意外な逃亡
おかしい。
この身体の記憶を辿ると、ループ後の初日に怪人が現れるなんて突拍子もない展開はなかった。自分は何もしていないのだから、話が別の分岐を見せるなどということもありえない。はずだ。
一つ、可能性があるとするならば。
「ここは危ないな。時間を止めるよ」
「はい?」
ぽかんと口を開ける彼女の手を引いて、足早に土手を上る。
「身を隠そう。適当な場所を教えてくれ。できれば僕と縁のないところがいい」
「な、なんですか? そういう場所はたくさんありますけど」
「情報生命体が僕の記憶を持っている可能性がある。そうだとしたら、いま狙われたのは君ではなく僕だ。逃げようにも僕の思考は読まれる」
本体側に前周回の記憶はあっても、時間停止能力までは残っていないだろう。今回の襲撃はおそらくそれが目当て。
時間停止という大きなアドバンテージがあるのはいいが、ここから先は互いの戦略の読み合いと消耗戦になる。そうなった場合、計算能力と統計情報の量で圧倒的にあちらが優る。他のリソースは言わずもがなだ。
「逃げる必要あるんですか?」
「どういう意味だ?」
「だって、向こうにもあなたの記憶があるなら、協力してループを抜け出す方法を考えたほうがよくないですか?」
「……襲撃されたんだ。少なくとも対話を望んでいないのなら、逃げておくのが賢明だ」
しかし確かに彼女の言うことにも一理ある。というか、ここで逃げる意味は自分でもよくわからない。
処理系が貧弱過ぎるせいか、思考がまとまらない。
「わかりました。じゃあ身を隠す場所……あそこの電飾が綺麗なホテルなんてどうです?」
「それは普通に読まれそうだ。君らしさしかない」
「私らしさってなんですかコラ」
「ある程度君の思考も読まれていると思ってほしい」
向こうも目の前の女のことはある程度わかっている。奇襲を考えると容易に予想できる場所や人の多くいる場所は危険だ。
「私の思考ではなく、私がふざけているときの思考でしょう? あなたが私の気持ちを読めたことなんて、数えるほどしかないですよ」
「手厳しいな。でもだったらこんなときにふざけないでくれ」
緊張感のない生き物だ。
「あなたがいつにも増して真面目なので、ウィットの効いた冗談を飛ばしただけですよ。では真面目に考えて、ウチにきます?」
「真面目に考えてそれか。僕は行ったことあるだろう、君の家」
「意表を突けるんじゃないですか? 逆に」
確かに繁華街よりも人が少ないのはいいが、おそらくは一時しのぎの場所にしかならないだろう。
「もし見つかった場合、奴らに破壊されてもいいのか? 敷金が戻ってこないぞ」
「あなたらしからぬ面白い冗談ですね」




