236.忘れるべきもの、答えは
ネクターさん特製のおいしいご飯を食べ終えて、私は大きく息を吐いた。もちろん、幸せのため息だ。
「食べ過ぎました……」
「料理人としては、嬉しいお言葉です」
「おいしすぎるのが悪いです」
「それも、ほめ言葉ととっておきましょう」
私にホットレモネードを差し出したネクターさんは、自らの分に少し口をつけて街の方へと視線をやった。つられて私も街に目を向ける。
夜なのに明るい第七区画の景色。遠くにポツポツと浮かんでいる明かりは、海に出ている船のものだろうか。
「今までの旅も色々ありましたが……ズパルメンティでも、本当にいろんなことがありましたね」
ネクターさんの口からこぼれた言葉には、喜びの色が浮かんでいる。
「そう言えば」
ネクターさんに聞きたいことがあったんだ、と私が口を開けば、ネクターさんの視線がこちらへと戻って来る。
「何でしょう?」
「フォンダーレ・マリーノに行った時、新しい夢が出来たって言ってましたよね? あの夢って、何なんですか?」
「あぁ、そのことですか」
自分の気持ちも話したいけれど、まだうまく整理がついていないから話せない。
だけど、ネクターさんとせっかく二人のチャンスなのだ。ここで「おやすみなさい」と別れてしまうのももったいない気がして、なんとか別の話題で時間を繋ぐ。
「お恥ずかしい話ですが……。今日、僕が言ったわがままこそ、新しい夢なんですよ」
ネクターさんが照れくさそうにはにかむ。
ネクターさんの後ろに輝く街灯や、船の明かりや、灯台が、彼を鮮やかに色づける。
「私と一緒にご飯を食べることが、ネクターさんの新しい夢?」
「そうですね。毎日でなくてもかまわないのです。お屋敷に戻ってから、少しでも、お嬢さまと一緒に食事が出来れば嬉しいな、と……。夢のまた夢ですが」
ネクターさんは本格的に恥ずかしくなったのか、ホットレモネードを再び口に運ぶ。
どことなく漂う緊張に、私も喉が渇くような感覚を覚えて同じくカップに口をつけた。
お互いに会話が途切れて、少しだけ気まずい。
――だけど。
やっぱり、相談するなら今だろうか。
私が迷っていると、今度はネクターさんが「お嬢さまも」と話しを切り出す。
「食事の前に、何かお話があったのでは? 食事の後で、との話でしたが」
まるで心を読んだかのよう。
魔法使いのいる国は、日常的に魔法みたいなことが起こるのだろうか。
「……えぇっと、その……」
自分から話そうと思っていた手前、心の準備が出来ていなくて言葉に詰まる。
無理にうまく話そうとしなくてもいい。ウェスタさんから言われたことを思い出して、私は深呼吸を一つ。
「実は、さっき、ホテルに戻ってきてから、ウェスタさんに少し相談をしたんです」
「相談?」
「大したことじゃないんですけど……。その、なんていうか、旅がもうすぐ終わっちゃうんだなって思ったら、色々考えちゃって。まだ、デシの国にも行ってないのに、気が早いとは思うんですけど……」
まさか本人に向かって「一緒にご飯を食べたいと言われてモヤモヤした」なんて口が裂けても言えない。
別に悪い意味ではないのだ。けれど、どうしたってそう聞こえてしまうだろうから。
しどろもどろに何とかごまかしながら、「それで」と話を続ける。
「ウェスタさんに、そういうことを話したら、テオブロマ家の一人娘であることを一度忘れてみろって……。そうすれば、おのずと答えが導き出せるって言われたんです」
「フォロ料理長が?」
「はい。でも、どういう意味なのか分からなくて。なぞなぞみたいでしょう?」
私が曖昧に笑うと、ネクターさんは「ふむ」と考え込むように口元へ手を当てた。
私のことなのに、私以上に真剣な表情だ。
「テオブロマ家の一人娘であることを忘れる、ですか……。ずいぶんと難しい宿題をいただきましたね」
「そうなんです。ご飯を食べたら、少し元気が出て、考えられるかなって思ったんですけど」
「フォロ料理長は、昔から、解けない問題を出すような人ではありませんでしたから。今回もきっと、お嬢さまのためにとおっしゃられたんだと思いますが」
「もちろん、それは分かってるつもりです。私も、ウェスタさんが良い人だって知ってるし、自分で答えを見つけることが大事なんだろうなって感じてるんです」
今までに感じたことのない心のモヤモヤ。
きっと、ウェスタさんはそれが何なのか分かったからこそ、内緒にしたんだろう。
私自身が気づかなくちゃいけないことなんだって。
どうしたものか、と唸っていると、ネクターさんが静かに口を開いた。
「……お嬢さまはいつも、テオブロマ家の一人娘だ、と思って生活しておられますよね」
「それはもちろん!」
「ですが、もしも、そうでなかったら、と考えてみてはどうでしょう。例えば、ですが。貿易業を継がなくてもいい、と考えてみるとか」
「貿易業を継がなくてもいい?」
そんなことは考えたこともなかった。
少なくとも、貿易業を継がないだなんてことになれば、この旅の意味はなくなってしまう。
自由に放浪する旅にだって、本当のところ、みんな目的を抱えてる。
「僕も、料理長という肩書きがなくなり、初めて見えたことがたくさんあります。お屋敷を追い出された時、自分には何もないんだと知りました。お嬢さまの従者として旅に同行させていただいてからも、日々、従者たるものどうあるべきかを考えるようになりました」
「つまり、今の自分の立場がなくなったら、新しい別の何かを手に入れられるってことですか?」
「あくまでも例え話ですが……。失って何かを得ることもあります」
ネクターさんの言葉は説得力に満ちている。
私の場合は、どうしたって絶対にテオブロマ家の一人娘で、何かを失うだなんて、それこそお屋敷を追い出された時くらいなものだ。とはいえ、その後も不自由なくお金を使わせてもらっているし、ネクターさんのおかげで食いはぐれることもない。
「……テオブロマ家の一人娘であることを、忘れる……」
「えぇ。お嬢さまは、無意識なのかもしれませんが、僕からすれば立派すぎるくらいです。いつもテオブロマ家の一人娘として、周りを気遣い、明るく前向きに頑張っておられる。テオブロマ家の名を傷つけぬよう、振舞っておられるように見えるのです」
ネクターさんに言われて、何かがストンと心に落ちた。
「そっか……! そういうことなんですね⁉」
心にかかっていたモヤの正体。それに気づいて、私は思わず声を上げた。




