見境なしのイングレーション 5
「お恥ずかしい話ですが、その、衣装のサイズが……」
「聞きづらい事を聞くけど、衣装がきつかくなったって事?」
「えっと、その、はい」
「あれだけ動いて、食事も皆と一緒なのに?」
「は、はい」
「艸楽はなんて言ってた?」
「彩雅さんは、何も気にしなくていい、と」
もしかして。
リンゴのように頬を紅潮させて俯く詩織。いつものように前髪で表情を隠そうとする護衛対象に、ユウリは1つの確信を抱く。
「それって単純に成長してるだけなんじゃないの。体を動かせば筋肉もつくし、背が伸びれば骨だって増えるんだから」
「でも、綾香さんは――」
「だから、誰と比べてるんだよ」
「だ、だって、新しい衣装がきつくて、綾香さんもあきれたような事しか言ってくれなくて……」
たわわ。肉感的。ボイン。
誤解を恐れずに、それでいて言葉を選ばなければ、誰もが詩織の体系をそう表現するだろう。いうなれば、綾香はスレンダーで詩織はトランジスタグラマーなのだ。
絞っている分だけ綾香が細く見え、恵まれた女性的魅力を詩織がふくよかだと勝手に誤解しただけ。
かといって、詩織が太っている訳ではない。むしろ真っ白な手足は簡単に手折れそうなほどに細く、カーディガンに隠されたラインは男の目を惹くほどだろう。
モデルらしく比較的身長が高く、起伏に富みながらもすらりとした彩雅がそばに居れば不安にも想うかもしれないが、それぞれの差が分かる程度に管理されているのなら問題が起きるはずもない。
それを口にするのも、考えるのも馬鹿馬鹿しくなったユウリは、ヘタを取ったチェリーをスプーンですくって詩織へと突き出した。
「あ、あの――」
「言ってなかった俺が悪いんだけどさ、チェリーって苦手なんだよね」
俗に言う、あーんに詩織は茫然としてしまう。
ユウリに意趣返しのつもりはないが、まるでいつかのような状況に詩織は頬を更に紅潮させ、脳裏に当時の食卓の光景をよぎらせる。意味深に微笑んでいた彩雅。顔をこわばらせたユウリ。その隣でなぜか箸を置いていた綾香。無論、ユウリの腿が肉を失いかける危機に瀕していた事など、詩織には知る由もない。
だがそれでも、詩織はユウリの不器用な優しさを知っている。
だから詩織は、小さな口でチェリーをついばんだ。
「で?」
「美味しい、です」
そりゃそうだろう、と肩を竦めるユウリをよそに、詩織は口に広がる酸味と甘みに思わず緩んだ頬に手を当てる。
所詮は素人が選んだ食材。所詮は素人が作った代物。意志とは関係なく、幼い頃から食べて来た1流店の味にかなう訳もない。
それでも、嬉しいと思えたのは初めてかもしれない。
「話は変わるけど、明日のスケジュールの確認させてもらうね」
「はい。明日の予定は写真の確認、でしたよね?」
そう言って、ポケットから携帯電話を取り出すユウリに詩織は首を傾げる。
歌詞カードの校正や、インストア用のフライヤー等の確認は3人が揃っていた時に済ませており、残っていたのは背景に合成を加える手はずになっていた写真だけだったはず。
詩織の認識は正しく、ユウリはスプーンを口に運びながら頷いた。
「何も私的な用事がなければ学校から直帰して、パソコンでチェックって感じになるんだけど、やり方って分かる?」
「分かりますが、今までこういう確認ってありませんでしたよね?」
「……それは、なんていうか悪かったよ。新しいマネージャーのおかげでいろいろ楽になりそうだからさ、アンタのプライベートタイムが尊重できるようになるかなってんだよ。なんか文句でもあんの?」
「い、いえ!」
真面目にマネージャーの仕事に取り組む事が気恥ずかしいのか、それともその事を誰かに知られた事が気恥ずかしいのか。一気に捲し立てて来るユウリに、詩織は慌てて両手を振って否定する。
サンデーを食べながら、威嚇するように切れ長の目で睨みつけて来る頬を赤くした美少年と、必死に弁解しようとどもり続ける美少女。その様は、まるで構いすぎて飼い犬を怒らせてしまった主人のよう。
しかし怒った美人に迫力がある事は身近に居る美人のおかげで理解している詩織には、そんな傍から見た光景など想像もつかなかった。
「あ、あの、ですね!」
「あの、何さ」
「一緒に仕事できるのが、嬉しくて」
「……あっそ」
どうにも対処に困る詩織の態度に、理解をあきらめたユウリは背もたれに体を預けて天井を仰ぐ。
大人達の力を借りているとはいえ、露出を控えた状態でCDを売って見せた手腕も。星霜学園でそれぞれが学年主席で居られる頭脳も。美貌と才能と環境に恵まれながらも、一切驕りを見せないその精神の強さも。
そんなレインメイカーの何もかもが、ユウリにはどうにも理解できないのだ。
音楽だけをやりたいのなら、限られた時間をつまらない家事に取られるのはもったいなさすぎる。
いずれ人の上に立つ3人の人格形成をしたいのなら、見せかけだけの一般人の視点だけを見せるのはかえって視野を狭めかねない。
本当に身の安全を守りたいなら、国籍すら疑わしいボディガードなど受け入れる必要などない。
そんなユウリの戸惑いを知ってか知らずか、詩織は途端に浮かばせていた笑みを消して俯いてしまう。
「それで、なんですが、あの――」
「そういやさ、歌詞って氏家が書いてんだよね?」
背もたれに投げ出していた体を起こして、ユウリは詩織の言葉を遮る。
レインメイカーの立場。自分の来日。伊勢裕也の就職。その全てに誰かの思惑が働いているのは間違いない。
それを理解している上で謝罪させてしまえば、詩織は今以上に委縮してしまうだろう。現に、詩織は分かりやすくどもり出しているのだから。
確かにユウリはレインメイカーの活動を良しとはしていないが、3人の活動を邪魔したい訳ではない。
やめざるを得ない状況を作れば、明神敬一郎に近づくのは難しくなってしまう。3人に我慢を強いれないから、歳が近く、誰にでもなれるユウリが選ばれたのだから。
つまり、3人がレインメイカーをやめるのであれば、自主的に選んでもらわなければ困るのだ。
「は、はい」
「何かきっかけでもあったの?」
「む、昔から、文章は読むのも書くのも好きで。それで、皆で彩雅さんの曲に歌詞をつけてみたら、私のを採用していただけて」
「ああいうのって素人が簡単に書けるもんなの?」
「どう、でしょう。私は、勉強しましたし、その、リテイクもよくあるので」
「リテイクって、書き直しって事?」
絶え間なく続くユウリの問いかけに、ようやくどもりが減ってきた詩織はうなずく。
「なんといいますか、私には、誰かに伝えたいメッセージとかもなかったので」
「ふうん、そうなんだ」
いわゆる作詞のイメージとは違うが、書いている人間を考えれば、とユウリは納得する。
人見知りを通り越した対人恐怖症のくせに、人の顔色ばかりうかがってばかり。優しさの裏返しかもしれないが、言いたい事も言えない面倒な女。
そんなユウリが抱くイメージを察しているのか、詩織は自嘲するような笑みを浮かべた。
「お恥ずかしい、話ですが」
人が怖いんです、と付け足して詩織は続ける。
「昔は綾香さんと彩雅さんが構ってくれるだけで嬉しくて。でもお2人にご迷惑をお掛けするのが情けなくて、ひどく惨めで。この先どうすればいいかも分からないのに、とにかく皆と同じ場所に居たくないって、早く大人になって1人になりたいって思ってました」
「……なら、どうしてこんな事を続けるのさ?」
曖昧に笑う詩織に、ユウリはつい問いかけてしまう。
詩織の対人恐怖症が最近発症したものでない事も、レインメイカーという立場が良くも悪くも人を集めてしまう事も紛れもない真実だ。現に週刊誌はレインメイカーだけでなく、詩織という個人を攻撃し始めている。
だというのに、詩織はレインメイカーをやめたいとも言うどころか、目前に迫ったインストアイベントすら嫌がる様子も見せない。
インストアイベントに訪れるのはファンだけはない。それどころか、ファンがて訪れるかすら分からないというのにも関わらず。
「最初は、お2人のそばに居たかっただけ、なんだと思います。あの頃は本当に何も考えてなくて、大好きなお姉ちゃん達と一緒に居たいって、置いて行かれるのが怖くて――ですが、最近は違うんです」
「違うって?」
「レッスンも辛い事ばかりですし、嫌がらせもいっぱいされました。レインメイカーがビジネスの側面を持っている以上、レインメイカーで居続けるには頑張り続けなければなりません」
それでも、と詩織はユウリをまっすぐ見つめる。青みがかった黒の瞳には恐れはなく、前髪越しの視線は琥珀に注がれていた。
「歌う事が好きなんだって、自分の言葉が伝わって欲しいって。たとえ歌いづらい音になったとしても、この言葉を歌いたいって。そんな風に思えるようになれたんです」
そう言って微笑んだ詩織がまぶしくて、素直な視線に何かを刺激されて、ユウリはただ視線を逸らす事しか出来なかった。




