その7
「ひかり!」車から降りるなり祝部優太は走り出していた。校門の前、ひとりたたずむ娘の下へと向かって、「どうした? いったいなにがあった」
校舎には、ちらほらと灯りが点いてはいたものの、周囲に人影はなく、またこちらを見ているものもいなかった。そのため優太は、そのまま彼女を抱き締めそうになったが、車の運転席には彼の部下・深山千島が乗っていることを想い出すと、その手前で自分を律し、彼女の両手を、その大きな手で包むに止めた。
「お父さん……」その大きな手に娘は父を見上げ、
「大丈夫だ、ひかり」その泣き出しそうな顔の高さに合わせ、父親はひざを曲げてやった。「お父さんがいっしょだ」
*
さて。
とここで、右の場面を読まれた読者の中には、「優太と深山は、山岸富士夫を追っていたのでは?」との疑問を持たれた方も少なくないとは想うので一応の補足をしておくと、彼らふたりによる山岸富士夫の捜索は、件のジャンヌ・ダルク――天台烏山の秘書・友枝久香の、
『そう。分かったわ。なら、それ以上は追わなくて結構よ、お疲れさま』
という言葉で既にこのとき打ち切られていたのである。特に詳しい説明もなく。そのため優太も、
「しかし友枝さん。私も深山も顔を見られていますよ」と電話向こうの彼女に言った。不安と不満の意味も込めつつ、「ここは、友枝さんのところにもご協力頂いて彼を――」
がしかし、久香はすぐにこれに応えた。おどろく風もなく、
『あら、そう、そうなのね』と。『それならそれも、私の方で処理しておきます』と。
「は?」優太は訊き返した。「まるで、彼とまた会うような言いぶりですが」――我々に彼を捜すよう言われたのはあなたでは?
『ええ、まあ、今夜のうちには』久香は続けた。『最初は戸惑いましたけど、祝部さんからの報告を聞いて安心しました』――彼が「別の場所」に行ってしまうことを心配したのだけれど、取り敢えず「ここ」にいることは分かったのだから、と。
「うん?」ふたたび優太は訊き返した。しばらく考えたが、それでもどうもよく分からない。「彼の能力はいったい?」
『そうね』久香は応えた。『それははっきり言えないわね』がしかし、『それでも今回の“ジャンプ”を彼が起こしたのはまちがいないし、だからこそ彼は、きっとこちらにもどって来るでしょうね』
「は?」優太は言葉に詰まったが、「いえ、しかし友枝さ――」
『さ、それよりはやく、ひかりちゃんのところへ行ってあげなさい』と言う彼女の言葉に更に困惑することになった。『きっと、不安を抱えているはずよ』
「え?」
『おやすみ、優太さん』
カチャリ。
*
「うーん?」
と、言うことで。
深山千島は悩んでいた。
というか、思考の堂々めぐりに入っていた。
と言うのも、例のフル●ン男の捜索が友枝のひと声で急遽打ち切りになったこともそうなのだが、それに対する友枝の説明がまるで、この先の展開をなにも考えていない三文小説家がその場の雰囲気だけで書いたようなものであった上に(うるさいなあ)、そのあたりを不思議に想いつつ例のフ●チン男のナンヤカンヤを考えようとすると、その●ルチン男のフルなフルチ●がふるっふるっとフルスイングでフルッチ――ちがった。フラッシュバックしそうになってオエッてなることもそうであったし、更に、それに加えて、
「やっぱひかりちゃん、かわいいわよね~」
と、お口直しにお肌ぴっちぴちの現役女子高生でもながめて気分を落ち着かせようとしたら、それと一緒に、彼女と優太の仲のよい様子をも見ることになってしまって、かるい嫉妬というか、おおきな憧れを感じてしまうことになるからでもあった。
「まったく」彼女はつぶやく。嫉妬と憧れと運命への嫌悪みたいなものの混じり合った声で、「過保護っていうか、親バカっていうか」
これは彼女が、時々、優太に理想の父親像みたいなものを重ねることがあったからだし、また彼女は、ひかりが優太の本当の娘ではないこと――ひかりは“会社”が、優太に一時的に預けているだけの少女であること――を知っていたからでもある。
*
さて。
深山千島。彼女の詳しい生い立ちは分かっていない。というか、彼女にとってもその辺の記憶は曖昧な、複雑怪奇なものになっているようで、父母の記憶もなければ、住んでいた町や通りの名、通っていた小学校の記憶なんかも曖昧且つ奇妙に入り組んでいる様子で、現在持っている一応整合性の取れた記憶というのは、彼女が“会社”に――あ、いや、彼女の主な認識としては“祝部さんに”なのだが――拾われてから後に形成されたもののようであった。彼女は言った。あるとき筆者に。どこかのカフェの窓際にでも座って――「あのね、先生、私はね」
「あのね、先生、私はね、『子供十字軍』に参加してたのよ」と。
「子供十字軍?」私は訊き返した。きっとなにかの聞き間違いか、あるいはなにかの比喩であろう。「1212年の?」
「いつだったかまでは憶えてないけどね」彼女は答えた。「船が沈んだのと、結局ずっと、お腹が空きっぱなしだったのは憶えているわ」
ご存知ない方の為に補足しておくと、この子供十字軍なる部隊が結成されたのは西暦1212年のフランス~ドイツ。神の啓示を受けたと自称する奇妙な少年の呼びかけに応じた二万人ほどの少年少女が、「いざ! パレスティナ!」とばかりに参集したことが始まりであった。
であったが、大人十字軍が無知で野蛮で血塗られた暴徒の集団であったとすれば、彼ら子供十字軍は、それとはまた別の大人たち、狡猾で、腹黒く、金のことしか頭にないクソ野郎どものせいで、悲惨な末路を迎えた悲劇の集団であった。
と言うのも、そもそもこの十字軍は、ある二人の修道士が、神の御名において子供たちを招集、軍隊を組織し、彼らを奴隷として売り飛ばしてしまおうと考えたのが発端だったからである。時の教皇ナントカカントカ三世(名前を覚えるのも腹立たしい)は言った。
「我々が眠っている間も、彼らは目覚めておるのだ!」
とかなんとか、彼らもきっとパレスティナへとたどり着き、異教徒をなぶり殺しにしてくれるものだと想い込んで。
がしかし、実際のところ彼ら子供十字軍は、マルセイユで奴隷商人が手配した船に乗り込むと、その七隻のうち二隻はサルディニア島近海で難破、半数の子供が溺死し、のこる半分もアレクサンドリアまでたどり着いてから奴隷として売られることとなった。
「子供十字軍?」ふたたび私は訊き返した。彼女の大きな、とてもウソを吐いているとは想えない、きれいな瞳をのぞき込みながら、「聖地へ行こうとしたの? あなたが?」
「うーん?」彼女は応えた。私の目から逃げながら、「正直、聖地なんてどうでもよかったんだけどね」と遠い誰かを想い出すように、「お腹は空いてたし、アレに入れば何か貰える、なにかになれる気がしたし、そうしてなにより、ひとりじゃなくなる気がしたんだよね」
「うーん?」私はうなった。もう少しで彼女の頬にキスしてしまいそうだったが、それでも、「子供十字軍?」と今度はつぶやいて。腕を組み、イスへとすわり直し、「本当に?」
「本当に」彼女は答え、コーヒーを飲み、それから別の話題へ移るよう私を促したが、その代わり、いつかどこかの、古い子守唄を口ずさんでくれた。わたしに。ちいさく。とても素敵な声で。
*
『わかもの、へいし、1914年。
見知らぬ、くにを、東へ向かう。
不慣れな、真似事、ライフル片手。
このくに、こども、奴隷にゃならぬ。
ワイヤー、毒ガス、波に散りゆく。
わかもの、かれら、はなざかり。
ドロと血、みんな、見棄てらる。』
*
「すまない、深山」と、そうして時空はもとへと戻り、祝部優太が彼女に言った。ひかりを降ろしたあとの後部座席から、運転席の深山に向かって、「さっきのあいつの話だが」
「わかってますよ、部長」彼女は答えた。「その“内海ナントカ”って筋肉バカを探せばいいんですよね?」
彼らはいま、深山の運転する車で祝部家へとたどり着いたところであった。
「“内海祥平”」優太は続けた。「写真とデータをお前のスマホに送った。足りないようなら会社のデータベースにもアクセスしてくれ」
「あら、かわいい」深山は応えた。自身のスマートフォンを、そこに送られた内海の写真を確認しながら、「ひかりちゃんもやりますね、こんなイケメン彼氏」
「おい」と優太。
「はいはい」と深山。「冗談ですよ、怒んないで下さいよ」
「ったく……どう想う?」
「ま、正直、彼氏でもなければ候補でもないのに好意をもたれて戸惑って――」
「じゃ、なくて」
「うーん?」深山は考えた。口を合わせて、両手も合わせて、「彼女、肝心なところを隠してたのでアレですけど」車の外ではひかりが優太を待っていた。「さっきの全裸男と同じですよね、とつぜん消えたって」
「……ひかりか?」
「さあ?」
ここで優太は、小さくひとつ舌打ちすると、ひかりの方を一瞥し、「なあ、おい、深山――」そう言い掛けてから言葉を止めた。が、その言葉は代わりに、
「分かってますよ、祝部さん」と笑う深山が引き継いだ。「友枝のババアはもちろん、他のだれにも言いませんよ」と。そうして、「まずはこの、筋肉バカを探しましょう」
くり返しになるが深山は時々、優太に理想の父親像みたいなものを重ねることがあり、また、それと同時に、ひかりは“会社”が、優太に一時的に預けているだけの存在であることを知ってもいた。
「すまない、深山」優太は応え、
「いいってことですよ」と深山はわらった。「しっかし今日は、おとこを追っかけてばかりですね、わたし」
(続く)




