ep.7 祈る
夕方には、暗い空をぽっかりと丸い穴をあける満月が浮かんだ。丸くて大きな月が、女神像を照らし出した。
月の光が、金の光が女神像に注がれている。そして同じように、御信託が降りる瞬間にも少女を金の光で照らし出される。
この女神像が、輝いているのが美しく見えた。私にも、こんな光を受けるのかな。そう思うと、心が引き締まる。
女神像の前で、私は膝をついた。そして、ゆっくりと目を閉じる。ふわりと甘い花々のかおりが漂った。
私は、手を胸の前にして願う。
「女神の愛を……ネシア」
唇を動かして、女神に祈りを捧げる。形式的なものではあるが、祈りの最上級だ。
私の願いよ、どうか届いてください。女神の愛を私に。そして……私に御信託を授けてください。
奥歯をギリリッと強く噛み、息をのむ。
月にいちどの、女神と繋がれるとき。全身が心臓になったかのように、大きく音を鳴らしはじめる。呼吸は浅くて、息苦しくなってくる。それほどに緊張感が走るのだ。
この時間帯は、最高爵位を持つ女性だけが祈りを捧げられる。まわりにいるのは、よく見知った顔ぶれ。もちろん、少し離れた場所にエレーナの姿もある。
金の髪をもつ少女は、近くで祈ることができない。というのも、どの金の髪の少女が御信託を得たのかわからなくなるからだ。そのため、散りばめられるようになっていた。
エレーナは日中に『金の髪はふたりだけ』と言っていたが、離れているから気づけていないだけなのかもしれない。私が他を知らないように、エレーナも知らないだけということもあるかもしれないのだ。
そう思うと、はやく自分の光を身に振りかけて欲しい。知りもしない金の髪の少女に、あの座を取られてしまうのならば。いち早く私の元に……。
カーンッと乾いた音が響いた。鐘の音は、夜の祈りの終わりの合図。
全身から力が抜けていく。だれにもなかったという安堵感と、私に御信託がなかったという焦燥感。相反する感情が渦を巻く。
頭の中で鐘の音が鳴り響き、頭痛を覚える。決して耳元で聞こえたわけでは無いのに、頭上で鳴らされたような気分だ。
長い時間体重を支えた足は痺れ、ビリビリとしている。歩くたびに、電流が流れる。
胸に手を置いて呼吸を整えながら、なんということもないように振る舞って歩き出す。空高くにいた丸い月は、すこし傾きかけていた。夜は冷える。肌にまとわりついた冷たい空気をはらって、自室を目指す。
明日からは帰宅後のお母さまの小言も、お父さまからの圧力も感じなくて済む。そう思うと、今日さえ乗り切れれば……と気持ちが軽くなる。
ただ、唯一の心を見せることの出来るお兄さまと離れるのは寂しい。
「女神さまは、いつになったら微笑んでくれるのかしら?」
不意に足を止め、空を見上げた。キラキラと細かい星が輝き、空に銀の粉を散らしている。私も輝きを自分のものにできる日がくるはず。
そう自分に言い聞かせ、首を横に振って前を向く。自分の行く末は、女神さましか分からないのだ。
「リシェル、おかえり!」
「お兄さま! お祈りは終わりましたわ。御信託はまだ、だれのところにも来てませんの」
お兄さまは手を顎に当て、すこし悩むそぶりを見せた。少し考えを巡らせ、腕を組んだ。
「だれにも、なら大丈夫なんじゃないか? それに特別授業も控えてるし……」
そう言いかけて、私の肩に両手を置く。目がばっちりとあい、お兄さまの真剣な心が私に届いた。声のトーンも落ち、真剣さが増す。
「焦る必要はない。そのときまで、諦めずにと努力をすることが大事なんだ」
「ええ。そうですわね……私、頑張りますわ!」
真剣な表情が和らぎ、お兄さまはいつものように微笑んだ。そして私の頭を撫でて、持ってきていたブランケットを私の肩にかけた。無言のまま、私を屋敷の中へとエスコートをする。もちろん自分の屋敷なので、なにもなくとも部屋を間違えたりはしない。
このエスコートは、お兄さまの優しさだ。
この優しさに甘えていてはいけない。だから私も努力を惜しまず、前を見ることにした。
大きく息を吸って、お兄さまの優しいエスコートを受け入れた。私の部屋につき、イレナとバトンタッチをした。サッと身を翻して、お兄さまはこちらに振り返ることなく自分の部屋へ吸い込まれてしまった。それに寂しくも思うが、お兄さまの手の温度は確実に私を思ってくれていた。
今日も御信託はなかったけど、まだこれから! そう気持ちを切り替えるしかなかった。




