226.夕暮れ、美しい街に
川をのぼり、第六区画を超え、陸へ上がり……到着した第七区画は、もう夕暮れ時だというのにたくさんの明かりに包まれていて、まるで昼のようだった。
石畳の路面に出来た水たまりも街の光を反射させて、どこもかしこもキラキラと眩しい。
「うわぁっ! 第七区画もすごく綺麗な街ですねぇ!」
「港があるだけあって、第一区画に雰囲気は似ていますが……それ以上ですね」
私たちは事前に運転手さんから教えてもらっていたとおり、第二停車場でバスを降りる。
大きな川に面した広い通り、十字の交差点はどこもかしこもお店の看板や行きかう人々で賑わっている。
「これなら宿もたくさんありそう!」
「宿をとったら、今日は外で晩ご飯を食べましょうか。港も近いですし、おいしい魚介料理が食べられるかと」
通りのあちらこちらにレストランやカフェのようなお店が見える。
どのお店もたくさんの人で賑わっていて、第五区画の静けさとは対照的。また違ったズパルメンティの一面が楽しめそうだ。
通りを一本裏に入る。
今度はずらりとホテルの看板があちらこちらに顔を出した。
激戦区だからか、どこもそれぞれ個性的だ。見た目から高級そうなホテルもあれば、まるで一軒家のように見えるホテルもある。中には本に囲まれて眠れるホテルやサイバーパンクなテイストのホテルまで。
「今までで一番宿に困りますね」
「いつもは宿がなくて困ってるのに、ありすぎるのも困りものですね⁉ ネクターさん、気に入ったところはありましたか?」
「僕は普通のところで良いのですが……」
「それじゃあ……」
入り口にかかった看板、建物の雰囲気、今まで見て来たホテルを色々と思い出して、私は
「ここにしましょう!」
と一つのホテルを指さす。
ガラス張りのフロント、クラシカルなグリーンの絨毯が目を引く白い石壁のホテル。
他のホテルがあまりにも目立つせいで、シンプルだから地味に見えるけれど、すごく綺麗で落ち着く造りだ。
フロントは人がいなくて、脇に置かれた水槽だけが小さな音を立てている。
「良くこんなところを覚えておりましたね。他のホテルのインパクトが強くて、僕の目には止まっておりませんでした」
「ふふ~ん! こう見えて、記憶力は良いんですよ!」
端末のタッチパネルでお部屋を選ぶ。
今回は二人別々のお部屋だ。とはいえ、いつもお隣同士だけど。
最初は、どうして同じお部屋を嫌がるんだろうとか、別々のお部屋なのに隣同士にするのはどうしてなんだろうって思ったりもしていたけれど、最近はこのつかず離れずな距離が悪くないと思えるようになってきた。
フロント脇のエレベーターを使って、選んだお部屋のフロアに上がる。
なかなかの高層ビルだ。この辺りの街が見渡せる位置まで来たんじゃないだろうか。
綺麗な景色を少し眺めてから、二人でそれぞれのお部屋に入る。部屋の中もシンプルな造りだったけれど、すごく清潔感があった。
「ん~! ベッド最高……!」
ふかふかのベッドにダイブすると、優しい石鹸の香り。
ネクターさんとの約束の時間まではまだ少し余裕がある。
魔法のカードを取り出して、今日撮った写真を見返せば、ネクターさんがおいしそうにお料理を口にしている写真が目に止まった。
ネクターさんの整ったお顔と、バックに映る美しい海とお魚。本当に絵画みたい。
「ネクターさんがちょっとでも元気になって良かったなぁ」
ウェスタさんと再会して、一緒にまたお料理が出来たことも、彼にとっては大きな転換点の一つだったのかもしれない。
残る目的は、ケルピーとロアを食べること。それが達成できれば、ズパルメンティでの旅もおしまい。
いよいよプレー島群最後の国、デシへと向かうことになるのだろう。
「もう、旅も終わりなのかぁ」
まだ気が早いとは思うけれど、ネクターさんとの毎日がもうすぐ終わりを告げるのだと思うとなんだか寂しい。
はじめは、一緒に旅に連れて行ってくれと頼まれて、断ったらこの人は死んじゃうんじゃないだろうか、と思っていた。
それが、だんだんとネクターさんと打ち解けて、彼の抱えていたものも知って、今はすっかり仲良くなれたような気がする。
「お屋敷に戻ったら、ネクターさんとの関係も元通りになっちゃうのかなぁ」
お屋敷にいたころの私は、厨房へ行くこともなく、料理長とは顔を合わせる機会もなかった。
もちろん、料理長が私たちの前へ姿を見せることもほとんどない。
料理人たちは裏方で、給仕はメイドさんや執事さんのお仕事。彼らは、私たちのために厨房でひたすらに料理を作ることがお仕事なのだから。
「それは、いやだな……」
せっかく仲良くなれて、色々なことを知れたのに。
顔も、名前も知らなかったあの頃のようには戻れないのだ。
家業を継いで、立派な貿易商としてテオブロマ家を守っていきたいと思っているのは事実だし、その気持ちは変わらない。
けれど、これからもネクターさんと一緒においしいお料理を食べて、いろんな場所へ行ってみたいと思う気持ちもある。
「これから先、どうすればいいんだろう……。私がテオブロマ家を継いで、ネクターさんは料理長に戻ったら、もう一緒にお料理を食べたりすることもなくなるのかなぁ」
呟いて、ブンブンと首を横に振る。
「ダメダメ! まだ先のことなんだし、あんまり暗くなっても仕方ないよね! 今は一緒に旅が出来てるんだし、今のうちにたくさん思い出を作っておかなくちゃ」
考えても仕方のない悩みだ。今は答えも持ち合わせていない。
気分を変えるためにカーテンを開ければ、外にはズパルメンティの美しい街並みが広がっている。
窓を開けてベランダに出る。街に吹く風を感じながら、私はゆっくりと深呼吸をひとつ。
「よし! 今日もおいしいものを食べるぞ!」
ぐっと拳を握って宣誓するように口に出すと、隣からぶっと誰かが吹き出した声が聞こえた。
声の方向に視線を向ければ、
「ネクターさん⁉」
偶然にも同じようにベランダへ出て来ていたらしいネクターさんと目が合う。
「……すみません、お嬢さま。たまたま聞こえてしまいまして。先ほどもおいしいものを食べたのに、と」
彼はツボに入ったのか珍しく、はは、と声を上げて笑っていた。
綺麗なブロンドヘアがズパルメンティの夕日に輝く。
――あぁ、やっぱり私、もっとネクターさんと一緒にいたいな。
忘れてしまわないように、私はネクターさんのその笑みを心に焼き付けた。




