173.妙薬、願いよ、届いて
「戻りました~!」
ブンブンと手を振れば、砂漠特有の悪い足元も気にせず、ネクターさんがこちらへと駆け寄ってきたのが分かった。それはもう、見たことがないくらいの全速力だ。
「お嬢さま! ご無事ですか! どこかお怪我は⁉ 体は冷えておりませんか⁉」
ガシリと私の肩をつかんで隅々までチェックするネクターさんに、フィーロさんとエンさんは苦笑する。
「大丈夫です! ユニコーン、かわいかったです! 綺麗だし、かっこいいし!」
どこも怪我してないですよ、と一周まわって見せれば、ネクターさんもようやく安堵したのか、へたりとその場に座り込んでしまった。
「……良かった、良かったです、本当に……。何かあったら、僕は……」
泣きそうなネクターさんをエンさんと協力して無理やり立ち上がらせる。
ネクターさんがズビリ、と鼻をすすったのは、涙のせいではなく、寒さのせいだと思いたい。
「とにかく無事で良かった。角は?」
「それもちゃんとゲットしてきました!」
じゃじゃーん! ユニコーンの角!
私は美しい純白の粉が入った小瓶を天高く掲げる。
とはいえ、これも焔華結晶同様、効力にはタイムリミットがある。悠長にはしていられない。
「すぐにでも飲んでください!」
そのままネクターさんに小瓶を渡すと、エンさんもステンレスボトルを取り出してネクターさんへと差し出した。
ネクターさんはその瓶をもう一度だけ月明りにかざし、真珠のように淡くきらめくそれを見つめる。
「……本当に、なんとお礼を申し上げたらよいか」
一生をかけて、お嬢さまには恩をお返しします。
ネクターさんはそう呟くと、小瓶から粉を手のひらにのせて、水と一緒に一気にあおる。
ゴクン。
彼の喉仏が上下して、ユニコーンの角――浄化の薬が体にしっかりと取り込まれたことが分かった。
私も、エンさんも、フィーロさんも、ネクターさんの様子を窺う。
ネクターさんはゆっくりと息を吐くと、
「……少なくとも、おいしくはありませんね」
と苦笑した。
顔色も悪くない。
焔華結晶の時のように急に倒れるということはなさそうだ。
「なんというか……すっとするような、体内にひっかかっていたモヤみたいなものが晴れたような気分です」
ネクターさんも特に不調はないと穏やかに微笑んで見せて、
「お嬢さまのお体が冷えてはいけません。まずは宿に戻りましょう」
と歩き出す。
ネクターさんが元気ならそれで良い。
後は……。
「味覚が戻ればいいな」
彼の背中を見つめるフィーロさんが隣で呟く。
「はい。本当に」
私が小さくうなずくと、フィーロさんが優しく私の肩を抱く。
「フランも、よくがんばったな」
「……っ!」
フィーロさん……イケメンすぎる……!
フィーロさんが男の人だったら、この世界中の女の人はみんなフィーロさんのとりこです!
「……フラン⁉」
射抜かれた胸元を押さえれば、フィーロさんの慌てた声が聞こえる。
「だ、大丈夫です……! ちょ、ちょっと後光が眩しくて!」
フィーロさんはきょとんと首をかしげつつも、「いくぞ?」と私を置いて歩いていく。
三人の背を見つめて、私は「そうだ」と忘れていたことを思い出す。
「辰子さまも、ありがとうございました」
きっと見守ってくれていたはずだ。
直接姿は見せてくれなかったけれど、もとはと言えば彼女がヒントをくれたのだから。
歩いてきた道を振り返って、黄金色に輝く砂漠に頭を下げれば、ふわりと優しく風が頬を撫でた。
「お嬢さん、おいてくぞ~」
エンさんに呼ばれて、私は「今行きます!」と砂を蹴りだす。
私たち四人は月光満ちる砂漠を後にして、冷えた空気の中、沙漠の町へと戻った。
*
宿に戻った私たちは、早速、ネクターさんとエンさんの部屋に集まった。
もちろん、味覚が戻っているのか確認するためだ。
エンさんがネクターさんへとお茶を差し出す。
紅楼特有の甘さを含んだお茶。すでに私は飲み慣れてしまった味だけれど、ネクターさんは今までそれを感じることはなかっただろう。
緊張の面持ちでお茶の入った陶器を持ち上げるネクターさん。
「……まったく、嫌になりますね」
苦々しい声は一度目の落胆を噛みしめているようだった。
ドラゴンの秘薬、一片飲めばどんな病も内側から燃やして治す――そんな焔華結晶の力をもってしてもダメだったのだ。
いくらユニコーンの角に浄化の作用があって妙薬と呼ばれていても、それに及ぶだろうか、と不安に思ってしまうのも無理はなかった。
ネガティブなネクターさんは、きっとこれ以上迷惑をかけられないと思っているはず。
そんな風には感じてほしくない。私がやりたくてやっていることだ。迷惑でもなんでもない、と私は慌てて口を開く。
「大丈夫ですよ! それに、もしダメでも、また別の方法を考えましょう!」
ドラゴンの秘薬も、ユニコーンの妙薬もゲットできたのだ。これから先、どんな魔物相手でもなんとかなる気がする。
エンさんも何かを察したというように、私同様のフォローを入れる。
「お嬢さんの言う通りだな。まあ、今回はあの仙人老婆や辰子さまって不思議な存在からのお告げだし……ってこれ、集団幻覚じゃないよな?」
エンさんが冗談だか本気だか分からないトーンで肩をすくめれば、ネクターさんも呆れたように肩をすくめた。
ただ一人、静かに見守っていたフィーロさんも
「ズパルメンティの良い医者を紹介してやる」
と付け加える。
「三人とも、ダメな前提じゃないですか」
そう苦笑するネクターさんの顔からは緊張が消えていた。
私たちがわざとネガティブな発言をしたことで、彼の中にあるプレッシャーみたいなものが少し軽くなったのかもしれない。
ネクターさんはすぐに気負ってしまうところがあるから、少しでも楽になったのなら良かった、と私たちは互いに目くばせした。
「それじゃあ……」
決心がついたらしい。
ネクターさんは、ようやく手にした陶器を口元へと運ぶ。
一口。
そっとお茶を流し込む動作は、先ほど薬を飲んだ時とはまったくの別物だ。
ゆっくり、ゆっくりと味わうように陶器を傾ける。
コトリ。机の上に戻された陶器は空っぽで、細かな茶葉だけが底に残っている。
ネクターさんの美しい唇がうっすらと開く。
話すために息を吸う。
普段は当たり前にあるその一瞬の間が、今までにないくらい長く感じた。




