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レインメイカー  作者: J.Doe
スプリンクル・マンデー
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役者不足のアンブレラ 6

「お、おおお、おはよう、ご、ござい、ます」


 予想以上にどもり、予想以上に裏返ってしまった挨拶に頬を更に赤くしながら、詩織はゆっくりと部屋の扉を開ける。

 相変わらず返事はなく、真っ暗な部屋の中でシーツは人間1人分の膨らみを作っていた。


「起きてますか?」

「……起きて、ます」


 シーツは頭まで被る派。無意味な情報を海馬に刻みながら、詩織はゆっくりとベッドの脇にしゃがみこむ。流石に人の気配が気になるのか、シーツの向こうからくぐもった声が聞こえたが、詩織は思わず首を傾げてしまった。

 ユウリが敬語を使う時は教師など形式上立場が上の人間と話す時か、レインメイカーのマネージャーとして発言をする時のみ。間違っても年下の詩織に使った事はない。


 まだ寝ぼけているのだろうか、と詩織は再び声を掛ける。


「じゃあ、お名前は?」

「サー、シャ」

「……やっぱり、起きてないじゃないですか」


 誰なんだその女は。口を突きそうになる言葉を飲み下して詩織はシーツに手を掛ける。

 シーツを引きはがして、体を何度も大きく揺さぶって、無理矢理クローゼットの前まで連れて行く。綾香のようにそこまでの事は出来ないが、詩織にとって成功例はなるべく踏襲するものだ。少なくとも、このままでは寝顔を見る事は出来ない。

 そして詩織はゆっくりとシーツを引きはがすも、途中でその手を止めてしまった。


「失礼、します」


 嫌な予感に駆られながらも、詩織は張り付いた前髪を避けてユウリの額に手を添える。

 やや浅黒い肌の顔はどこか赤く、口から洩れる吐息は熱く荒い。体温計を使っていないため正確には分からないが、体温が高めの詩織と比べても、ユウリの熱はとてもく高く感じられた。


 どうすればいい。


 焦りつつある心を落ち着けるように、詩織は熱を測っていた手でユウリの手を握る。

 彩雅にこの事を話してしまえば、無理を押して帰宅させてしまうかもしれない。ユウリの病状はマシになるかもしれないが、ボディガードとしての立場が危ない。そんな事を言っている場合ではないのかもしれないが、この天気では誰かに助けに来てもらう事も難しい。


「えっと、確か……」


 苦しそうなユウリの寝顔を横目に見ながら、詩織は数年前に寝込んでしまった時の事を思い出す。

 幼い頃は氏家の屋敷で働いていた侍女達に面倒を見てもらい、綾香と出会ってからは明神が優秀な女医を寄越してくれた。

 見た目は日本人なのに名前は外国人みたい。そんなユウリとは反対ので、ユウリと同じように優しかった女医は何をしてくれだろうか。


「水と消化しやすい食べ物。熱は上がりきってそうだから、解熱剤も」


 口に出しながら確認をして、ベッドの詩織はゆっくり立ち上がろうとする

 熱が出れば汗をかき、汗をかけば水分が必要になる。結果的に代謝を促進させるためにも、水分補給は間違いなく急務。食事は落ち着いてからでないと無理だろうが、落ち着かせるためにも解熱剤を飲ませなければいけない。


 だというのに、詩織は立ち上がれずにいる。


 離してくれないのだ。

 こんな時にも黒革の手袋をはめた、ユウリの左手が。


「行か、ないで」


 さっきとは違うどこか幼い言葉で、いつもとは違う縋り付くような態度。うっすらと覗く琥珀色の瞳は潤み、焦点が合わないまま詩織を見つめている。

 誰かと勘違いされているのかもしれない。それこそ、その誰かは"サーシャ"かもしれない。

 それでも、詩織はユウリの手を両手で包み込んだ。


「どこにも、行きませんよ」


 自然と口を突いた言葉に、詩織は不思議と気持ちが落ち着いていくの感じる。

 彩雅はユウリの事をほとんど知らないと言っていた。だから綾香はユウリを監視すると言い、我慢できずにその生活態度を構成させようとしていた。

 だが、そこに理解はあったのだろうか。分析し合う事で生まれた相互理解に、共感を出来るのだろうか。


 逃げていただけの自分は、ユウリの事を理解しようとしていたのだろうか。


「お加減が良くなるまで、また一緒にチョコサンデーを食べられるようになるまで」


 不思議とどもらず喋れた口に驚きもせず、詩織はユウリに微笑みかける。

 劣等感から綾香と彩雅を昔のように姉のように慕う事は出来なくなってしまった。

 それでも、詩織は2人の背中から目を逸らしたことはない。

 氏家詩織という女は幼馴染に迷惑ばかりかけて、怖い物ばかりで、1人では何も出来ない女。


 そして、あきらめと往生際の悪い女だった。


 少なくとも、詩織は理解をあきらめた事は2度もないのだから。


「ずっと、あなたのそばに居ますから」


 ゆっくりと力が抜けていく左手に、ゆっくりと閉じられていくまぶた。

 少しだけ穏やかになった寝息を聞きながら、詩織は意識するよりも速く枕元に置かれていたユウリの携帯電話を手に取る。

 ディスプレイに表示されていたのは、何度かレインメイカーで世話になった編集部の名前とメールアドレス。


 瞬間、詩織は背筋に氷柱を突き立てられような錯覚に陥る。


 ユウリの任務はあくまでマネージャーに成りすまし、ボディガードとして近くに居る事。マネージャーとして気に掛けてくれたことはうれしいが、打ち合わせを含む本格的な仕事はユウリの仕事ではなかったはず。


 つまり、ユウリにそれをさせた人間が居る。


 ユウリの為にも、早く水を取りに行かなければならない。分かっているのに、詩織は力が入り過ぎて震えた手でユウリの携帯電話を握っていた。

 熱を出したから弱っているのではなく、弱っていたから熱を出してしまった。

 手段を選ばずに、ユウリを追い詰めた存在のせいで。自分を含めた真実を知らなかった者達のせいで。


 スカートのポケットから自分の携帯電話を取り出しながら、詩織は静かにユウリの部屋から出る。

 1人、あるいは2人。ごく少数の問題者を省いて、トライトーンに揃っているのは優秀な人材ばかり。

 対人恐怖症気味の詩織でも、秘密裏に助けを求める事が出来るくらいには。

 ずっと前に教えられてはいたが、初めて掛ける電話番号。そんな緊張感から、詩織は僅かに掠めていた疑問を忘れて電話をかけ始めた。


 どうして、使い道を決めていなかった部屋にこんなセキュリティが施されたのだろうか。

 このシェアハウスが出来たのは、ユウリが来日する前なのに。そんな疑問を忘れて。

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