22.青々とした麦畑
素晴らしい朝食付きの宿を後にして、私たちはシュテープ一大きいパン工場へと向かう。
私たちがいた国都から電車とバスを乗り継いで二時間くらい行ったところ、らしい。
料理長調べだから間違いない。
「っていうか! こういう時こそ魔法のメガネがあるじゃん!」
最寄り駅からの電車を調べつつ、リッドとにらめっこしていた私は、慌ててカバンからメガネを取り出す。
普段メガネなんてしないから、すっかりその存在を忘れていた。
「買っておいて良かったですね」
「はい! 料理長は今日からコンタクトですね!」
「メガネと一緒に注文していたものが昨夜届きまして」
「メガネも似合ってたのに! コンタクトも素敵ですけど!」
「ありがとう、ございます?」
照れ臭いからか、疑問形になってしまっているけれど、料理長もようやく褒められることに慣れてきたみたいだ。
人間、成長するもんですなぁ。お姉さんは嬉しいよ。料理長の方が数倍大人だけど。
「メガネさん! おはようございます!」
メガネのフレームについたボタンを押して起動すると、耳元で『おはようございます』と返事が聞こえた。
「シュテープ一おっきいパン工場に連れてってください!」
『了解いたしました。パニストまでの案内を開始します』
「ぱにすと?」
突然の知らない単語に首をかしげると、「シュテープ一のパン工場の名前ですよ」と料理長が説明してくれた。
なるほど。パニスト、良い響きだ。
魔法のメガネちゃんが、目の前に矢印や電車の情報、運賃などを全て表示してくれる。
「おわ! すご!」
地図が見れると聞いてはいたけれど、まさかこんな感じとは。
「ウェアマグはいかがです?」
「超便利です! これなら私も迷子になりません!」
「それは良かった。では、お嬢さま、ご案内をお願いしてもよろしいでしょうか」
「任せてください!」
いつもは料理長が先頭だけど、今日はそれも譲ってもらった。
正直、地図だって方向音痴な私は見方もわかんないしね! 魔法のメガネさまさまだ。
女神さま、もといメガネさまの案内に従って、三十分ほど電車に揺られ、次の電車へと乗り換える。
パニストへと近づくにつれて、電車の外の景色はだんだんとのどかなものへと変わっていった。
青々とした草原がどこまでも広がる。
ポツポツと並ぶ家々は、こまごまと並ぶ国都のものよりも、どちらかといえばお屋敷街に近い。お屋敷街の家よりももっと古くから建っていそうだけど。
「ん?」
広い草原の上をノロノロと大きな車。元々何もないような場所だ。ただでさえ目立つのに、草と対象的な赤色の車はよく目立つ。
座っているのはおじいちゃん一人で、タイヤの後ろには大きなローラー。
ローラーがゴロゴロと容赦なく草を踏みつけていて、整地か何かをしているように見えるけど。
「あれ、何してるんですか?」
私が窓の外を指さすと、料理長は「あぁ」と物知り顔でうなずいた。
さすがは料理長。期待通りの博識だ。
「麦踏ですね」
「むぎふみ?」
「麦の芽を踏む作業なんですよ。足で踏みつけることもありますが、この規模ですからね。ああやってトラクターでローラーを引いて」
「え⁉ 踏むんですか⁉」
さすがにそれはバイオレンス過ぎない⁉
思わず大きな声を上げると、電車の中にいた数名の視線がこちらに刺さる。ごめんなさい、と小さく会釈すれば、乗客たちはみな視線をもとに戻した。
「酷いことのように聞こえますが、麦の根の張りを良くして耐寒性を上げるために必要な作業なんですよ。寒い冬を超えるために、麦を強くしているんです」
「え! 麦、めちゃめちゃ打たれ強い子じゃないですか!」
「打たれ強い子……? ま、まあ、そうですね。少し変わった風景かもしれません」
「これが料理長の言ってた面白いもの、ですか?」
「いえ。これは偶然ですね。麦踏も面白い光景ですが」
「へぇ! 楽しみだなぁ! 早くパニストに行ってみたいです!」
「きっと喜んでいただけると思います」
麦畑を横目に、電車はどんどんと進む。
他愛もない会話をいくつかしていると、ポォン、と耳からメガネさまのお告げがあった。
『最寄り駅が近づきました。降車してください』
「料理長、次の駅が最寄り駅だそうです」
「そうですか。ちょうどお昼時になりましたね」
メガネの端に表示された時計が昼時を示している。
最後の朝食だから、と思っていつも以上にしっかり食べてはきたけれど、意識すると少しおなかがすいてきたような。
速度を落とした電車がすべりこんだ駅は、今時珍しい木造の無人駅だった。
さすがにこの辺りで降りる人は少ないらしい。シュテープ一大きいパン工場がある、と言っても、あえて行くような場所ではないだろうし。
「わぁ!」
改札機を通り抜けると、そこは一面の草原。舗装されていない道も残っていて、私には新鮮な景色だ。
「すごいです! 広いです!」
「ふ、そうかもしれませんね。この辺りはほとんどが麦畑ですから」
緑の海に迷い込んだみたいだ。
走り出したくなるような、何か歌いながらスキップしたり踊ったりしたいような、そんな気分。
「気持ちいいですね! ここから後ちょっと歩くみたいなんですけど、それも楽しみになってきました!」
「お嬢さまらしい。良いお考えですね」
えへへ、と笑って私が駆け出すと、まさかそうくるとは思っていなかったのか、少し遅れて「お嬢さま⁉」と料理長の慌てた声が聞こえた。
「どっちが先につくか勝負です! 料理長!」
「危ないですよぉ~!」
「大丈夫です!」
青い草原の中を後ろから追いかけてくる料理長の姿を撮影してみれば、やっぱりそれは驚くほど絵になった。
冬なのに青々としている風景。そこに溶け込んだ料理長の小麦みたいな金髪が、陽の光に反射してやけにまぶしい。
「お嬢さま?」
「おわっ! 料理長、足はや⁉」
ボーっとしていたら料理長がいつの間にか追いついていて、私はまた走り出す。
けれど、結局二人とも体力がなくて、かけっこはあっという間におしまいを迎えた。
二人して大きく息を吐き出せば、なんだか子供みたいだと笑いがこぼれる。
冷たい風がざぁっと草の揺れる音を連れてきて、同時――
「……ん! 良い匂い!」
パンの焼けたような、香ばしい麦の匂いがあたりいっぱいに漂った。




