23.シュテープ一のパン工場
「ついたぁ~~~~‼」
草原に突然現れた大きな建物。そこから漂うパンの香り。
『パニスト』とおしゃれなフォントで書かれた看板は高級感さえ感じられる。
ちょうど頭上にある太陽が真っ白な工場をキラキラと照らした。
「料理長! すっごいおっきいです! っていうか、めちゃめちゃパンの匂いやばいです! ほわぁぁ……おなかすいてきた……」
「お嬢さま、落ち着いてください」
そのまま工場に突撃する勢いだった私を、料理長が後ろから引き止める。
「さすがに何もなしでは入れませんから。まずは入門の手続きをしましょう」
「入門の手続き?」
「はい、向こうに受付がありますから行きましょう」
ここからは料理長の出番。私はメガネを外して彼に続く。
料理長が颯爽と受付の方へ歩いていくと、警備員のお兄さんがビシリと敬礼を一つ。私が真似して敬礼すると、お兄さんはふっと笑ってくれた。
「すみません、連絡していたネクター・アンブロシアです」
「お待ちしておりました、アンブロシアさま。ただいま担当のものにお繋ぎさせていただきます」
受付のお姉さんは手慣れた様子でパパっと画面を操作していく。無駄のない動きがとっても大人っぽい。
こういう女性が立派なレディと言うのだろう。憧れちゃう。
「お嬢さま、どうかなさいましたか?」
「いえ! お姉さんみたいな大人にならなきゃなって!」
「お嬢さまは、お嬢さまのままでよろしいかと思いますが……でも、そうですね、僕もよく外へ出るともっとしっかりしなくてはと思います」
「料理長でもそんなこと思ったりするんですね」
「いつまでたっても、理想の人間にはなれないものですから」
料理長の場合は、ネガティブが過ぎて自己評価が異常に低いだけだと思う。
「料理長もそのままで良いと思います!」
私がピンと右手を高く掲げると、料理長はなぜか苦虫を噛みつぶしたような表情を見せた。
そんなに今の自分が嫌なのだろうか。
何かあったんですか、と口を開きかけたところで、
「おまたせして申し訳ありません!」
バタバタと足音がして、私たちは音の方へ視線を向ける。
ロビーの方から小走りにかけてくるまるっとしたおじさん。
優しそうな目元や、もちもちとした頬がまさにパン工場の人って感じだ。
「アンブロシアさま、ご無沙汰しております」
「こちらこそ。急にご無理を言ってしまって申し訳ありません」
「とんでもない! アンブロシアさま、ひいてはテオブロマ家の皆さまには大変お世話になっておりますから!」
料理長と知り合いらしいおじさんは、どうやら両親とも関係があるらしい。
テオブロマの名前に私が反応すると、おじさんはようやく私の存在に気付いてハッと目を見開いた。
「あああ、アンブロシアさま……こ、ここ、こちらの方はもしや……」
「お嬢さま、ご挨拶を」
「フラン・テオブロマです! よろしくお願いします!」
私のせいでテオブロマの名に傷がついちゃいけない。
メイド長に仕込まれたシュテープ式の丁寧なお辞儀をする。マナーなんてお家を出るまで何の役に立つんだって思ってたけど、社会に出たら嫌でも分かる。これ、超大事。
「やはり! テオブロマのご令嬢、フランさまでございましたか! ご挨拶が遅くなり、大変申し訳ございません! わたくし、ここの工場長をしております、ベイカー・サントノレと申します」
工場長はロビーの床に頭がついちゃうんじゃないかと思うほどの深いお辞儀をしてみせた。
どうやら、それほどまでにお母さまたちと関係があるらしい。仕事仲間というよりも、信者くらいの勢いがあるけれど。
「お嬢さまにお会いできるなんて光栄でございます! わたくし共は、テオブロマに救われましたから!」
キラキラとした瞳で見つめられても、私が何かしたわけではない。
でも、お母さまたちがこのパン屋さんを救ったんだと思うと嬉しくて、鼻が高くなるのは抑えられなかった。
「とにかく、本日はゆっくり見学なさってください。お昼はもう食べられました?」
「まだです! おいしいパンを楽しみにしてきました!」
食い気味で答えると、工場長の瞳が一層輝く。
「でしたら、まずはお昼になさってください。焼きたてのパンをご用意しましょう! うちは食堂が自慢なんですよ。工場で作ったばかりのパンを各種取り揃えておりまして」
「本当ですか! 嬉しいです! 行きましょう!」
料理長の呆れたような、苦笑まじりのため息が聞こえた気がしたけど、すでにパンの良い匂いをたくさん嗅いだ後なのだ。
おなかだってすいているし、まずはお昼に、という提案にのらない選択肢はない。
真っ白な清潔感ある廊下を案内されるがまま進んでいく。
もうすぐ食堂が、というところで工場長が「それにしても」と私に声をかけた。
「フランさまは、若いころの奥さまによく似ていらっしゃいますね」
数十年ほど前の懐かしい出来事が目の前に広がっている、とでもいうかのような穏やかな瞳。
工場長はその目を私に向ける。
「私が、お母さまに?」
「えぇ。それはもう。もう二十年は前になります。ちょうど、奥さまも、フランさまと同じくらいの年齢でした」
「そんなに前から知り合いだったんですか⁉」
「そうですよ。当時は、まさかこんなに長くお付きあいをさせていただけるとは夢にも思っておりませんでしたが」
工場長の口調が少しだけしんみりとしたものになる。
だが、それもふっと添えられた笑みで隠されてしまう。
「話すと長くなります。まずはランチでも。天気も良いですから、外のテラスをご案内しましょう」
ランチタイムの食堂は社員さんたちで賑わっていた。
焼きたてのパンの香りはもちろん、パン以外にもたくさんのメニューがあるようで、ブッフェ形式になっているからか、食堂には良い匂いが充満している。
社員さんたちも、毎日ここで食事をしているはずなのに、みんな目がキラキラしている。
私も毎日こんなに素敵なランチが出来るなら、パニストで働いてみたい。
おいしいパンを作れるのはもちろんだけど、おいしいパンがこんなに食べられるなんて夢みたいだもん!
しかも、テラスまでついているなんて、工場の食堂というより大きなカフェみたいだ。
私の知っている限りだけど、パンギルドではまずありえない。
「飲み物を持ってまいりましょう。お二人はブッフェのメニューがありますから、ぜひ見ていてください」
工場長から差し出されたメニューは信じられないくらい分厚い。
私はゆっくりとメニューを開く。
一ページ目からおいしそうなパンの山の写真が現れて、私の鼓動が自然と高鳴った。




