138.温泉で不思議な出会い?
温泉は広く、多くの人で賑わっている。
木の樽や壺までが紅楼では浴槽になるようで、そのちょっと変わった光景に、私は目を見開いた。
木製の浴槽からは木々の深い香りが立ち込めているし、浴槽に黄色い果物や花が浮かんでいるお風呂もある。しゅわしゅわと泡が出ているお風呂はシュテープでも見たことがあるけど、いろんな種類があって、まるでテーマパークみたい。
「す、すごい……」
さすがに一人ではしゃぐわけにはいかない。
感嘆の声を出来るだけ抑えて、まずは洗い場へ向かう。
備え付けのシャンプーからは、シュテープでは珍しい花の匂いがして、私は改めて紅楼に来たんだと実感した。
「……ん、これ乙鉱石のボディソープだ」
以前、ベ・ゲタルで食べたオツカレー。元になった乙草を閉じ込めている鉱石の名がボトルに書かれていて目を見張る。
液体は、ネクターさんに見せてもらった鉱石と同じ紅色。
泡立てるとほんのりとあたたかく熱を帯びて、体を洗っている最中も冷えることがない。
「これは良いかも!」
シュテープはまだまだ寒い冬の時期。クレアさんとお母さま、メイド長に送ってあげよう。
シュテープと紅楼は国同士の距離が離れていることもあって珍しい物が多い。
紅楼にはドラゴンが住んでいる関係で、飛行機も飛ばないし。船便しかないせいか、交易も中々大変だと以前お母さまたちが話していた。
だからこそ、私を家族旅行で連れて行ってくれたりもしたのだろうけれど。
「まさか、ネクターさんと来ることになるなんて。しかも、ネクターさんの同僚まで……」
世界って広いのか狭いのかよくわかんないや。
私は体を洗い終え、ふぅ、と呟く。
まずは内湯から。
近くにあった一番広い浴槽に身を沈めて、これまでの旅を振り返る。
ベ・ゲタルから紅楼へは慌ただしく移動したせいで、余計にベ・ゲタルでのことがずいぶんと前のことのようだ。
思えば、ネクターさんって最初からネガティブだったな。
土下座までして旅に同行させてくれって……あの時頼みこまれてなかったら、私、今頃どうなってたんだろう。
変な人だけど、優しいし、すごく良い人で……。
何かを隠してる。それはずっと前から気づいていたけれど、まだ話してはくれないみたいだ。
もしかしたら、これからもずっと。
「エンさんは、それを無理やりにでもなんとかしようとしてるんだよね」
私には踏み出せなかった一歩。エンさんは、ネクターさんのライバル……いや、親友として、そこに踏み込んだ。
よほど相手を信頼していなければ……いや、嫌われてもいいと覚悟がなければ、出来ない行為だ。
私はそこから逃げてばかり。
「……お嬢さんヤ」
「ひぁぃっ⁉」
「ほっほ、驚かせたかネ。旅の人かナ」
「あ、えっと! そうです、シュテープから来ました」
突然話しかけられて、私は思わず隣のおばあさんを凝視する。
彼女はやわらかな笑みを浮かべた。
「ずいぶんと怖い顔をしテ、お風呂に浸かってるもんだかラ。老婆心でネ。年を取ると、余計なおせっかいを焼きたくなるのサ」
どうやら眉間にしわが寄っていたらしい。おばあさんにトントンと眉の間を軽くたたかれる。
「ごめんなさい、ちょっと考え事を」
「若いのに偉いネェ。ここの温泉は気持ちがいいけれど、あまり長く浸かっているとのぼせてしまうヨ。少し、外の風に当たったらどうダイ」
語尾に少しだけ訛りがある。紅楼の人らしい方言だ。
おばあさんはゆっくりとお湯から出ると、おいでおいで、と私を手招きした。
おばあさんの後をついていくと、これまた広い外湯に出る。
「気持ちいい……」
紅楼のカラリと乾いたあたたかな夜風が、ほてった体にはちょうど良かった。
広い外湯の一角に二人で体を沈める。
一人で浸かっていた時よりも、体の内側から温められているような気がする。
「一人で思いつめるのは良くないネ。誰にも言えないことは自然に聞くと良いヨ」
「自然に聞く?」
「紅楼では森羅万象の変化、その法則に基づいて、全ての出来事が見通せると言われておるネ」
「へぇ……なんだか魔法みたいです!」
「魔法……そうネ。今の子は、魔法使いと呼ぶのかナ。私たちは易師と呼んでいるネ」
「易師?」
「太陽と月、星を読み、五行を操り、森羅万象を解く者たちのことヨ」
「五行……」
「この世界を構成する火や水のことサ」
「それを操るって……本当に魔法使いじゃないですか! 紅楼には魔法使いが?」
「天亮山に住んでいるヨ。困ったことがあれば、そこに行って耳を傾けると良いネ。そうすれば、自然が教えてくれるサ。そうでなければ、易師が教えてくれるだろうネ」
おばあさんは優しく目を細めた。
まさか、魔法使いの話が聞けるとは思わなくて、私は逆にびっくりするばかりだけど。
魔法使いは珍しい。人生の中でも合えればラッキー。そんな神話的存在なのに。
「だから、一人で悩んではだめヨ。紅楼には昔から多くの神や仙人、精霊が住んでいるカラ。みんな、お嬢さんが知らないだけで耳を傾けてくれているノ。もちろん、私もネ」
おばあさんはちゃぷんとお湯をすくい上げて、雲に隠れた月へとかざす。
「紅楼では、月も手の中におさまるほど近いネ。人と人の心も、もっと近づけるヨ。紅楼の旅を楽しんでちょうだいネ」
おだやかな笑みがお湯の温度と混ざり合って、心の奥底からじんとあったかくなる。
なんだか少しだけ心が軽くなった気がする。
「はい! 私、たくさんこの国で楽しい思い出を作りますね!」
おばあさんに向かって力強くうなずけば、おばあさんは、ほっほと声を上げて笑い、
「祝君好運」
と私のおでこのあたりにそっと人差し指を押し当てた。
「ほえ?」
「あなたの幸運を祈っているワ」
瞬間――雲間から月が現れて、やわらかな月光が温泉に満ちる。
「うわぁ……」
綺麗、と空に視線が吸い込まれた数瞬後。
ふと隣を見れば、先ほどまでいたはずのおばあさんの姿はなくて、私は一人「ひょわっ⁉」と大きな声をあげてしまった。




