199.失くしたものは何ですか?
私たちの席にお水の入ったグラスとジョッキを持ってきてくださったのは、先ほどのウェイターさんではなく、私たちの尋ね人――エイルさんのお父さまだった。
実際に見れば、やっぱりエイルさんによく似ている。いや、エイルさんがよく似ている、というのが正しいんだけど。
日に焼けた肌も、海水と日光で脱色された髪の色も、そっくりそのままだ。
「お待たせしました。あぁっと……はじめまして、ッスよね。俺に、何かご用があるとか……」
グラスとジョッキを置いたエイルさんのお父さまが、曖昧に微笑んだ。
喋り方までそっくり。さすがは親子だ。
ついに! お父さまを見つけましたよ!
エイルさん! エイルさんお母さま‼
「……お嬢さま」
私が感慨に浸ってると、トントンと肩をたたかれる。
我に返って周りを見れば、困ったように笑うネクターさんとエイルさんのお父さまがいらっしゃった。
「ハッ! すみません! えっと、あの、エイルさんのお父さまですか⁉」
「え?」
「お嬢さま! ……すみません、えぇっと、僕らはシュテープから来たものでして。旅をしているんですが、シュテープであなたを探しているという人がいたものですから」
「シュテープ……?」
言葉足らずな私に代わってネクターさんが丁寧に説明してくださる。
あまりにも急な話だからか、いまいちついていけない、とエイルさんのお父さまは困惑を顔に貼り付けたままだ。
「あ! 決して怪しいものじゃないです! 私は、フラン・テオブロマと言います。シュテープで貿易業をやっているテオブロマの娘です!」
「僕は、お嬢さまの付き人をしております。ネクター・アンブロシアと申します」
「……あ、あぁ。えっと、はじめまして。俺は、フォルトゥーナです。わざわざ、遠いところからズパルメンティへようこそ」
フォルトゥーナさんはおずおずと緊張しつつも微笑んだ。笑い方も、やっぱりエイルさんにそっくりだ。
フォルトゥーナさんは眉を下げたまま、ポリポリと頭をかいた。
「えぇっと、それで……俺が、シュテープで探されてるってのは……」
「え……?」
今度は、私とネクターさんの顔に困惑が浮かぶ。
「俺は、誰かの父親、なんスよね……」
たたみかけるように尋ねられた言葉に、私たちは互いに顔を見合わせた。
「えっと……人違い、ですか?」
「フォルトゥーナさんは、エイルさんの、お父さまじゃない……?」
「エイ、ル?」
私たちの声に、フォルトゥーナさんがピクリと反応する。片方の眉が持ち上がったかと思うと、彼は何かを考え込むように目を伏せた。
けれど、それもつかの間。
「フォル! そろそろ厨房に」
店内から店員さんに呼ばれて、フォルトゥーナさんは顔を上げる。
「ああっと……すみません。今は、ちょっと手が離せないんス。時間がかかりそうなので、店が閉まってから、もう一度話を詳しく聞かせてもらっても良いっスか?」
その顔は真剣で、私たちもこのままでは終われない、と首を縦に振る。
「ちなみに、宿泊先はどこッスか?」
「すぐそこのホテルです! お店が見えるところにあるので……」
「それじゃあ、ネオンサインが消えたらまた店に戻ってきてくださいッス。あ、もちろん、食事も楽しんでいってください」
フォルトゥーナさんはニッと笑って、店内の方へと戻っていく。
私たちもそれ以上は追及できず、今は食事を楽しもう、とズパルメンティの港ならではなお料理を何品か頼んで、食事に集中することにした。
*
お店のネオンサインが消えたのは、慌ただしかった港町もずいぶんと静かになったころだった。
さすがに深夜は軍人さんと警察官の人たちがクラーケン災害の後始末を続けているくらいで、朝の早い漁師さんたちや一般の人は眠りにつく時間である。
「お待たせして申し訳ないッス」
お店の前へと向かうと、お店のシャッターを閉めたフォルトゥーナさんがこちらに気付いて手を挙げた。
「こちらこそ、急に押しかけちゃってごめんなさい」
「いや、とんでもないっス。もうこの辺りの店は閉まってるんで、良かったら家に来てください。単身用で狭い部屋ですが、お客さんを二人通すくらいは出来ますから」
フォルトゥーナさんは、エイルさんよろしく人懐こい笑みを浮かべて「行きましょう」と歩き出した。
お家はすぐそばの集合アパートだった。かわいらしい薄青の壁に小さなランプがぼんやりと光っている。
「昼のクラーケン災害で階段が水浸しッスけど、それ以外は大丈夫だったんで気にしないでください」
私たちは、フォルトゥーナさんについて水浸しの階段を何段か上がる。
「さ、どうぞ」
案内されたのは三階の一室。フォルトゥーナさんの言う通り、クラーケン災害の被害は特になかったようで、綺麗に片付けられていた。
リビングのイスにネクターさんと並んで腰かける。
フォルトゥーナさんは、あたたかいスープをよそってくださった。エビの香りがふわりと漂う。
「それで……その……単刀直入に聞きますけど、俺は、誰かの父親で……その、家族がいるってことッスよね? その人たちが、俺のことを探してくれてるんスか?」
フォルトゥーナさんの瞳が切なげに揺れる。
スープを見つめるその顔は、なんとも歯がゆい。
「……失礼ですが……フォルトゥーナさんは、記憶を、なくしてらっしゃるのですか」
ネクターさんの声が、ポツンとリビングの真ん中に落ちる。
これは、私たち二人の総意。食事の後、ホテルに戻って話したことだ。
フォルトゥーナさんの反応から考えられることは、おそらくこれだろう、と。
フォルトゥーナさんの顔が上がり、視線がぶつかる。
彼は、一呼吸おいてから小さくうなずいた。
「まさに、おっしゃる通りっス。俺は……船の事故で、海に投げ出され……。気づいたら、ズパルメンティにいたんです」
フォルトゥーナさんの声と指先が静かに震える。
「だから、家族がいるなんて、思いもしなかった……」
彼はゆっくりとその言葉を吐き出すと同時、震えたままの手で目元を抑えた。
「だけど……確かに、俺はずっと何かを探していたんス。失った記憶だけじゃない、もっと大切なものを」
良かった。
呟いたフォルトゥーナさんの瞳から、キラリと涙がこぼれた。




