その5
ブー、ブー、ブー、ブー、
ブー、ブー、ブー。
ブー、ブー、ブー、ブー、
ブー、ブー、ブー。
ブー、ブー、ブー、ブー、
ブー、ブ―、カチャ。
「もしもし?」
『……』
「どうした? ひかり。どうかしたか?」
『……ごめん、お父さん……。いま、お仕事中だったりした?』
「あ……、あー、いや、いまは大丈夫だ。どうした? まだ学校か?」
『うん……まだ、あの……、文化祭の準備で』
「そうか。楽しいのは分かるが、あんまり遅くならないようにな」
『……うん』
「どうした? お前やっぱり様子が……お、おい、おまえ、泣いてるのか?」
娘からの電話が入るまで祝部優太は、出来るだけ深山千島の方は見ないようにしていた。可能な限り息を潜め、彼女からも距離を取り、実際こんなことをしてもあまり意味はないなと想いつつも、それでも、可能な限り彼女の集中力を逸らしてはいけないと考えたからであった。
がしかし、優太のスマートフォンが鳴り、深山の集中が途切れ、しかもそれが彼の娘・ひかりからのものだと分かると深山は――彼女はほぼ毎日、優太の親バカぶりを見ていたので――それに出るよう彼をうながしていた。
「ひかりちゃん、どうかしたんですか?」電話が終わるのを待って深山が訊いた。
「詳しいことは分からないがな」優太は答えた。「学校でなにかあったらしい」一瞬かたく口を閉じ、「男の子がらみのようだが、どうにも要領を得ない」いますぐにでも行ってやりたいが……、「そっちの方はどうだ?」
「やっぱダメですね」深山は応えた。いますぐにでも行かせてやりたいな、と想いつつ、それでも、「なーんも感じません」と。
彼女はいま、先ほど優太が銃を向けた辺り――全裸の山岸富士夫が立っていた辺り――にしゃがみ込み、なにか信号めいた物でも捉えられないかと、五感を研ぎ澄ませていたところであったのだが、
「誰が言い出したのか知りませんけど、実際そういうの感じたことないですしね」と深山は続けた。「それをいきなりやってみろって言われても、正直無理がありますよ」
「そうか」優太は応えた。少しでもやりようがないかと考えたのだが、「そしたらその、“能力者同士の繋がり”以外になにかないか?」
「なにか?」
「なにかお前の、その能力にピンと来るような、違和感というか、気付き? みたいな――」
「うーん?」深山はうなった。うでを組み、首を傾げ、必死でなにかないかと目や耳、鼻や手の感触も確かめるが、「いや……、やっぱりなんにもないですね」
「しかしな、深山」優太が言った。彼女のそばに寄りながら、「ひとがひとり、突然消えたんだぞ?」先ほど自分が撃ったあたりを、改めて見詰めながら、「なんにもない方が、逆に不自然じゃないか?」
と、言うことで。
ここはひき続き、東京都立石神井公園けやき広場。つい先ほど、祝部優太が山岸富士夫を銃で撃った――彼の左脚を小型の自動拳銃で狙った――場所である。
であるが、先ほど優太も言ったとおり、ここは、彼がその銃の引き金を引いた瞬間、その標的・山岸富士夫が、
ぐっ
ぎゅっ
ひゅっ
と、とつぜん身体ごと消えたところでもあった。
「果たして彼はどこへ消えたのか?」
これは、祝部ひかりの様子とともに、大変気になるところであり――あのひとまだ全裸だしね――直ぐにでもそちらにカメラを移したいところではあるのだが、しかし、その前に、話の進行上の都合なんかもあり、ここで場面はまた別のところへと切り替わらなければならない。どこに? そう。それは、ここのひとつ前に富士夫がいた場所、天台烏山所有のあのホテル、マリサ・コスタが眠る、あの1019号室である。
*
『秘めたる結びに、誓いのことばはなく、
秘めたる結びは、壊されることもない。』
『祭壇装花も、マリアヴェールも、
誓願聖書も、かわりのドレスも、
そこに並べ、られることはない。』
『秘めたる結びに、誓いのことばはなく、
秘めたる結びは、壊されることもない。』
*
とおくの何処かで、
しわがれた声の男が歌っていた。
彼は歌う。
眠りの中で目覚め、
その目覚めを受け入れるべきと。
彼は歌う。
おそれから離され、
その運命をこそ感じ取るべきと。
彼は歌う。
行くべき所を知り、
そこへこそ向かうべきなのだと。
*
ハッと目を開けマリサ・コスタは、彼女の意識はたしかにそこにあったのだけれど、それでも、その目覚めや運命と言ったものを受け入れ感じ取るべきなのかどうか、いまだ分からぬままであった。
うす暗い天井を見上げ、ベッドの硬さ、やわらかさを確認する。まさかと想い横を向いたが、そこには誰もおらず、いた形跡もなかった。シーツの下の身体を確かめたが、青のドレスも下着も、乱れた様子すらなかった。
それから彼女は、安堵のため息を吐こうとして、ここでふたたびハッとなり、ベッド右手の窓ガラス――眠りに落ちる前に閉じ込められていた場所――へと目をやった。
ハハハハハッ。
と一瞬、窓の向こうで彼女――彼女そっくりの顔とかたちをしたあの女――がわらったような気がしたが、その景色もたちまち消えると、そこにはいつもの彼女、いつものマリサ・コスタがいるだけであった。ふたたび彼女は、安堵のため息を吐こうとして、
「あら、想ったより早かったのね」と妙にきれいなつぶやく声に、驚かされることになった。「初めてのことだし、もっと眠っているものだと想っていたわ」
ガラスの中の部屋を、声の主を探して捜す。するとそこには、
「どう? 気分は? 起きても大丈夫?」
「友枝さん……?」
彼女をここに招いた女性、天台烏山の秘書、黒髪のジャンヌ・ダルク――友枝久香がいた。彼女は、驚き、声の出ないマリサに近付くとその顔をのぞき込み、「うん」とつぶやいてから、ベッドにちいさな腰を下ろした。「やはりキレイね、あなた」
「友枝さん?」マリサはくり返した。
「勝手に入って悪かったわ」久香は続けた。彼女の方は見ず、注意深くあたりを見まわしながら、「けど、これで借金は解消されたわ。取り敢えず、お店の分はね」
「え?」マリサは訊き返した。一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「今夜の結果に、天台はいたく感動したそうよ」久香は応えた。「今度お願いする時は、また別にちゃんとお礼を出すとも言ってたわ」
「は?」ふたたびマリサは訊き返そうとし、「今度? 結果? え? あの――」
「山岸さんなら」その質問を久香はさえぎった。「先にお帰りになったわ。あなたももう帰られてもいいし、疲れが取れないようなら、朝までここで寝ていてもいいわ」
部屋の暗がりに久香は、富士夫の残した地味なネクタイピンを見付けた――あれも後で、回収しないとね。
「あの、でも、」みたびマリサは訊き返そうとし、
「ここのね」ふたたび久香はその言葉をさえぎった。出来得る限りの愛想笑いとともに、「ここの朝食ね、ビュッフェ形式だけど、けっこういけるのよ」
(続く)




