不完全な不自由
土手に座り込み、沈む夕日と川のせせらぎを見つめながら。
一日の終わりに、二人は他愛もない会話を始めます。
「お待たせしました。はぁ、今日は珍しく少し残業してしまいましたよ」
「お疲れさま。このご時世まったく残業なしってほうが珍しいだろう」
「絶妙なタイミングで声を掛けられてしまいまして。いつもは他の仕事を押し付けられないうちにサッと抜け出してくるか、押し付けられそうになったら嫌そうな顔をすることでかわしているんですが」
「孤立するぞ職場で」
「自由を失うくらいなら孤立したほうがマシです。ワークライフバランスはしっかりとマネジメントせねばなりません」
「ワークライフバランスねぇ」
「一生を八十年としたとき、これを時間に換算すると約七十万時間」
「万時間なんて言われてもスケール的に非日常過ぎて多いのか少ないのかよくわからないな」
「カップ麺が千四百万個作れる時間です」
「だから非日常だっつーの」
「千文字の小説を一話一時間で書き上げるとして七十万話書けます」
「……なるほど。なぜかなんとなく感覚が掴めた。でも睡眠時間くらい考慮に入れてほしい」
「そう、睡眠時間やお金を稼ぐための労働時間なども考慮すると、実質自由時間など半分以下しかないでしょう。言ってしまえばこの二から三十万時間の自由を満喫するために我々は生まれてくるわけです」
「その三十万時間も実際そこまで自由に使えるとは限らないしね。結婚したり子供が産まれたら自分のことだけ考えて生きるわけにもいかなくなるだろうし」
「七十万時間の不自由を満喫できると言い換えるべきかともしれません。完全に自由でもなく、完全に不自由でもない、いわば不完全な不自由を。人生の目的とは、そこからどれだけ自由になれるかだと私は思います」
「自由になれたらなにがいいの?」
「選択肢が増えるという意味では、少なくともそれまでの日常から抜け出すすべを手に入れられることになるでしょう」
「僕は不自由な日常も嫌いじゃないけどな」
「マゾの話はどうでもよろしい」
「おい」
「私は自ら由とするところを拡張するため、定時退社を遵守するのです」
「それ自体は良いことだと思うよ。自分本位な気もするけどさ」
「ただそんな自由の追求にも限界がありますね。特に私一人の力では、可能な選択肢の数も限られてしまいます」
「うん」
「いくらやりたい放題やったところで、それはどこまでも個人単位の話。人生には別の次元が必要です」
「だから結婚や子育てっていうのがあるんだろうね。個の視点で見たら不自由になるとしても、全体から見たら自由度が上がってることになる」
「そこで提案なんですが、私と自由になりませんか?」
「……不完全でよければ、喜んで」




