は、それをうまく表現できると思うんです」
「ですが、お屋敷のサイズが大きくなってしまいますよ。時間制限はどう考えますか?」
「中身を少し変更します。以前は丸いピザの上に、五つの国をイメージした飾りつけをそれぞれ作っていました。それを、四角のピザに変更して、シュテープ以外の四つの国だけを表現します。飾りつけが一つ減る分、お家を作る時間に使えませんか?」
「チョコレートを溶かすためのソースが追加で必要になりますよ」
「ソースは簡単なものを。選択式だと楽しいと思うんです。子供向けには、飾りつけに使うカラメルソースを、大人向けにはホットワイン、珈琲なんかも。これなら、大した時間は必要ありませんよね」
ネクターさんほどの知識も技術もないけれど、自分なりに一生懸命考えたアイデアだ。
内容の変更以上に、見た目のインパクトはもちろん、コンセプトやストーリーとお菓子の親和性も上がる。
お料理には、歴史や文化がある。私たちの旅のように。
私がネクターさんを見つめると、彼はゆっくりと息を吐いた。
結論が出たらしい。
「……わかりました。お嬢さまには、先見の明がおありです。立派な商人になられましたね。今の取引には、一杯食わされました」
ネクターさんはそっと私の手を取って、握手を交わす。
「なんとか間に合わせましょう。一週間、僕の料理人としてのすべてを賭けて」




