160.冷める熱、明かされる秘密
「彼を山小屋へ!」
素早い指示を出したイーさんは、エンさんに担がれたままのネクターさんの額に手を当てた。
「熱が高い。おそらく、焔華結晶の魔素と体内の組織が反応しているのでしょう。すぐに体を冷やさなければ……」
「イー、お客人のことは頼んだ! おれたちはドラゴンをこのまま放置しておくわけにはいかないからな。解体したらすぐに山小屋へ向かう」
ガードさんは心配するレイさんたちを引き連れて、ドラゴンの方へと戻っていく。
ネクターさんのことも放ってはおけないけれど、狩ったドラゴンを放置しておくのもまずいってことは明白だ。
ガードさんの冷静な判断は、今できる最善策に違いなかった。
二手に分かれ、私たちはガードさんに言われた通り山小屋へと向かう。
息苦しそうなネクターさんの吐息を聞くたび、私の胸がキュッと締め付けられた。
「大丈夫ですよ、おそらく命に別状はありません。山小屋で休ませて様子を見ましょう」
イーさんに励まされながらも、私とエンさんは急ぎ足で山を下っていく。
山小屋までの道のりは、登ってきた時よりもはるかに長く感じた。
*
山小屋についたころには、ネクターさんだけでなく、彼を抱えて山を下ったエンさんも汗だくになっていた。
イーさんの指示でネクターさんをベッドへ寝かせ、エンさんはすぐさまシャワーを浴びに行く。
「氷袋です。テオブロマさん、足首と太もものあたりにこれを」
「はい!」
イーさんに指示されるがまま、ネクターさんの体に氷袋を置いていく。
イーさんは慣れた手つきでネクターさんの首元や脇、手首へとそれらを置いていった。
「ひとまず、これで体は徐々に冷えていくでしょう。焔華結晶と体内組織の反応は一時的なもので、命に別状はありません。ですが、何かあれば呼んでください。わたしは水と替えの服を持ってきます」
「ありがとうございます!」
数分と経たないうち、イーさんは水とお洋服を持ってきてくださった。
ネクターさんの着替えをのぞくわけにはいかない。私が部屋から出ると、ちょうどシャワーから出てきたエンさんとかち合う。
「ネクターの様子は?」
「とりあえず、体を冷やしています。命に別状はないって……。今はイーさんが着替えを」
「そうか……良かった」
エンさんは心底安心したように息を吐き出すと、そのままずるずると壁にもたれかかる。
「これで、あいつの体も治ればいいんだがな」
ネクターさんが、一体何の病気なのかは私たちも知らない。
けれど今は、それを願うばかりだった。
*
夕暮れが過ぎ、夜も更けるころにはネクターさんの症状も落ち着いてきて、ドラゴンハンターのメンバーは帰宅することとなった。
みんな「残ろうか」と言ってくださったけれど、ネクターさんの症状的にも問題がないなら、と帰ってもらうことにして、山小屋には私たちだけ。
ドラゴンのお肉も、ネクターさんが起きてきたときのために、と私とエンさん、それからネクターさんの分だけを残してもらって、残りはみんなで食べてもらうことにした。
ちょっともったいない気もするけど……欲しかったものは手に入ったし。
「ネクターさん。早く起きないと、ドラゴンのお肉、食べちゃいますよぉ」
私がそっと、ネクターさんのブロンドの髪を撫でた瞬間……長いまつげがぴくりと揺れる。
「ネクターさんっ⁉」
「……お、嬢さ、ま」
ゆっくりと開かれた目元から、いつもの綺麗なアンバーの瞳がのぞく。
「ネクターさん! 良かったぁ!」
ネクターさんに飛びつくと、「わぁっ⁉」と彼はひときわ大きな声を出した。
「起きたか⁉」
私たちの声が聞こえたのだろう。バンッ! と勢いよく開いた扉の向こうからエンさんが駆け付ける。
「エンさん! ネクターさんが‼ ネクターさんがぁぁ……」
ぶわりと涙がこぼれて、うまく言葉にならない。
「死んじゃうかと、思って……よがったぁぁぁ!」
おいおいと声をあげると、背中にふわりと優しい感触があった。
「僕はまた、お嬢さまにご心配をおかけしてしまったのですね」
「本当ですよぉ! ネクターさんのばかぁぁ! 心配したんですからね⁉」
「はは、お嬢さん。気持ちは分かるが離してやってくれ。ネクターも病み上がりだ」
エンさんにひょいと抱き上げられ、私はネクターさんから離れる。
改めてネクターさんに向かいあうと、彼は深く息を吐いて、枕元に置かれていた水に口をつけた。
「どのくらい、僕は寝ていたんでしょう」
「数時間ってところだな。ここは朝に来た山小屋。他のメンバーは解体したドラゴン肉を持ってすでに下山した。ここにいるのは、俺とお嬢さんだけだ」
「そうですか……。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
エンさんから状況を聞いて事態を飲み込んだのか、ネクターさんは私たちへ頭を下げた。
申し訳なさがにじんでいるものの、いつもより落ち着いているように見える。
私もネクターさんの姿にようやく涙が引っ込んでいく。
「お嬢さまにご迷惑をおかけしないよう、今まで黙ってきましたが……。それがまさか、逆にご迷惑をおかけすることになるとは。本当に、なんとお詫びして良いか」
「大丈夫です、ネクターさんが無事で良かったです! それに、私も、エンさんも、迷惑だなんて思ってませんから」
「そうだな。俺たちは、旧友であり、親友で、ライバルだろう?」
「……ありがとうございます」
謝罪をお礼に切り替えて、ネクターさんは小さく微笑んだ。
「このタイミングで言うことではありませんが……なんだか、少し気分が晴れやかになりました」
心の底からそう思っているらしい。彼の表情は穏やかだ。
「それは何より。焔華結晶の効果てきめんってところか?」
「……それは、まだ何とも。ですが……ここまでご心配をおかけしたのですから、きちんと話さなくてはいけませんね」
ネクターさんは苦笑して、
「またお嬢さまにご迷惑をおかけしないように」
と付け加える。
私がとんでもないことをしでかしそうだから、と遠回しに言われたような気がしなくもないけれど……。
とにかく、ネクターさんが秘密を話す気になってくれたことは素直に嬉しかった。
私たちをしばらく見つめた後、ネクターさんは「実は」とためらいがちに口を開く。
放たれた言葉。それは、私たちの心に直接ナイフを突き立てた。
「……二年ほど前から、僕は味覚を失っているのです」




