157.商人としての第一歩
「それでは、始めましょう。立ち合いはわたし、イーが行います。質問は?」
「上限はいくらだ?」
「いくらでも。テオブロマさん、それでよろしいですね?」
「……大丈夫です」
金の貴重さも知らない小娘が、とダイジェンさんの瞳が訴えかける。
威圧するような表情が怖い。思わず一歩後退してしまいそうになる。
でも……。ネクターさんのためにも、絶対に手に入れなくちゃ。
「焔華結晶をいくらで買うか、互いに金額を提示する形式で行います。ですが、値をつり上げ続ければキリがありませんので、チャンスは三回。最終的に高い値を提示した方がここのドラゴンを狩る権利を手にするということで」
イーさんの提示した条件に、私とダイジェンさんはうなずく。
競売が長引いて、ドラゴンが起きてしまっては元も子もない。出来るだけ安全にドラゴンを狩りたいのはみんな同じだ。
「単位はリィン。権利の購入者が三日以内に相手へ支払いをするということで」
「支払いの形式は振込でもかまいませんか? 私はシュテープの人間なので……」
「ダイジェンさん、いかがですか?」
「かまわん。もっとも、支払えるのであれば、だが」
ダイジェンさんは挑発するように鼻を鳴らすと、早速胸元から何やら小切手のような紙を取り出して、サラサラとペンを走らせた。
私は魔法のカードを起動して、そこに金額を入力する。
一回目。
焔華結晶の相場は二十万リィン。
損得勘定は抜きにして、まずは相場通りで相手の出方をうかがう。
「では、どうぞ」
イーさんに促され、私たちは互いに金額を見せ合う。
私は二十万リィン。ダイジェンさんは……十四万リィン。
あまり大きくかけ離れた数字ではない。
私の金額に、ダイジェンさんは「ほぉ」と小さく声を漏らした。
「さすがにテオブロマのお嬢さんですな。相場はご存じのようだ」
私のことを見くびっていた、と素直に態度を改めたダイジェンさんは次の数字を書き始める。
「では、二回目を」
イーさんの静かな声に、私ももう一度金額を入力する。
イーさんが小さく首を横に振ったのを確認して、私は先ほどと同じ数字を入力した。
ここは我慢。ダイジェンさんが次にどれだけ値を上げてくるか様子を見ろ、ということなのだろう。
本当の勝負どころは三回目なのだ。
「お二人ともよろしいですか?」
私とダイジェンさんはもう一度互いの金額を提示する。
私の二十万リィンに対して、ダイジェンさんが出したのは……。
「三十万リィンだ」
にっと笑ったダイジェンさんは「どうかね?」と私にその小切手を見せつける。
「値を上げず、出方をうかがう……なるほど、競売の知識もおありとは。若いのに教育が行き届いておりますな。これは三回目が楽しみです」
ある種のゲームを楽しむように、ダイジェンさんが新しい紙を取り出す。
残るは一回。
泣いても笑っても、これが最後だ。
ダイジェンさんは、先ほどの二倍を提示した。
かくいう私は、三十万リィンを超える額を提示する必要が出てきたわけだ。
ダイジェンさんもそれは分かっているはずで、次はさらに値を上げてくるはずだけれど……果たして、いくらを出すか。
私がチラとダイジェンさんの様子を確認すると、彼はすでに書き終えたのか涼し気な表情で私を待っていた。
「おや、どうされましたかな」
「いえ。いくらならお譲りいただけるのか考えていたところです」
「楽しみにしておりますよ、テオブロマさん」
バチリ。火花が私とダイジェンさんの間に弾ける。
余裕そうな表情からは、かなりの高額を書いたことが予想出来た。
イーさんも何を察したか小さくうなずく。
やるしかない。
お父さま、お母さま。旅が終わったら、私はロボット以上に働きます。
ネクターさんの病気を治すこと。いえ、仮に病気じゃなくても! ネクターさんを元気にすることが、私にとっては今、何よりも大切なことなんです!
高額とはいえ、ダイジェンさんの今までの口ぶりを考えれば、この競売で損をする額は提示してこないだろう。
焔華結晶の売値は、仕入れ値の二倍程度。つまり、四十万リィンということになる。
ダイジェンさんは、先ほどの三十万リィンでほとんど売値に近い金額を提示している以上、これより思い切った数字を出すことは難しいはずだ。
……それなら。
私はゆっくりと金額を入力する。
魔法のカードに表示された金額を数度確認して、ふぅ、と長く息を吐いた。
これで、終わり。
「決めました」
「ダイジェンさんもよろしいですか?」
「あぁ。ラスト勝負といこう」
「では、お二人とも金額のご提示をお願いいたします」
イーさんの合図を受けて、私とダイジェンさんはゆっくりとそれぞれの金額を開示する。
互いに見つめるのは、相手の手元。
私はダイジェンさんの小切手がゆっくりと裏返されるのを見届けて――
「私の勝ちです、ダイジェンさん」
私の小切手には、五十万の数字。対する彼の小切手に書かれた数字は、四十万だ。
私が胸をなでおろすと、ダイジェンさんはハクハクと口を動かした。
「売値の相場以上、だと……?」
驚きと悔しさを混ぜたような声を絞り出した彼は、くしゃくしゃと自らの頭をかく。
「これは……驚きましたな……。はは、お嬢さんは、肝が据わっておられる」
ダイジェンさんは「まいりました」と笑って、小切手を破る。
私も「ありがとうございました」と頭を下げて、そのままダイジェンさんに魔法のカードを手渡した。
「ここに、口座の番号を入力していただければ、即時入金いたします」
「それは助かります。すぐにでも次のドラゴンを探すことが出来ますからな。今回は、焔華結晶より大きな金額を手に入れることが出来ましたし、こちらも良い経験になりました」
強がりではなく、本心からダイジェンさんはそう思っているようだった。
先ほどまでの狡猾さはなくなり、すっかり優しい目をしている。
「それにしても、採算度外視とは。従者に、とおっしゃっていましたが、その従者は幸せ者ですな」
彼はチラと私の後ろ二人に目をやって、恭しく頭を下げた。
ダイジェンさんは口座を魔法のカードに入力すると、こちらに手渡す。
痛い出費だけど……迷いも後悔もない。清々しい気分だ。
私は即時入金ボタンをおす。
「いえ、採算ならとれていますよ。テオブロマでは、人より大切なものはないと言われてますから」
私が「それでは、またいつか」と手を差し出すと、ダイジェンさんは私の手を取った。
「まったく素晴らしい商人ですよ」
※少しだけ、お金の話が出てきたので補足しておきます。
「リィン」は紅楼のお金の単位ですが、日本円にその価値を換算すると1リィン約5円程度です。
焔華結晶の相場は20万リィンでしたので、日本円で100万円程度、ということになります。
ダイヤモンド1カラットと大体同じ相場です。




