地底にて蠢く
予定外に仕事が長引いて、もう一場面を挿入できず。
次回は何かが出てきます。
先頭にいたルイスとロックの背中までは遠くない。
地図を見た限り、広い空間となっているはずの場所の前で、二人は足を止めていた。
「この臭い……」
レティシアの顔が少し険しいものとなる。彼女にとっては嗅ぎ慣れた臭い――死臭だ。
振り向いたロックがよろよろとした足取りで、岩壁に手をついた。
コーネリアとリーノが道をわずかに戻って来ると、顔を真っ青にして口元を押さえてうずくまっている。
ウィンとレティシアは揃ってオールトたちの間から中を覗き込んだ。
「――――っ」
息を呑んだ。
広場は部屋と呼んでも良いくらいの十分に広い空間だった。
天井が道よりも高く削られていて、支保坑で厳重に補強されている。
この鉱山がまだ採掘されていた時は、鉱夫たちの休憩所にしていたのかもしれない。中では元々は卓と椅子だったと思われる物の残骸と、掘削するために使用する道具類が無造作に放置されていた。
もっとも、支保坑もそれら道具も腐食が激しいのは同様だったが。
天井の岩の隙間からにじみ出てきた地下水がポツンポツンと降っていて、雨後のように床を濡らしている。
そして――。
「……人間のものじゃないな、この血と骨は……」
顔をしかめて部屋の中に入って行ったオールトが、地面に転がっている骨を足で転がした。
散らばった骨とともに、赤黒い血のような液体が床一面に広がっていた。
天井から落ちてくる水滴のためか、乾くこと無く生臭い臭いを部屋中に充満させている。
風も吹かず淀んでしまった臭気のせいで涙すら滲んできたが、オールトたち三人は構わずに広場へと足を踏み入れた。
ウィンとレティシアもその後に続く。
レティシアが散らばる骨が比較的固まっている場所に近づくと、しゃがみ込んだ。ウィンからは表情が窺えなかったが、つぶさに骨の様子を観察している。
やがて後ろに立って様子を眺めていたウィンを仰ぎ見た。
「……この骨、ゴブリンのものじゃないかな?」
骨はかなり広範囲に散らばっていて、中には砕けてしまっている物もあったが、それらの骨の大きさから体格を想像すると人間の十歳程度の子どもくらいか。
矮躯な体格の特徴と、頭骨などからレティシアはそう推測した。
「レティ、わかるのか?」
「うん。何度も戦いがあった場所で野晒しになっているのを見たことがあったから」
ゴブリンの死体ならウィンもオールトたちも見たことがあったが、骨になった状態まではじっくりと観察したことが無い。
レティシアが常人では計り知れない濃密な時間を、戦場で過ごしていたことがわかる。
「でも、これおかしくないお兄ちゃん?」
広場の中に散らばっているのが、骨と血と思われる液体だけなのである。
この惨状からすれば、肉や臓腑が辺り一面に飛び散っていて不思議はない。そもそも、部屋の中に立ち込める死臭からして、こうなったのはごく最近と思われた。
「どうして骨だけなんだろう?」
骨は全て綺麗になめ尽くされたかのように、肉が綺麗に削げ落ちていた。
レティシアの疑問にはすぐに答えず、ウィンは広場全体を見回して見た。
広場の岩壁には来た道以外にも、幾つかの枝道がある。
とりあえず、ウィンたちの持つ《光源魔法》の明かりが照らす魔法の範囲内に、魔物といった怪しい影は見当たらない。
大型の魔獣にゴブリンなどの力の弱い妖魔が喰われることもあるが、それにしたって食い残しの肉片程度は残っていそうなものである。
「レティ、肉だけを溶かして食べるような魔物には心当たりある?」
「スライムのような不定形の魔物なら……でも、そういった魔物なら骨まで溶かし尽くすし」
レティシアがそう答えた時、
「……何にしろ、何かがあったってことだな。おい、ウィン。それとレティシア様。一度通路に戻ろう。何はともあれ一度休憩したいが、ここじゃ食事も出来やしない」
いつの間にかウィンとレティシアの会話が聞こえる位置にまで来ていたオールトが、二人を手招きした。
オールトの意見にウィンとレティシアも異存は無く、ウィンたちも戻ることにした。
来た道へと戻ってみるとコーネリアとリーノが、まだ青褪めた顔で座り込んでいた。
凄惨な死体がある現場は何度も見てきたが、覚悟を決めている時と不意打ちで遭遇するのでは衝撃が違う。
ロックも心理的な衝撃を受けていたが、女性二人より目にした光景から立ち直るのが早かったのか、平静を保っていたウェッジと一緒に道の前後に立って警戒していた。
ウィンが手に持った《光源魔法》の明かりを振ってみせると、ロックがホッとしたような表情を浮かべてやって来た。
「ウィン。どうだった? その……もしかして魔物がいて、誰か犠牲者が出ていたとか?」
「いや、レティの見立てでは、あの散らばっていた骨はゴブリンの物じゃないかって」
「ゴブリン? そうか……」
ロックはウィンの肩越しに広場の方へ目を向けた。彼も気がついているのだろう。あの骨が人の物では無いにしても、ゴブリンを蹂躙した何かがこの廃坑道に潜んでいることに。
ウィンたちは来た道を少しだけ引き返すと、地下水で出来るだけ濡れていない乾いた地面を見つけて、そこで休憩を取ることにした。
通ってきた道なので火を点けても危険はないだろうと、薪に火を点ける。
《光源魔法》とは違う熱を伴った明かりが、廃坑道内を照らし出す。
ウィンは腰に吊るした水筒から水を一口飲んだ。
ほうっと大きく息を吐く。
腰を下ろしてみてウィンも、自分で考えていた以上に疲れていた事に気づいた。
食事を作る際の匂いが漂い、魔物が寄って来る事を恐れて、お湯だけを沸かして木杯に注ぐ。
干し肉と木の実、そして硬くなったパンだけの食事である。
それでも焚き火で身体が暖まってきて、腹の中に食べ物を入れると、緊張していた心が解きほぐされてくるのがわかった。
炎の揺らぎと熱は、《光源魔法》の明かりと違って緊張した精神を落ち着けてくれる。
レティシアが降ろしていた荷物から、干し葡萄の詰まった袋を取り出して、ウィンの隣に腰掛けた。
「食べる? お兄ちゃん」
「ありがとう」
差し出してくれたレティシアにお礼を言って、数粒程口の中に放り込んだ。
甘い味が広がる。
味気ない食事だったので、甘い物がより一層美味しく感じられた。
レティシアの持つ袋から幾粒か干し葡萄を更に貰うと、コーネリアとリーノにも食べさせる。彼女たちもようやく人心地着いたようで、青褪めていた顔に血の気が戻ってきたようだった。
「さて、殿下もようやく落ち着かれたようで?」
「はい、大丈夫です」
声を掛けたオールトにコーネリアは微笑みを浮かべてみせた。
「さてと……ゴブリンやコボルトといった妖魔がいなくて幸運だと思っていたが、どうやらそうは問屋が卸さないらしい」
オールトは肩をすくめて、少しだけおどけた口調で言った。
多少弛緩したとはいえ、未だこの場に漂い続ける重い空気を変えようとしているのだろう。
「ただ、まあ、元々何らかの魔物か獣はいるかもしれないと予想していたわけだから、想定内の出来事だ」
「あの骨がゴブリンの物だとして、襲われたのはここ最近のことだと思うわ。それと、あのゴブリンたちが襲われてくれたおかげで、私たちは何かがこの廃坑道内に潜んでいることを知ることが出来た。これは大きな収穫よ」
「何も潜んでいないと思って油断している所を襲われずにすみますね」
イリザの言葉にウィンが頷く。
「そのゴブリンを襲った魔物って何かわかったの~?」
「肉だけが綺麗に欠片も残らずだからなあ……」
リーノの質問にオールトが腕組みをして考えこむ。
「俺にも心当たりが無いな。死体が似たような状態になる魔物といえば、スライム系の魔物なんだが……」
「スライム系の魔物ならレティが骨まで溶かしてしまうと」
ウィンが言うと、レティシアが頷いてみせた。
「魔物には様々な種類がいて、私も出会ったことがない魔物もいますから。とにかく警戒をしていくべきでしょう」
「魔物の正体はともかく、思っていた以上にこの廃坑道の傷み方が酷いっすね……。全力を出して戦うのは難しそうっす」
食事を取る間、地面に置いていた槍を手に取ったルイスが、天井に槍の穂先を向けて見せた。
「どうしてです?」
「支保坑――天井を支えている木材。大体これがある場所は落盤の危険がある所なんだけど、さっき広場の天井でも見てきたけどその腐食が凄いんだよ」
ウィンは、ルイスの槍の穂先を追うようにして天井を見上げたコーネリアの横顔へ向けた。
「危険、なのですか?」
「腐ってるからね。補強の意味を成していない。ちょっとした衝撃で崩れそうだった」
廃坑道の入り口で、イリザから坑道内では高威力の攻撃魔法、特に爆発を伴うような魔法の使用しないようにと注意されていたが、あの腐食が激しい支保坑の
状態を見ると、魔法だけでなく振り回した武器があたった衝撃だけでも崩れてきそうに見えた。
「それに関してなんだけど、お兄ちゃん。私にちょっと考えがあるの」
「考え?」
「うん。後で試してみるつもり。うまく行けばそれは気にしないでいいかも」
レティシアがそう言うのならそうなのだろう。
ウィンは頷いた。
「魔物の正体もわからないけど、とにかく今まで以上に気をつけるよ」
ウィンがコーネリアに向き直ってそう言うと、コーネリアだけでなく他の者たちも頷いたのだった。
◇◆◇◆◇
『我は命ずる理を為す力。在りし日の姿へ回りて戻せ』
廃坑道内にレティシアの呪文が反響する。
レティシアの身体から零れた黄金の輝きが、彼女の指先を伝って腐り果てた支保坑の木材へと伝わり――。
「うわあ……」
誰からとも無く感嘆の溜息が漏れた。
黄金の輝きが触れた支保坑の木材が、まるでたった今組み立てたばかりのように、新品同様になっている。
「あり得ない……何てことなの……信じられない」
イリザがわなわなと震えている。
「…………ん」
やがて小さく息を吐くと、レティシアは閉じていた目を開いた。
「これで、この坑道の支保坑は、採掘が行われていた時代と同程度の強度を取り戻せたはずです。ちょっとくらいの衝撃なら、落盤をすることはないと思いますよ」
「あ、ああ……」
オールトもルイスも目を見開いてレティシアを見ている。
「なるほど。大丈夫って言ってたのは、この魔法か。これ、以前にティアラ様がセリの住む小屋に使ってくれた魔法だよね」
「そうだよ、お兄ちゃん。あの時、ティアラが使ってるのを見てたからね」
「本当に新品同様ですね……」
コーネリアが支保坑の木材の表面を触って言う。
「廃坑道内の全部にこの魔法を掛けたのですか?」
鉱山全体の坑道の総延長がどのくらいあるのかはわからないが、その全体に行き渡らせる魔力。それだけではない、六十年前――いや、それは廃坑になった年月なので、その更に数十年から数百年単位の旧い木材もあっただろう。
その全てを新品になるまでの時間を巻き戻した。
(子どもの頃に、魔力を垂れ流すことで空を飛んでいたけれど……)
畏怖の目でイリザはレティシアを見る。
(魔力の制御を覚えた彼女は、本当に限界なんてものがないのかもしれない)
「ねえ、その魔法を使えば若返ることも出来るんじゃないの~?」
「それは無理かなぁ。この魔法は生物には作用しないみたい」
リーノの質問にはそう答えておく。
最も試したことがないだけで、出来るかもしれない。
(それよりも……)
レティシアは自分の手のひらを見つめた。
(何だろう? さっきの魔法を使った時、何か妙な感じだった……)
水面に水滴を落とした時に生まれた波紋のように広がっていく魔力が、途中でうまく伝わらなかったような気がした。
廃坑道奥深くで、ポッカリと何か障害にぶつかったように――。
「どうかしたの、レティ?」
広場の先にあった枝道を少し先に行った所で、ウィンが振り返ってレティシアの方を見ていた。
すでにウィンとレティシアを除いた面々は進み始めていたようだ。
「ごめん。何でもないよ」
そう言ってレティシアはウィンに駆け寄る。
(気のせい? ううん、後でもう一度調べてみて、それから皆に話したほうが良さそうね)
そんな考えを顔には出さず、レティシアはウィンと並んで先を行く仲間たちの後を追いかけたのだった。




