リヨンでの朝
『勇者様のお師匠様』四巻、おかげさまで無事発売されました。一巻が去年の5月末に発売ですから、もう一年以上経つんですね。早いものです。その記念といたしまして、外伝を書いてみました。レティシアが勇者時代の話です。こちらもぼちぼちといった更新になろうとは思いますが、興味がありましたら読んでみてください。
どうぞよろしくお願いします。
日も変わろうかという深夜まで続いた歓迎の宴からようやく開放されると、ウィンたちは王宮の中にある客室へと案内された。
レティシアとコーネリアの二人は貴賓室に、ウィンたち従士隊の面々も貴賓室の近くに個室が用意されていた。
普通、お付きの従者には、王都リヨン内に建てられた帝国公館に部屋が用意されるのだが、王宮内の、しかも貴賓室近くに部屋が用意されていたのは、ウィンの複雑な立場が影響したのだろう。
リヨン王国から見たウィンの立場は、レティシアに強い影響を及ぼす重要人物である。しかし、コーネリア皇女に仕える従士隊から見れば、立場は対等となる。その辺を考慮した結果、ロックとウェッジ、リーノの部屋も用意されたのだろう。
これには以前から王宮が催す宴に興味を示していたリーノが大喜びだった。
リーノの生家であるハーレン家は、士爵位を賜る下級貴族。
王宮での催し事はもちろん、華やかな社交界とは縁がない。
また、祖父が軍功を挙げて叙爵された歴史浅い家ゆえに、貴族とはいっても庶民と変わらない生活を送っているのである。
「うわあ……あたし、隊長の部下になれて良かったよ~」
主賓では無いため、レティシアやコーネリアのようなドレスは着られないが、リーノは嬉しそうにこの場にいないロイズへ感謝の言葉を口にした。長旅の疲れも見せず、コーネリアの護衛の傍らで、周囲に集まるリヨン王国の貴公子たちを楽しそうに眺めている。
ウェッジも時折テーブルの上に山と盛られたリヨン王国風の料理に手を伸ばしつつ、リーノに付き合っていた。その顔には普段見せない笑みが浮かんでいる事から、彼もまたこの席を楽しめているようだ。
ウィンは同じ平民の身分だというのに、上級貴族集まるこの場で、まったく物怖じした様子を見せていないウェッジの度胸をたいしたものだと思った。
リーノとウェッジの二人が気楽に宴を楽しむ事ができたのは、残る二人以外の人間がその分次々と訪れる人々をさばき続けることになったからだ。
レムルシル帝国使節の代表を務めるコーネリアと、レティシアの元には途切れること無く人々が挨拶に訪れた。宴が始まると同時に、多くの人々が集まってきたため、リヨン王国側の人間が、慌てて列の整理を始めたくらいだ。
ウィンもリーノたちと同様レティシアとコーネリアの傍に控えていたのだが、大きな混乱もなく順番を守って挨拶が行われるのを見て、邪魔にならない場所に移動しようと思ったのだが――。
「お兄ちゃん、ちょっとこっちに来て」
「ウィン従士、次はこちらへ来てもらえますか?」
レティシアとコーネリア、二人に交互に呼んではそれぞれウィンを紹介したため、ウィンも休む間もなく大勢の人と挨拶を交わすことになった。
「閣下、紹介致しますわ。こちらが私を教え導いてくださいました、師のウィン・バードです。どうぞ閣下もお見知りおきを」
「こちらが私の最も信頼を寄せる騎士、ウィン従士です。彼は勇者メイヴィス様の師であり、私の学友でもある人物ですわ。ぜひ閣下にもお見知り置いて貰いたいと思いまして、紹介させていただきました」
王家が主催する宴である。
この場に招待された者たちは、国政に携わる大臣や官僚、軍からは将軍級の上級武官、貴族たちも公候伯といった爵位を戴く上級貴族ばかり。だが、彼らはウィンがレティシアとコーネリアによって紹介されると、誰もが驚きの表情は見せるものの、すぐに満面の笑みと丁寧に己の名前を名乗ってから握手のために手を差し出してきた。
平民出身の若者であるウィンに対し、まるで高位の人物に接するように遇してくる。
「余にも紹介して頂けるかな、メイヴィス殿。コーネリア姫」
「喜んで、陛下」
「どうぞこちらへ」
遅れて会場に姿を現したリヨン国王ダリスとも挨拶を交わす事になった。
「お会いできて光栄だ。ウィン・バード殿」
「お目に掛かれて光栄にございます、陛下」
ウィンは跪いて頭を垂れた。その傍らにレティシアが微笑みを浮かべて控え、コーネリアがダリス王に対して軽く頭を下げた。
「どうぞ頭を上げられよ、勇者殿の師よ。今宵の宴はそなたらを歓迎するために開いたものだ。そう畏まる必要はない」
「いえ、畏れながら陛下。そういうわけにも参りません」
「いや、良いのだ。それに勇者殿を前にして、その師であるそなたにいつまでも頭を下げ続けさせては、余も困るのでな。さあ、立ってくだされ」
ダリス王その人にそう言われてしまうと、いつまでも跪いているわけにはいかない。
ウィンが立ち上がると、ダリス王は大きく頷いて見せた。
「それでは勇者殿、コーネリア姫。いつまでも余がお二人を独占していると、家臣の目が痛いのでな。余は席を外すが、どうぞゆるりと宴を楽しんでくだされ」
そう言うとダリス王は、三人から離れていく。その後を、次に王へ挨拶をしようとする人々が追いかけて行った。
その様子をウィンは見つめながら、大きく安堵の息を吐いた。
ダリス王との会話で極度に緊張したのである。
それにしても、帝国とのあまりにも違う王国貴族たちのウィンへの接し方に、ウィンは何とも不思議な感じを受けていた。
「もっと堂々としていればいいよ」
「あちらの方々にもご挨拶に参りましょう。ウィン君、エスコートをしてくださいます?」
そんなウィンを、二人の姫君は明らかに面白がっている様子だった。
悪戯っぽい笑みを浮かべたレティシアとコーネリアがそう言って、ウィンを伴って会場内を歩く。
慣れない待遇にすっかり緊張してしまったウィンは気づいていなかったが、実は先程から三人には、国賓であることとは別の意味で視線が集まっていた。
視線の主はリヨンの若い貴族たち。
男性はレティシアとコーネリアに、そして女性はウィンに注目していたのである。
大国レムルシル帝国のうら若き未婚の皇女と、同じくレムルシル帝国の公爵家という大貴族の令嬢にして勇者の姫。そしてその勇者の師という肩書きを持つ三人だ。
リヨンの貴族たちにしてみれば、縁を作るには願ってもない好機。
そう思って、それぞれが息子や娘を伴ってこの会場へと乗り込んで来ていたのだが、常に三人で行動しているため、挨拶以上の言葉を掛ける隙がない。それどころか、周囲に親密さを見せつけるようにレティシアは、ウィンの左腕に軽く手を添えている。
また、異性との接触を禁じられていることを知られる帝国の皇女コーネリアは、ウィンと直接触れ合ってはいなかったが、それでもふとしたことで触れ合えてしまう距離を保っていた。
明らかにこの麗しき二人の姫君は、寄り添っている若者に好意を寄せているのが理解できる光景だった。
この状況では、レティシアとコーネリアに己を売り込みたい青年貴族たちも、何も行動に移すことが出来ない。
ウィンに対しても、幾人か自分の娘を伴って声を掛けてきた貴族もいたのだが――。
(へえ……美人だな)
目立つ三人の後ろに控えていたロックもそう思えるほど、美しい姫君たちだったが、美貌でも、醸しだす気品でも、レティシアとコーネリアに圧倒されてしまい、結局逃げ出すようにして離れていってしまう。
レティシアの輝くような黄金の髪、エメラルドの宝玉を思わせる瞳。恐ろしいほどに整った顔立ちは、どんなに美貌に自信を持つ姫君であっても、比べられたいと思えないだろう。
その上、今日集まった貴族たちは、以前レティシアがこの国に訪れた際にも、彼女を目にしている。武官に至っては、戦場で彼女と一緒に戦った者もいた。
リヨン王国を初めて訪れた時のレティシアは、まだ十歳。しかし、幼いながらも抜群に優れた容姿は、将来どれほどの美人になるのかと思わされた。ただ、当時のレティシアは、ほとんど表情を浮かべる事も無かったため、その美貌もあって精巧に作られた人形のようだと囀る者たちもいた。
その、確かに美しいけれども人形のような少女という印象を持っていたリヨン王国の人々は、成長して女性らしさを増したレティシアを見て驚くことになった。更に、彼女はかつての人形のような無表情で人を寄せ付けない凛とした空気を纏っておらず、蕩けるような微笑みを寄り添うウィンに向けている。その表情がまた魅力的で、周囲から感嘆のため息が聞こえてきた。
そして淑やかな微笑を浮かべて歩くコーネリア。その一挙手一投足は完璧なまでの優雅さで、見ている者に自然と敬服を覚えさせる。皇族として公務が許される十八を前にして、彼女は皇族らしく侵しがたい雰囲気を身に付けつつあるようだ。
レムルシル帝国の皇室の歴史はおよそ三百年。大陸に現存する数多の王室で、帝国の皇室を上回る歴史を持つ国はカシナート王室だけだ。
長い歴史で培ったその格式は、新興国の貴族が及ぶべくもない。
(宴の前に言っておいた忠告、あの二人のおかげでまるで意味がなかったな)
開宴前、ロックはウィンに、娘を使って誘惑し、ウィンに取り入ろうとする輩がいるかもしれないと、忠告していた。
「はは、俺に取り入ろうとしてどうするんだ?」
「わかってないなぁ。お前に取り入っておけば、レティシア様ともコネができるだろう?」
「例えば、そこらの見栄えの良い娘を養女に迎えて、お前に愛人として押し付けようとする奴もいるかもしれない。気をつけておけよ?」
有力な者に縁を結ぼうとするのは、貴族や富豪であれば当然で、ロックの生家マリーン商会だって、使ったことがある常套手段だ。
ロックの目から見ればレティシアとコーネリア、権力志向な人物からすれば、これ以上ない者たちとコネを持った人物。それがウィンなのだ。
そのくせ、ウィンはそういった権謀術策には無防備なので、友人として彼が言い包められて良いように利用されないか心配だった。
「まさか。でもまあ、気をつけるっていっても具体的にどうすればいいんだよ」
「そうだなぁ……とにかく言質を取られないようにすることだな。例えば、『我が家にちょうどウィン殿と歳の近い娘がおりまして、これが親の私の目から見ても、なかなかの器量良しでしてな。高名なウィン殿が出席なされると聞いて、ぜひお会いしてご挨拶したいともうしておりましたよ』と言ってきたとする。お前ならどう答える?」
声音まで作って、偉そうな貴族の物真似をするロックにウィンは苦笑すると答えた。
「そうだな。『私もお会いできなくて残念です。次の機会がございましたら、ぜひご挨拶に伺いたいと、お嬢様にお伝え下さい』かな」
「はい、アウト!」
「ええ!?」
「今日、来ていないとは言っていないんだ。即座に、『では娘を呼んでまいりいますので、しばしお待ちを! 何なら個室を用意させましょうか? ささ、二人きりでゆっくりと話しでも』と話が進む」
「ちょっと待って! それは色々と話が飛躍しすぎてやしないか?」
「馬鹿野郎! 奴らにとってそんなの関係無いんだよ。お前の口から出た『お会いしたい』『次の機会』『挨拶したい』の三つの単語があれば、それを拡大解釈して、お前が娘に会ってくれる事を了承したことになるんだ。後は社交界で噂を流し、あれよあれよという間に既成事実化するだけだ」
だが、いざ開宴してみれば――。
レティシアとコーネリアが、ウィンの傍から片時も離れようとしない。
美しさではレティシアに、洗練された動作と格式を感じさせる気品ではコーネリアに。
少しでも己に自信を持つ女性ならば、決して近寄りたくない空間がそこにできていた。レティシアとコーネリアの二人と並び立つようなことがあれば、自信となっていた色々なものが粉々に砕け散りそうだ。
会場内で出会った、マリーン家と取引を持つ貴族たちと挨拶を交わしながら、ロックは横目でウィンたちを遠巻きにして見つめている姫君たちに、可愛そうにと同情の念を送るのだった。
結局、宴に参列したリヨン王国の貴族と重鎮たちは、ウィンとレティシアという師弟の間に入り込むことは難しいことを認識させられる事になった。
また、帝国皇室との縁談を画策していた者も、うら若き皇女の伴侶の立場を得ることが難しいと知った。もしかすると、その立ち位置に一番近いのが、勇者の師である青年なのかもしれないとも――。
かくして、リヨン王国の政務に携わる者、特に外交に関わる者たちは、ウィンをより重要な賓客として遇するよう指示をするのだった。
◆◇◆◇◆
柔らかく身体を包み込むベッド。
町の宿で使われる薄っぺらい毛布などではなく、水鳥の羽をたっぷりと詰め込んだ、軽くて極上の暖かさを持つ寝具は快適な眠りをもたらす。
険しいマジルの廃坑道を抜け、レムルシル帝国とリヨン王国の国境沿いを流れるマレー川を船で下り、ようやく辿り着いた王都リヨン。
しかしそこで一息入れる暇もなく、王国の重鎮たちを招いた国王主催の歓迎の宴が催されれば、いかに鍛えられたウィンたちでも疲労がピークにもなろうというものだ。
服を脱ぐのも億劫な気分だったが、どうにか椅子に礼服を掛けて身体を柔らかいベッドに投げ出すと、ウィンはあっという間に眠り込んでしまい、目を覚ましてみれば、もう日が高く昇ってしまっていた。
「おはよう、お兄ちゃん」
目を覚ますといつの間に部屋へと入って来たのか、レティシアがベッドの横に腰掛けて、横になっているウィンを見下ろしていた。
「ああ、おはようレティ。いま、何時くらい?」
「ええっと……ちょうど朝の市が店仕舞いするくらいかな」
「そっか」
ベッドから身体を起こし、一つ大きく伸びをする。
「随分とぐっすり眠ってたね」
「ああ、鍛錬できなかったな。ごめん、レティ」
「ふふ……実は私もさっき起きたところだよ」
ぺろっと小さく舌を出すと、レティシアは立ち上がって窓を開けた。
「今日もいい天気だよ」
「だな」
窓から日が差し込んできて、眩しさに一瞬ウィンは目を細める。そして、
「うん?」
(何だか……変な匂いがする)
窓から吹き込んだ風に乗って、今までに嗅いだことのない独特の匂いが、ウィンの鼻をくすぐった。
「お兄ちゃん、こっち来て」
その様子を見て取ったのだろう。レティシアが窓のそばで手招きをするので、ウィンはベッドから立ち上がると彼女の傍へ歩み寄った。
「うわあ……」
思わず声を漏らした。
ウィンの前に、今までに見たこともない景色が広がっていた。
王宮の外壁越しに広がるリヨンの町並みのその向こう、その先には大海原が広がっていた。大きな船がいくつも見える。遠く離れた王宮からでも随分と大きく見えるあの船は、外洋船なのだろう。ウィンがこれまで見てきたどの船よりも大きい。
ウィンたちがリヨンへ訪れた時は、マジル山脈からレムルシル帝国とリヨン王国の国境を流れるマレー川を下ってきた。そのため、海は建物とリヨンの町を囲む幾つもの壁に阻まれて、見ることができなかったのだ。
「あれが、海か」
「うん。リヨンは海洋貿易で発展した町だから、港に行けば大きな船がたくさん見られるよ」
「じゃあ、この匂いは海の匂い?」
「そうだよ」
ウィンは胸いっぱいに空気を吸い込む。
「あれが海か。でっかいな」
しばらくウィンとレティシアは窓の傍で並んで佇んでいた。
海を見て、ようやくウィンは異国へとやってきたことを実感できた。
レムルシル帝国とリヨン王国の国境沿いでは、あまり風景に変化が見られず、いまいち外国に来ていることを実感できなかったのだ。
帝国も王国も麦を育て、羊や豚、牛といった家畜を飼う。
国境沿いに点在する村に住む人々にとって、所属する国は違えども、生活の糧は変わらないのだ。これがリヨン王国の更に西部、カシナート王国方面へ近づけば、もう少し何がシカの変化が見られたかもしれない。
「こんな状況だけど、もっと海を近くで見たいよ」
「うん」
ウィンが本音を漏らすと、レティシアは頷いた。
アルフレッド、ロイズ、ケルヴィンらと別れて以後、ウィンたちは人目を避けてマジル山脈の廃坑道を通ってリヨン王国に入国を果たした。
入国後も王都に到着するまで、密かに行動していたので、あれから帝国国内がどうなったか気になる所だった。
川下りの途中にある宿場町で、ウィンたちに同行していたオールトたちが、冒険者ギルドで噂話を集めてくれたのだが、その話を聞く限り、帝都シムルグはノイマン皇子が掌握しているらしい。
皇太子アルフレッドは、何者かの襲撃を受けて死んだ事にされており、エルステッド伯爵領で存命を告げたアルフレッドは偽者。その偽者を仕立てあげたエルステッド伯爵が、今回のリヨン王国親善訪問団襲撃事件に深く関わっており、ノイマン第二皇子が軍を興し、偽者のアルフレッドとエルステッド伯爵の誅伐に向かう事になるだろう。
オールトが冒険者ギルドで仕入れてきた情報からも、状況が緊迫化していることがわかる。
ちなみにオールトたちとはリヨンの王都に到着すると同時に別れることになった。
彼らにはコーネリアらが無事にリヨンへ到着した事を、封鎖されたエルツにいるアルフレッドたちに伝えてもらえるよう依頼したる。
エルツに家を構えている成功を収めた冒険者のオールトたちだ。
町までは疑われる事も無く近づけるだろうし、オールトとルイスの武術の腕前、宮廷魔導師たちに劣らないイリザの魔法の腕前があれば、封鎖された町の中に入ることもそう難しい事は無いだろう。
その後、彼らにはアルフレッドの下で働いて貰うつもりだ。
彼らが信用できる人物である事は、オールトに渡した密書に書き記してある。
今頃はこの空の下、レムルシル帝国とリヨン王国を結ぶ街道を歩いているのだろう。帰り道は正規の街道を通っているため、行きよりも遥かに短い時間でエルツにたどり着くはずだ。
オールトたちの旅の無事を思い、空を見上げて見れば、見たことの無い鳥がスーッとウィンの視界を横切って行った。
海辺に棲む鳥なのだろう。
「海を見るくらいの時間なら、きっとあるよ。それに港に行けば、遠い外国から運ばれてきた見たこと無い品々もあるし、食べ物も海のお魚を使ったものがいっぱいあって、どれもとっても美味しいの」
「へえ。海のものは乾物しか見たことないからな」
鮮魚といえば、帝都ではもっぱら川で捕れたものになる。
海産物となれば塩漬けや干物といった乾物しかない。しかも、どれも輸送に金が掛かってしまうため非常に高価で、とても庶民の口に入るような値段ではない。
ウィンも仕入れで朝市へ出向いた時に、店先に並べられた海産物の乾物を見たことがあるだけで、食べたことは無かった。
ウィンが育った『渡り鳥の宿木亭』は、そんな高級食材を扱うような宿屋ではない。
その時、ウィンのお腹がぐぅと小さく鳴った。
食べ物の話をしてしまい急に空腹を思い出したのだ。
昨夜は次々と訪れるリヨン王国貴族と挨拶を交わしていたせいで、リーノたちと違って、ウィンはろくに食事も取ることができなかったのだ。
「朝食は広間に用意して貰えるそうだから、一緒に食べよ? 多分、朝食が終わった頃に、ラウルから色々と聞かせて貰えると思う」
「ああ、そうだな」
頷くと、ウィンは一度レティシアに部屋へと戻ってもらい、急いで身支度を整えるのだった。




